2018-01-01から1年間の記事一覧

小学生時代の一番楽しかった思い出

小学生時代の一番楽しかった思い出を書きたい。 六年生の遠足の日のことだ。われわれの学年は、奈良の飛鳥に行くことになった。季節は初秋だっただろうか。ちょうど社会で歴史を習っていた頃だったから、その勉強の意味もあったのだろう。この遠足では、全員…

おつまみの思い出

その店はもうないけれど、私の実家はかつて酒屋を営んでいた。古く小汚い小売店であり、家族全員たいして店に愛着はもっておらず、私も積極的に店を手伝うこともなかったが、夜にシャッターを閉めた後のしんとした店の雰囲気は好きで、今でも思い出すことが…

ハンサムの思い出

「イケメン」という語の台頭によってすっかり「ハンサム」が駆逐されてしまった。「イケメン」が現れた頃はこんなに長持ちする言葉になるとは思わなかったが、2018年現在も「イケメン」は現役であり、その勢いは衰えることがない。「イケメン」登場以前は、…

誠実さの思い出

詳細は省くが、昔、或る人との関係がこじれたときのことを時々思い出す。そのこじれに関しては、私の責任によるところが大きかったので、私は精一杯誠実に対応しようとした。誠実に対応する、というのは私の苦手とするところである。普段すぐ誤魔化したり投…

虫恐怖の発生とその予後

思春期に入った頃、幼い頃には普通に虫を追っかけてた子たちが、次第に虫を気持ち悪がるようになり始めたのが不思議であった。だが、かく言う私もまもなくそうなってしまった。 幼い頃はむしろ虫好きで、蟻やダンゴムシを捕まえて飼ったり、道で拾ったミミズ…

汚さの処理を知りたい

いつの頃からか分からないが、自分について、汚い、という感じがある。綺麗な服とかかっこいいものとか、見ているといいなあと思うのだが、自分で身につけようとすると、「こんな自分が着るのはなあ」と避けてしまう、ということがよくある。似合わないとか…

おかあさん

先日、初めて、見知らぬ若者(居酒屋の客引き)から「おかあさん」と呼びかけられてしまった。 私は年齢的にはエエ年かもしれないが、子供を産んだことがないのでお母さんという呼称で呼ばれることには馴染みがない。また、学生時代が長かったせいか、自分が…

蹴上浄水場の思い出

この季節になると、京都・蹴上浄水場はつつじが満開になり、同時に一般公開が行われる。今年は、その姿は見ていないけれど、初夏の新緑の中、小高い斜面に並んだこんもりと丸い樹々に、紫、白、ピンク、赤が咲き乱れる様子は大変美しい。蹴上浄水場の近くに…

元暴走族の思い出

中学の頃、趣味の合う友人何人かとよくつるんでいた。同じく、趣味を通して、他校の子たちとも交流していた。といっても、雑誌の文通欄で知り合った子たちだった。この頃、まだメールやネットのない時代であり、文通という文化が健在だったのである。われわ…

霊ケーキの夜、または苦々しいクリスマスケーキをつくる会(「つくる会」)の思い出

それは、M-1でチュートリアルが優勝した年のクリスマスのことであった。われわれはT君を囲み、霊ケーキで降誕祭を祝った。T君当人には申し訳ないが、私にとっては、帰ってきた中学生時代のような、『太陽の塔』的世界に束の間参加したような、そんなクリスマ…

数学といとうちゃんと私

二年生になって数学の担当教師が変わったとき、皆がっかりした。新しい教師は、「いとうちゃん」という、初老の男性教師だった。いや、当時は「初老」と思ったが、今思えばいとうちゃんは意外に若かったのではないかと思われる。まだ40代だったかもしれない…

終わりから考える癖/追悼文の練習をする癖

こういうのもポスト・フェストゥム人間というのか、いつの頃からだろうか、「終わったとき」の視点から考えてしまう癖がある。 ある土地にいたりある人とつきあっていたりというその最中にいるとき、その時代のことを、「思い出として眺めたい」という気持ち…