乳を触って去った餓鬼

ショッピングモールの休憩用ベンチに座っていると、あたりをふらふらと駆け回っていた男の子が、やたらこちらに寄ってくる。

 

何度か寄ってきては離れ、しばらくするとまた寄ってくる。何度かそうしたアプローチを繰り返した後に隣に座り込んだ。犬のようだ。
道で遭遇する犬もしばしば、まずこちらの反応を窺い、そろそろと寄ってきて手や足の匂いを嗅ぎ、撫でさせてもOKぽい、となるとおすわりする。犬なら有難く撫でさせてもらうのだが、私は子どもの扱いが苦手である。どう接してよいか分からない。よってあいまいな笑みで黙って隣に座られた。

 

男の子はこちらの顔を覗き込み、数を数え始めた。

「1、2、3、4、……」

何かをアピールしたいようである。数を数えるリズムに合わせうんうん頷いていると、

「僕な、二十まで数えられるねんで」

と言う。

「1、2、3、4、……14、18、19、20!」

「なんか抜けてるで」

「1、2、3、4、……14………18、19、20!」

「おー、すごーいすごーい」

私はとりあえず拍手をする。とりあえず「すごーい」と言っておくのは得意である。合コンさしすせそである。大人の男もしばしばこうしたアピールをしてくる。あれはこの年齢から既に始まっているのか。

「いくつなん?」

「4歳」

と彼は答えると、物思わしげに思い出話を始めた。

「でもな、ぼく、もっと小さい頃は1歳やってん」

 

そうかそうか、と私は思った。この子には思い出といったところでまだ4年分(記憶のない分を差し引くとたぶん1、2年分)くらいのそれしかないのだ。私には40年分くらいあるが。

だが同時に、しっかり4年分あるのだともいえる。現在4歳である彼が、自分に過去があることを明確に認識してそれを言語化できるようになったのは、おそらくここ1、2年のことであろう。初めて認識した4年分の過去は、私の40年分よりも濃く鮮やかかもしれない。

私は自分の「思い出があるということに初めて気づいた」記憶を思い出す。ちょうど彼と同じくらい、4歳か5歳の頃、祖父と年下の従妹と歩道橋を歩いた。中央分離帯の上にさしかかると、分離帯に植えられた銀杏の木の葉がすぐ傍にあり、祖父が従妹を抱き上げてその葉を触らせた。そのとき、「自分も従妹くらいの年のときにおじいちゃんにだっこされてイチョウの葉を触らせてもらった」ということを思い出したのだが、それに次いで、「今、自分には小さな頃の思い出がある」と認識したのが衝撃体験だった。自分に記憶というものがあることを自覚的に認識したのはこれが初めてのことだった。

たった4歳にして1歳の頃を懐かしむ少年を、40代の私は可笑しく眺めるが、40代の私が昔を懐かしがるのも70代や80代や90代から見れば滑稽であるのかもしれないし、そういえば思春期の頃はしょっちゅう、「子どもの頃が懐かしい」「すごいノスタルジーを感じる」的なことばかり日記に書いていた。「ノスタルジー」という言葉をその頃知って、なんて自分の心境にぴったりの言葉なんだ、と思ったのだった。

そうだ思えば私もまた、物心ついたときからもう懐かしかったかもしれない。物心つくということは懐かしむことと同義なのかもしれない。そして子どもの頃の私に、とりわけノスタルジーを喚び起こす媒体となったのは、妹や年下のいとこたちの存在だった。

 

「ぼくな、1歳の頃、ママのおっぱいもらってたけど、おっぱいの味覚えてへんねん」

 

少年よ。おお、私も同じことに気づいた日があったぞ。

妹が授乳されるのを見ながら、自分もかつてあああったはずだ、懐かしい、しかし、その、内実の記憶はもう無い、ということに気づいた日が。

「あまかったのかおもいだせない たくさんのんだのに へんね」とは「おっぱいがいっぱい」の歌詞であるがこの歌詞を書いた人はかなり正確に子どもの気持ちを捉えている。自分の記憶または想像で書かれた歌詞なのか、周囲の子どもの発言に基づくのか。ともあれ、そうそう、ありました。妹やいとこが授乳されるのを見ながらその味が気になっていた時期が。かつて良いものを吸っていた、しかしその原初の味はそのものとしてはもう記憶されていない。

歩道橋の銀杏の日は、「思い出があるという認識」が生じた日であったが、思い出があるという認識が生じると同時にわれわれは、そのものとしての思い出はもうないという認識にも直面してしまう。

なお、その後、だいぶ育ってからさるルートで乳をもらい乳の味を確認することができたが、思った味と違った。

 

「一緒にかけっこしようよ」

彼が誘う。

「おばちゃん、もう走れへんねん」

私はおばちゃん性を行使する。本当は自分をおばちゃんだとは思っていない。未だに歩道橋の銀杏や原初の乳の幻影に囚われている。

「僕、速く走れるんやで、かけっこしようよ」

彼は私の腕を取って誘う。男の子の両親らしき若い夫婦は少し離れたところに座っているが、赤ん坊を乗せたベビーカーを見つめ、疲れ切った様子である。男の子は、かきくどきながら私の身体をペタペタと触る。なにか不穏な感じがする。

