おつまみの思い出

その店はもうないけれど、私の実家はかつて酒屋を営んでいた。
古く小汚い小売店であり、家族全員たいして店に愛着はもっておらず、私も積極的に店を手伝うこともなかったが、夜にシャッターを閉めた後のしんとした店の雰囲気は好きで、今でも思い出すことがある。
誰もいない店の中、棚と棚の間や、狭いレジカウンターの中に身を隠すようにして蹲ると、冷えて湿った匂いがする。時折、シャッターの向こう側でカランと音がして、自販機から誰かが何かを買っていく。
閉店後の暗い店でひとりその音を聴くのは酒屋の子どもの特権のような気がして、嫌いでなかった。中学のとき、「短歌を作る」という国語の宿題でも、その様子を詠んだ記憶がある(どんなのだったか忘れたが、冬の夜シャッター越しに自販機の音云々、みたいな感じ)。


酒屋の子どもの実質的な特権としては、店の商品を飲んだり食ったりできる、ということがあった。
勿論仕入れ値は家が払っているわけであるし、好き勝手に持っていけるわけではないが、一日に缶飲料一本くらいなら、「これもらっていい?」と許可を得てもらうことができた。
といっても、興味ある商品はそんなになかった。子どもなので酒は飲めないし(というか我が家は全員酒が飲めなかった・それゆえに酒屋という家業になんの愛着もなかったのだった)、ジュースも限られたラインナップでさほど変わったものは置いていない。よく「本屋の子だったら読みたい本がたくさんあるしいいなあ」と思っていた(私は本好きな子だった)。そんな中、おつまみ棚には、時折光る商品が現れた。

 

私は当初、おつまみ棚にあまり興味はなかった。おつまみであるから、スルメだのイカだの子どもには興味のない渋い食べ物ばかりで、私の心を捉えるような商品はなかった。ところがあるとき、「チータラ」というものが我がハートを射抜いたのだった。チータラとは(説明するまでもないが)魚のすり身的なもので少量のチーズをサンドしたつまみであり、チーズ好きな私はもともと少し気になってはいた。
チータラに目覚めたのは、小学生の頃、曾祖母の通夜のときであった。90代で大往生した曾祖母の死は、私にとって初めての身内の死であったが、通夜では親戚たちが飲み食いしながら楽しそうに笑い続けているので、「えっ、お通夜ってこんなんなの!? もっと悲しそうにするものではないの? 笑ったりしてええもんなんや!」と大変驚いたのを覚えている。当時は葬祭場もまだ少なく、通夜も葬儀も自宅で行った。食べ物がなくなると、店のおつまみ棚から適当なつまみの袋をもってきて、それを菓子皿に盛って出した。
愉快そうにビールを飲み続けていた親戚のおっちゃんが、赤い顔で私を呼び、「なんか食べるか? 好きなん食べ」と自分の前にあったつまみの盛り合わせを勧めた。私はスルメやらなんやらの中に、以前から少し気になっていたチータラが存在するのを認め、この機会にとそれを食べた。そして思った。
「うまーーー! こんな美味しいもんやったんや!」
曾祖母の葬式以降、私は頻繁におつまみ棚のチータラをねだることになり、しばしば「チータラはもう在庫のうなるからあかん! スルメやったらええで」と断られることになった。

 

しかし我がおつまみ棚歴における最大の衝撃は、「アメリカからやってきた髭」であろう。
それは中学生のときだった。90年代初頭である。仲のいい友人宅に泊まりに行くことになり、父が「これ皆で食べよし」と、おつまみ棚から袋をいくつかとって渡してくれたのだが、平凡なラインナップに加え、
「これも持っていくか? なんやアメリカのポテトチップスで、日本ではまだあんまり売られてへんらしい。俺もまだ食うてへんし、美味いか知らんけどな」
と、珍しいスナック菓子を出してきた。新たに売ることになった商品だという。
パッケージの種類は三色あり、どれも派手で、筒状の容器には髭を生やした王様的なキャラクタが描かれていた。たしかに見たことのない菓子だった。
「なんや、プリングルスていうらしいわ」
私は三色のうち、チーズ味だという黄色を選んでもっていくこととした。

 

友人宅でそれを披露すると、友人たちも見たことがないと珍しがった。早速パッケージを開け、われわれは衝撃を受けた。
一枚のポテトチップス上に、チーズのパウダーがこってりと、数ミリの層を成して積もっているのだった。それまで食ったことのない種類のスナック菓子であった。パウダーの色は不自然なオレンジ色で、いかにも大陸からやってきた菓子という感じである。我が家はどちらかというと、味の濃いものや不自然な食べ物を禁ずる傾向があったので、そのきつい色とごてごてぶりは、開けてはいけない箱を開けてしまった的な罪の香を感じさせた。
口に入れると、口内から、癖の強いチーズと油の臭気が感ぜられた。チータラのチーズとは質的に異なるチーズであった。黒船来航である。「(これが、アメリカの味なんだ……さすが戦勝国、自由の国、アメリカ……)」。敗戦国の中学生は、だいたいそんなような感慨を覚えた。初めて中学の友人の家に泊まり夜更かしするというシチュエーションも、背徳感を増していたのであろう。
さらにその菓子は、食べているときは「こんな味が濃くて身体に悪そうなもの、もういいや」という気分になるのだが、食べ終わるとまたすぐに食べたくなるという中毒性もあった。体型も気になり始めるお年頃であり、こんなもんは明らかにダイエットの大敵も大敵なのであるが、もう食うまいと思ってもしばらく離れていると口と身体が彼を欲してしまう。私は日々「あのアメリカのやつまたもらっていい?」とねだるようになった。当時、他のつまみが100円程度であったのに対し、プリングルスは300円ほどで割高であったので、申し訳なさがあったが、しょうがなかった。しまいには、親に断りなく店からプリングルスを持ち出し、あのパウダー層を搭載したチップスを憑りつかれたように口に運び、一人で隠れて食べつくしては後悔するようになった。こうなると本格的に罪の味であった。

 

その後、プリングルスはコンビニやスーパーでも普通に見かけるようになった。しかし今では日本向けに改良されているのか、ずいぶんパウダーが減量され、もうあの分厚く身体に悪く罪の味のする数ミリの層を載せていない。