 

待ち合わせの相手からショッピングモールの入口に着いたとLINEがある。

「おばちゃんもう行かなあかんわ」

私は立ち上がる。男の子は阻止するように私の太腿に絡みつく。突然の一線を越えた接触に私は軽く怯む。

「かけっこしよ、1、2、3………14、15、……18」

「うんうん、またな」

「行かんといて」

淋しい子なんかなあ、せやけどすまんな、と思ったそのとき、太腿に絡みついていた体温の高い小さな手が私の乳をかすめ、疚しそうな照れたような笑いとともに彼は両親のほうへ走り去った。

大人の男もこうした触り方をしてくることがある。しかし4歳児である。一応、彼の将来のためにと思い、「だめッ」とは言ってみたものの、4歳児相手に怒りは湧かず、そんな自分が意外でもあった。

 

 

という話をX(Twitter)ででも書けば、

「男児の加害性やばい。男は生まれながらの性加害者だよ」

「何も言わず放置している親もおかしい。ネグレクトではないか。虐待が疑われるから児相に通告すべきだった」

「この人はなぜ痴漢予備軍を野放しにしたのか。4歳児であろうとダメなものはダメだと教えるべき。将来痴漢になって被害者が出るかもしれないのに、怒らなかった周りの大人も共犯者だ」

などのリプライがやってくるのであろう。そういう話をしたいのではない。

少年、高三の夏に予備校で

もう正確に名前を覚えていないのだが、仮にK君としよう。

K君は、高三の夏休みの終わり頃に予備校で出会った。

 

京都駅前、東本願寺横の代々木ゼミナールで模擬試験があった。

私の後ろの席には大柄な男の子が座っていた。試験中ずっと、やたらでっかい男子が後ろに座っているなあ、と威圧感を覚えていた。問題用紙を前から回すときなど、その子はムスッと不機嫌そうな顔をしており、少し怖かった。

 

その日のラストの科目は数学だった。志望校の入試問題を模した試験で、大問が5題出る。私は数学が苦手で一問も解けなかった。
最後の確率の問題だけ意地で書いた。「なんとかの組み合わせは何個あるか」みたいな問題で、本来は式を立てねばならないのだが、樹形図を書いてすべて数えたのだった。それしか解けなかった。

それ以上考えても解けそうにないので、さっさと答案を提出して帰ることとした。

鞄を携えて立ち上がると、後ろに座っていた男の子も同じタイミングで立ち上がった。

私は教卓に答案を提出し、彼は私に続いて答案を提出した。

 

廊下を出口へ向かう間、でっかい人は後ろからぴったりついて歩いてくる。私がもたもた歩いているので苛々しているのだろうか。試験中も私が用紙を回すのが遅いので怒っていたのではないか。威圧感ある図体が押し寄せるように歩いてくるので、さっさと出よう、と思ったところで、声をかけられた。

私は何か苦情を言われるのかと身構えた。だが訊かれたのは、

「試験できた?」

と普通のことであった。

あんまりできてない、と私は普通に答えた。すると彼も、

「まじで? 俺もぜんぜんあかんかった! もうダメだあ」

と叫んだ。喋るとそんなに怖い人ではないようだった。

「あたしもできてないですよ、確率の問題なんか樹形図書いて全部数えたし」

と言うと、

「でもあんた、余裕ありそうやん」

と言われた。初対面の人にそんなふうに見られる理由が分からず、私はもう一度

「確率の問題なんか全部数えたし」

と言った。

 

模擬試験の後、別の塾に行く予定があった。数学が苦手すぎて夏期講習を受講していたのだった。塾は、通りを隔ててすぐ近くだった。横断歩道を渡るとその男の子もなぜかついてきた。

「(いつまでついてくるんやろう)」

と私はやや不審に思った。

背が高く怖そうだと思っていたが、よく見るとあどけない顔をしていた。ちょっと意地っ張りそうな顔つきではあり、だから不機嫌そうに見えたのだろう。

烏丸のローソンの前を通ると、急に彼は、

「なんか買ってほしいもんある? あったら買ってあげるけど」

と言った。五分か十分前に会ったばかりの人になんか買ってもらうというのは意味がわからんかったし、別に何もほしいものはなかったので、「いえいえ、無いです」と断った。彼は、

「ええ? あったらなんでも言えばいいから」

と言った。意味が分からなかった。

彼は塾の前までついてきた。既に授業が始まっていた。今から入っても遅刻であるので、次のコマから出ることとして、それまで時間をつぶすこととした。一人で時間をつぶすつもりであったのに、男の子は去ろうとせず、横に立っていた。別れるタイミングを逃してしまい、困ったな、と思った。

 

そこでその子はK君という名を名乗り、A高校の者だと言った。A高校とは京都でよく知られた進学校であり、私でも知っていた。すごいね、と言うと、

「でも今日の試験は全然できんかった。こんなんで受かるわけない!」

と彼は言い、

「今日、試験の始まる前に、前の方の席で喋ってる奴、いたやろ。アイツもうちの高校の奴。前の模試で全国トップになって本にも載った。有名やから、うちの高校の奴はみんなアイツのこと知ってる」

云々と話し出した。私はごく普通の公立高校に通っていたため、模試でトップとかそれによって有名とかそんな漫画みたいな世界があるのか、と驚いた。私の高校では模試の順位なんて話題になることはなかった。進学校の人には違う世界があるんやな、と思った。今思えばそのときの「全国トップの人」とは大学に入ってから出会ったX君でないかと思う。X君は大学でも奇人系天才として有名人で、ホームページにアップしていたエロ小説を2ちゃんねるに晒されていた。

 

雨が降ってきたので、屋根のあるところに移動することとした。K君もついてきた。

ついてこられたが話題が無い。彼も自らついてきておきながら、そう多弁でもなく、基本的に無言なのだった。

「何かほしいもんあったら買うてあげるで。俺が勝手についてきたんやから、お詫びに」

私は再び「いえいえ」と断った。

またしばらく無言が続いた。

「変な奴について来られて困ったなあって思ってる?」

私は、正直困ったなあとは思っていたため多少ギクリとしたが、別に取り立てて変な奴とも思っていなかったので「いえいえ」と言った。彼は「ほんまに?」と嬉しそうに言った。

「ほんまに変な奴と思ってない?」

私の周囲には、マクドで買ったポテトを一本ずつ商店街の店に投げ込みながら歩くという奇行を働くNちゃんや、「受験生の夏を邪魔してやる」という動機から自らも受験生であるのに極小フォントで解読不能の呪文のような暑中見舞いを送り付けてきて家族に気味悪がられたSさんなど、変な奴がいっぱいいたため、とりわけK君を「変な奴」とも思わなかった。今思えば彼が「変な奴」と言ったのはそういう意味合いではなかったと思う。

しかししつこく「ほんまに?」と繰り返され、返答に困った私は、

「変な人とは思わないよ。不思議な人やなあという感じかな」

と至極適当なことを答えた。

 

 

時間が来たため私は塾に行った。

塾に行くと、浪人生の男性がやってきて「今日遅かったじゃない、どうしたの」と言った。この人は仮面浪人生であり、やたら女の子にばかり話しかけるのだった。私は模擬試験があった旨を話した。

「そっかあ。変な男に捕まってるんじゃないかって心配したよ」

私は「おっ」と思ったが、「変な男に捕まった」という状況でもなかったため黙っていた。それにこの人もそこそこ「変な男」であった。彼は「チャラいオザケン」のようなキャラであり、

「気をつけなよ、かわいいからね」

などと平気で言えるのだった。

私は先ほどの少年の不器用そうな様子を思い出し、対照的やなあと思った。

 

 

二度目にK君に会ったのは、今度は三条の河合塾での模擬試験のときだと思う。

約束をした記憶はないので、偶然に会ったのだろうか。或いは向こうが私を探していたのか。思い出せない。

また「試験できた?」「全然」というような会話が交わされた。私はまたその日も、確率の問題を全部樹形図に書いて数えていた。

 

私はまっすぐ家に帰ってタニシ(※当時のペット)を眺める予定であったが、K君が、

「模試も終わったし、ぱーっと遊ぼうやあ」

と言ったので、ぱーっと遊ぶこととなってしまった。

ぱーっと遊ぶというのは、カラオケに行くことであった。

私は歌うのがさほど好きではないが(自分の声が嫌いであるため)この時期のことを思い出すとやたらカラオケの思い出が多い。当時京都の青少年の娯楽はカラオケしかなかったのだろうか?

 

おそらく河原町か三条京阪のカラオケに行ったと思われる。K君は、なんか流行っている歌を歌った。キーの高いことで有名な歌手のラブソングだったと思うが、私はあまり知らなかった。サビはあまり声が出ていなかった。

この頃は「小室サウンド」や「ビーイング系」が流行っていたように思うが、私はあまり流行の曲を知らず、「あんまり歌知らないんよね」と言うと、K君は、

「うそ、意外。けっこう遊んでると思ったのに」

と言った。「遊んでる」という意味合いがよく分からなかったが、「よくカラオケやボーリングに行っている」くらいの意味だと理解した。「遊んでる」ことと「流行の歌を知ってる」ことの相関もよく分からなかったが、私は髪も黒く当時全盛のコギャルではなかったため「遊んでる」認定を受けることは珍しいことだった。今思うに、このときピンクの服を着ていたためではないだろうか。この少年の頭の中では、ピンクの服の女=遊んでる という図式ができていたに違いない。

 

流行の歌をあんまり知らないため、自分の好きな歌を歌うこととして、ヤプーズの「ロリータ108号」を入れた。今でも好きな曲である。

題字が出ると、K君は、

「ロリータ? ろりーたって、男が女に言う言葉じゃねえの? あんた、ろりーたなの?」

と言った。

彼は何か勘違いをしているようであると思った。「ロリータ」というのはナボコフという作家による問題作、中年男が12歳の少女に恋焦がれるという小説のタイトルであり、それによって「ロリータ・コンプレックス」という言葉が作られ、たしかにそこから「ロリータ」の語が所謂エッチな文脈で使われている現状もあり、「男が女に言う言葉」という認識はそうした用法を漠然と指しているのだと思われるが、昨今は様々なカルチャー・サブカルチャー内で女性が自ら戦略的に「ロリータ」を名乗るという現象も発生しており、「ロリータ・ファッション」と呼ばれる服装も静かな流行を見せており、この曲を演奏しているバンドはそうした戦略的「ロリータ」の一つの祖であって……などの解説を私はしようと思ったが曲が始まったのでやめた。

 

私を夢中にさせたまま
それ以上近づかないで
危険が 作動するわ
内蔵された ICミサイル
自爆するシステムよ

 

K君は、「怖えー、怖えー」と怖がった。なんて素朴な感想なんや、と私は思った。

 

帰り際、K君はぽつんと、

「俺の印象、不思議な人、って言ってたよな」

と言った。前回私が至極適当に言っていたことを覚えていたのだった。適当に言っただけなので、深くつっこまれても困るのだった。K君は「不思議な人」と言われたのが嬉しいようだった。不思議と言われて嬉しくなるのは自意識過剰だ、と思い、その自意識は自分も理解できるので、何かこちらが気恥ずかしくなった。しかし通常範囲の自意識過剰だとも思った。その通常範囲の自意識過剰さも含め、私の中での彼の印象は、別に「不思議」ではなく、むしろ平凡な少年という印象だった。

 

その後、みたび、代々木ゼミナールで遭った。

これは何で会ったのか覚えていない。そんなにたびたび偶然に遭遇するのは変なので、約束して会ったのかもしれないが、記憶にない。

この日は、予備校を出て、なぜか東本願寺に入った。

私は東本願寺は入ったことがなかったので、本堂の中を見てみたかった。だがK君は「端っこでいい」とよく分からないことを言った。境内の端っこには木が生えていて、丸太とベンチの中間のようなものが置かれていた。二人は丸太に座ることとなった。

私は本堂の方を向いて座ったが、K君はやや距離を置き、逆を向いて座った。

つまり一本の丸太に、二人の人間が、逆の方向を向いて背中合わせのように座ったのだった。

なんか変だと思い向きを変えようとすると、K君は

「いいって、いいって、そんなの悪いから」

とよくわからない遠慮をした。

悪いも何も、この態勢は変なのでふつうの状態にしたいだけなのだが、そう言われてはしょうがない。

 

そして私は急に、非常に気恥ずかしくなり始めた。

こんな座り方はまるで、照れ屋さんの高校生同士の甘酸っぱいデートのようではないか? 事実、客観的に見ればそうであったかもしれない。こんなのは嫌だ! と私は思った。

視界の端に、そっぽを向いている少年の、短く刈られた髪と耳と頬のあたりだけが見える。表情は見えない。K君は色が白く、いつも頬が赤く、身体は大きいのに顔は童顔で、いかにも子供と大人の間、つまり少年、という感じであった。そして私は、いかにも少年な少年が苦手であるのだった。そういう男の子を見ていると気恥ずかしくなってしまう。ただでさえ気恥ずかしくなるのに、相手が拗ねたり照れたりすると、更に、あああ、やめてくれ! と叫びたくなる。もっとどっしりしていてほしい。

今思えば、そうした未熟で不器用な少年の姿にやはり自分の中の気恥ずかしい部分を投影して見ていたのだろう。大人になった今ならむしろ可愛く感じるだろうから、自分もやはり未熟であり、心の余裕が無かったのだ。とにかく、同年代の男の子が醸す甘酸っぱさが耐え難かった。当時のマイアイドルは46歳の枯れかけの先生だった。(今思えば46歳なんて全然若いのだが当時はおじいちゃんだと思っていた。)

 

そこへきてK君は、

「今、付き合ってる奴とかっておる? おるんやろ?」

と、いかにも甘酸っぱい高校生的話題を提示した。あまりにも高校生だった。勘弁してくれ、と思った。

いないと答えると

「でも、今までにいたやろ」

と勝手に決め、

「俺は今も今までもいたことないからなあ。なんかこんなん、恥ずかしいわ。嫌や」

と言った。「まだまだこれからですよ」と私はまたも至極適当なことを言ったが、彼は、

「高三で誰とも付き合ったことないなんて、だせーよ」

と頑なに嫌がるのだった。「恋人がいない=だせー」という発想がなかったので、そういうものなのか、とちょっと驚いた。同時に、ますます甘酸っぱい高校生的展開に耐え難くなり、私は話題を変えた。

「そいえばこないだの模試の結果、どーやった?」

彼は「あかんかった」と言った。私も、

「あかんかった」

と言った。

「確率の問題、全部数えたし」

 

 

それから何度か会うことがあったかもしれないが覚えていない。あるとき、K君から家に電話がかかってきて、A高校の文化祭に誘われた。電話がかかってきたということは、私は電話番号を教えたのだろう。

知らん高校の文化祭は初めてだった。A高校は男子校で、遊びに来た女子高生に男子たちが群がって声をかけ、先生に小突かれる様子を見ることができた。こんな漫画みたいな場面ほんまにあるんやな、と思った。

K君は皿に絵付けをする店の店番を担当しており、「誘ったのにあんまり案内できんでごめんな」と謝られたが、私は一人で保護者に混じりバザーや展示を巡るなどして楽しかった。そもそも一人行動のほうが気楽で好きなのだった。バザーで梅原猛の本を買ったことを覚えている。K君の店で作った皿は、文化祭後にわざわざ届けにきてくれたように思う。

K君は「クラスの奴に、妹かって訊かれた」と言い、私はお兄ちゃんがほしいと思っていたためこれはやや嬉しかった。

 

それ以来、K君から連絡はなくなった。

 

とはいえ、それまでもそんなに頻繁に連絡があったわけでもないし、本格的に受験シーズンに入って忙しいのだろうとも思い、たいして気にはしなかった。

入試が終わり、私は浪人することとなった。

K君はどうだっただろうとちょっと考えたが、連絡はとらなかった。

連絡をとらなかった理由としては、こちらが不合格だったため意気揚々と報告できないということもあったかもしれないが、会うたびに彼の発する甘酸っぱさに気恥ずかしくさせられていたため、あちらから連絡がない限りわざわざこちらから電話する気にならなかったのだ。なんかよく分からない男の子から連絡が来ないというのは、それはそれで気楽なものだった。

 

連絡がないまま一年経ち、確率の問題も樹形図を書いて数える以外の解き方で解けるようになり、大学生になった。

入学式の日、クラスのコンパがあった。

向かいの席に座った男の子が、

「A高校のKって知ってる?」

と訊いてきた。私はK君のことを忘れかけていたため苗字を言われてもピンと来ず、知らない、と答えた。男の子は怪訝な顔をした。

「え? 一緒に文化祭に来てたよな」

彼もA高校の出身で、文化祭で私を見かけ、なぜか私の顔を覚えていたのであった(すごい)。

「ああ、K君。知ってる知ってる」

「Kの彼女ちゃうかってみんなで噂してたんや」

「違う違う。今、K君ってどうしてんの? この大学受かったの?」

彼は、

「ああ。Kな、ムニャムニャムニャ」

と答えた。ムニャムニャムニャの部分はよく聞こえなかったが、たぶんなんか面白いことを言ったのだろうと思い、とりあえず、

「あははは」

と笑った。私は今でもそうだが人の多いところで人の話を聴きとるのが異様に苦手であり、このような適当なリアクションをすることがしばしばあるのだった。急に男の子の目が真剣になった。

「いや、冗談とちゃうねんで。笑いごとやなくて、ほんまやねん」

彼の険しい表情に、私はやっと「えっ?」と訊き返した。最初から訊き返すべきであろう。

「Kな、大学受験前に、癌になって入院したんや」

 

その人の話によると、K君は突然に癌で入院し、志望校の試験には間に合わず、退院後に第二志望校の入試を受けることができ、そこに入学したのだという。私はそれを聞いて、退院できたんならよかった、第一志望でなくても大学も入れたんだし、と思った。若年者の癌ほど大変だということも、まだ知らなかったのだった。

この話を聞いたときにK君に連絡を取ればよかったかもしれないが、志望校に入学したばかりで浮かれている人がその学校を受験できなかった人に何か言うのは、厭味になってしまう可能性があったし、また、連絡を取って何を話すのか、という思いもあった。話せばきっとK君はまた、「だせーよ」みたいなことを言いそうな気がする。正直、面倒である。

 

K君の病気のことを聞かせてくれたその人も、クラスは同じだったが、私が変な履修の仕方をしていたためその後会うことはなくなった。K君がその後どうしたか・どうなったか、まったく知らない。ずっと忘れていたが、さっき主人公が癌だという映画の話題を見て急に思い出したのだった。

 

 

―――とここまで、二十年前に、別ブログに書いた文章である。(一部加筆修正している)

以上の文章は約十年前を思い返して書いたものであり、それから更に年を経た私は今、当時の自分たち(高校生)くらいの娘や息子がいても全く不思議はない年齢になっている。

今日、A高校の生徒に会うことがあった。そういえばA高校の文化祭に行ったな、と思い出した。そしてK君のことを思い出した。急に、彼の恐怖や憤りや悲しみが自分のもののように立ち現れた。

大病を宣告されたとき、どう思ったろうか。それまで普通に生活をして、勉強したりスポーツしたり友人とダベったり、彼女がいなくてだせーよと思ったり将来のことを計画したりしていただろう。急に、それらが断ち切られる。「なんで自分なんだ」と思っただろう、「なんで自分だけ」とも思ったんじゃないかな、悔しかったし怖かっただろうな。だってまだほんの少年ではないか。

 

入学式の日にそのことを聞かされたときは、そんなふうにK君の気持ちを想像することはなかったと思う。若さゆえに大病というものがまだ身近でなかった、ということとともに、彼が「甘酸っぱさを醸すでっかい少年」であり私が少女であったという属性に隔てられ、共感の対象として感じられていなかったのかもしれない。そのように、若さゆえに、性差の隔てゆえに、閉ざされてきた言葉や関係性がいくらあったことか。それでも、その後に人生が続くなら隔てのなくなる日も来ようけれど。

 

友達に告げるのもつらかったやろな。そりゃあ女の子(私)に連絡するなんてできんかったよな。そして、私もまた、知っても上手く受け止められず、的外れな励ましとかしてしまったかもしれんよな。今なら連絡をするだろう。何もできなくても、見舞いに行くだろう。かけられる言葉も、無いなりに、何か、何かあるだろう、今なら。今なら、あえて形式的な見舞いの言葉をかけることで相手と自分の心を慰める、というメタ的コミュニケーション技術も使える。しかし当時私(たち)は、拙い片言のような言葉しか発せなかった。

 

 

 

 

 

 

存在するファミレスの存在しない店舗の存在するメニューの存在しない思い出と存在したファミレスの存在したメニューの思い出の復権に就いて

以下は、私以外の多くの人にとってどうでもよい話であると思われる。

ということわりから始めてみたが、私がネット上に書いている文章の9.9割はどうでもよい話であるので別にそんなことわりは不要である気もする。

しかし一方で、これは、私の中の或る思い出の名誉回復の為に必要な記録であり、かつこの記録は、人間一般の記憶のメカニズムの考察に0.1割くらい寄与することもあるかもしれない。

 

***

 

昨年、大阪市中央体育館(現ASUE大阪)にて、シンディ・ローパーのライブを観た。

意外がられるのだがシンディ・ローパーは好きで、一度観てみたいと思いつつ機会がなかったのだ。最後の来日とされるこのライブはチケットが取れなかったが、直前で譲ってもらうことができ、ペグレス(仮)と一緒に観ることができた。「私はグラマラスが好き」と赤いドレスを見せつけるシンディ。「でもグラマラスじゃなくてもいいの」とカツラを脱ぎ捨て「Sally's Pigeons」を歌うシンディ。MCで女の権利の歴史を語るシンディ。虹色の布を靡かせながら「True Colors」を歌うシンディ。最後は「Girls Just Want to Have Fun」。歌声は若い頃より更に美しく、われわれは大変満足して会場を出た。

 

会場を出たわれわれは食事をしながらライブの感想を語り合いたいと考えた。

「またロイホに行こうか」

 

 

ここで、記憶は、2012年に遡る。

大阪市中央体育館でライブを観るのは、2012年のノエル・ギャラガーぶりであった。

その際、私とペグレス(仮)は、終演後に会場から通りを挟んで向かい側にあるロイヤルホストでコスモドリアを食べながらライブの感想を語り合った。

ソロの曲でかっこよかったやつ、アンコールでのドンルク、 おもろかった客の野次(「おにいちゃーん、仲直りして~~」と叫んだ客がいてめちゃめちゃウケていた……その後本当に仲直りするとは!)。そんな話をしながらの夜のロイホは非常に愉しく、二階の窓から見えたキラキラした景色とも相まって、このときのことはわれわれの中で「良き青春の思い出」として位置づけられていた。

その思い出のロイホで13年ぶりに、ライブの感想を語り合おうと考えたのである。

 

 

ロイホもあのときからだいぶ値上がりしたやろな~などと言いつつわれわれはロイホへ向かった。両者ともこの場所に来るのは13年ぶりで地理が覚束ないため、スマホ地図に従って店を探した。だが、ロイホの位置と形状が記憶と異なっている。

記憶の中のロイホは会場の真向かいであったが、スマホ地図に表示されたロイホはややその位置からずれている。また、記憶の中のロイホは二階建てであったが、辿り着いたロイホは一階建てである。待合席やレジ周辺のレイアウトも記憶と違う。

 

 

結局ロイホは満席で入れず、われわれは他の店を探すことを余儀なくされた。われわれは再び会場近くへ戻った。

「あっ……もしかして、あれでは……」

記憶の中のロイホの位置に二階建ての建物があった。ただしそれは、くら寿司であった。

だが、形状といい会場の真向かいという位置といい、おそらくこれがわれわれの思い出の跡地である。われわれは次のような仮説を立てた。

ロイホだった建物は、居抜きでくら寿司に変わった。その代わり近辺に、新しいロイホが建った。



 

妥当な推測であろう。

しかし、直観的に、何か納得し難い。ロイホくら寿司に変わるケースは珍しい気がするし(※調べたわけではないので普通に存在するのかもしれないが両者の狭い観測範囲では思い当たらなかった)、閉店したロイホの至近距離に新しいロイホをオープンするのは無駄な気がする。

 

 

私は2012年当時の写真を探した。

そして、意外な真実に遭遇した。

 

 

……FRIENDLY であった……!!

 

2020年に大阪市緑橋店を最後に(※たぶん)閉店してしまったチェーン、FRIENDLY。思い出の中の、ロイホだと思い込んでいたファミレスはFRIENDLYだったのである。そして「ロイホのコスモドリア」と思い込んでいたものは「FRIENDLYのビーフシチュードリア」だったのだ。

いったいいつからロイホだと思い込んでいたのか? 或る時点まで「FRIENDLYの思い出」として記憶の中で保持されていたはずだ。この夜のことは幾度となくペグレス(仮)との間で話題にしてもいる。それがいつからなのかどこかの時点で「ロイホの思い出」にすり替わってしまったのだ。

自分は過去の細かなエピソードを割に記憶している方ではあるが、それらの記憶もこのような大小の改変を蒙っていると思うと怖ろしい。

 

 

こんなのはよくある記憶違いであり、どうでもいいことといえばその通りである。

だが、なんならこの(偽の)記憶のおかげで、私の中の「ロイホのコスモドリア」のイメージは幾分良いものになっていた。記憶が訂正されなければ、もし何らかで私が有名になり「思い出のファミレスのメニューを教えてください」というインタビュー(何のインタビューなのかは知らんが)を受けたらば、

ロイヤルホストのコスモドリアですね。以前に、ノエル・ギャラガーのライブを観た後に会場の向かいのロイヤルホストでコスモドリアを食べながら感想を語り合ったことがあって……」

などと存在しない店舗の存在するメニューの存在しない思い出を得々と語り、これに影響された私のファンのキッズたちがロイヤルホストに列をなし、ロイヤルホスト側は「そんなとこに店舗あったっけな、ま、いっか」と思いつつコスモドリアの製造に大忙しになっていたことだろう。

 

それでは、全店閉店してしまったFRIENDLYがあまりに浮かばれない。

なんなら、シンディのライブの数日前、私とペグレス(仮)はまさにFRIENDLYを話題にしていた。その中で、

「FRIENDLYって好きやったけど、今思い出したらサラダバー以外のメニューを思い出せへんな」

「特徴なかったんやなあ」

などという会話をしていたのだった。

さらに、私は趣味で創作を別ブログに載せているのだが、この少し前に、その中で「ビーフシチュードリア」というファミレスのメニューを登場させており、そのときたしかに頭の片隅でFRIENDLYの記憶が点滅していたのだった。脳のどこかにずっと、FRIENDLYのビーフシチュードリアは存在していたのだ。

 

世界にとってはどうでもよい、泡沫のような記憶であろうが、私の頭の中だけでもFRIENDLYの名誉を復権できてよかった。写真を確認してよかった。

 

 

 

 

 

 

 

お世辞の効力

 先日、営業トークを受けた。

「お肌がつやつやですね! えっ、30歳……になられてたりします? まだ20代ですよねえ~? えっ……? うそー!」

 いやいやいやいや………!!! とわたくしは思った。

 

 私は40代半ばである。たしかに心理的には未だ20代、下手したら10代の気分でいるが、今議題になっているのは精神面ではなく外見であり、己の外見が客観的に見てどうやってもおばちゃんにしか見えないことは分かっている。だいぶがんばって30代後半はありとしてもどう考えても20代はありえない。もしかしたらこの人が著しく視力が悪いとか或いは十進法以外の独特な数え方で年齢を数えているとかの可能性はあるが、その可能性は除外するとしてこれは商品を売るための営業トークとしてのお世辞であろう。お世辞であるが、なんぼなんでも20代は無茶である。「せめてもう少し自然なお世辞にしてくれたらええのに……なんでこんなにしらじらしいお世辞を言うんや……」。私は居たたまれなくなった。

 私は居たたまれなくなった。

 だが、ふしぎと悪い印象は持たなかった。むしろなんとなく打ち解けた気分になり、その後それなりに話を聴き、結局商品は買わなかったが(高額だったため)カタログをもらいお礼を言って去った。何故?

 

 二十歳くらいの頃に服屋で受けたやはり営業トークでのお世辞を、私は未だに覚えている。服を試着したものの、どうしようかな買おうかな、と悩んでいたところへ店員さんが言ったのだった。

「わー、よくお似合いですよ! その服、なかなか着こなせる方がいないんです、本当にスタイルがいい方にしか似合わないんですよ!」

 哀しいことであるがこれはお世辞であるとすぐ分かった。自分の体型は自分でよく分かっており、私が着こなせる服はたいていの人はもっと美しく着こなせる。所謂モデル体型というものがそんなに良いものか、もっと多様な体型に美しさを認めてよいのでないか、とかいう議論はいったん措いておくとして、事実として、どう考えても私は一般的に「スタイルがいい」と言われる体型からは程遠い。身長は低いし手足も短い。そのためかなんか挙動がいちいち滑稽である。手足のうちでも特に肘から先と膝から下が短いためバランスが悪く、上半身は撫で肩でストンとしているが腹と尻にぼよぼよと脂肪のついた洋梨型であり、特に尻と腿の間に境目がないため下半身がなんとももちゃもちゃとした鈍重な印象を与え………いやそこまで言わんでええか。ともあれ明らかなお世辞であったため、私はやはり居たたまれなくなった。

 にもかかわらず悪い気はしなかった。結局その服を買うて帰った。

 服は気に入ったのでまあいいのだが、そのときも私は思った。「何故?」。

 

 明らかにお世辞であると分かっても、そしてそれゆえに居たたまれない思いをさせられても、何故それは営業トークとして効力を発してしまうのか? 私はいくつかの仮説を立てた。

 

1)お世辞であるとは分かっていながら、心のどこかで「本当にそうなのかも」と思えるから。

2)(1と類似の説だが)お世辞であるとは分かっていても、ポジティブな言葉をかけられることはなんか気持ちいいから(言霊の力的なやつ)。

3)お世辞であるとは分かっていても、「自分にお世辞を言ってくれた」こと自体が嬉しいから(ヨイショする対象として見られていることの優越感)。

 

 どれもありそうである。それにくわえ今回、以下のメカニズムに思い至った。

 

4)お世辞であると分かっているがゆえに、「明らかにお世辞と分かるお世辞を言うというしらじらしいことをさせてしまった」ことの居たたまれなさを感じ、相手にそうまでさせる重要な営業の場に自分がいることを認識することになり、かつそんな茶番を演じさせたことで心理的に「借り」を作ってしまったような気分になり、なにか返礼をしなくてはという気にさせられてしまうから。

 

 私はずっと、「明らかにお世辞と分かるお世辞になんの意味があるんや」と思い、これまでできるだけ他人にお世辞を言わない方向でやってきた。思ってもいないしらじらしいことを言ってそれがバレてはむしろ相手に失礼であるし、相手を居たたまれなくさせてしまうから…… と素朴に考えてきた。だが、もしや、しらじらしさによって相手を居たたまれなくさせること、それこそがお世辞の目的であったのか? お世辞を言う側はそこまで意識しているのか、あるいは無意識の戦略なのか、分からないがしかしいずれにせよそうした高度な駆け引きのもとに世界が成り立っているなら、もうわたくしはお手上げである。いや、私が今さも大発見かのように思い至ったこんなことは、既にみんな自然に心得ていることであるのか? だとしたらみんなコミュニケーションのエキスパートだ。あなたたち、本当に天才じゃないですか? 対人関係の達人ですよ。私などとは人生経験の深さが違います。え……もしかして人生を何周かしておられるんですか? もう十周目……とかだったりします? え~? えっ……。まだ一周目!? うそー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もつ鍋屋の薄いりんごジュース(異世界転生)

 もう十年ほど前の冬のこと。ある街で夕食を食べようということになり、連れが何かあたたかいものを食べたいというので、適当なもつ鍋屋になんとなく入ったら、これが良い店だった。鍋は美味く、何より店員さんの感じが良かった。好印象を抱いた。

 そのちょうど一年後、また同じ街で夕食を食べることになった。そういえば良い店があったなと思い出し、同じ店に入った。しかし、なんだか様相が変わっていた。

 

 店のメニューや内装は何も変わっておらず、記憶のままであった。しかし――店内の雰囲気がピリピリとしている。若い女性店員がホールを担当しており、その人物がどうやら店全体に緊張を与えているのであった――。テーブルの間を縫うように歩く彼女は、客商売とは思えぬすごい仏頂面で、ガタン!ガタン!と大きな音を立てながら皿やグラスを叩きつけるように配膳していた。彼女が注文を運ぶたびに店内の視線がこわごわそちらに向けられる。何だこれは。

 私は、飲食店等の店員さんに過剰に愛想の良さを求める社会はよろしくないと考えている。とりわけ若い女性に人はそれを求めがちで、それはよくない傾向だと思う。私自身も愛嬌のあるタイプではないためこの傾向に苦しめられてきた。そりゃあ人情として、愛想良くされると好感をもってしまうし愛想悪くされると気に病んではしまうが、それはこっちの勝手である。私はできるだけ他人の無愛想に寛容でありたい。しかし――なんちうか、これは、「無愛想」を越えた何かや……。

 

 彼女がどこかのテーブルで注文を取っている。すると他のテーブルの者たちは怯えたように様子をうかがう。明らかに異様だ。別に何か厭なことを言うわけではないし言葉の内容は普通。しかし、まるで喧嘩腰のようなひどく怒っているような応答なのだ。何がこわいのか上手く言えないがめちゃめちゃこわい。われわれもなんとか飲み物ともつ鍋を注文したが、注文を取られている間ずっとまるで叱られているかのような気持ちだった。もつ鍋を注文しただけなのに。なんなのだ。隣のテーブルはいかつい男性たちだった。乱暴な言葉遣いでちょっとヤンチャそうな集団であったが、彼らもその店員が鍋を運んできた後は、「なんか怒ってはるんやろか……」と低い声で囁き合っていた。

 食事をしながら店内の誰もがどこかビクビクと一人の若い店員の挙動を気にし、怯えている。なんだこの店は!

 

 無愛想な店員は数あれど、なかなかここまでの無愛想による恐怖支配は珍しい。誰も何も言わないが、店全体に気まずさが漂っている。そのとき、よりによって私の身に、「りんごジュースが異常に薄い」という問題が生じた。

 

 私の注文したりんごジュースがなぜか、りんごジュースの味がせず、「水にうっすら風味がついている」程度の薄さだったのである。店員さんに言って替えてもらおうか……と思ったが、とても声を掛けられる雰囲気ではない。怒っている(?)人をそんなことで呼びつけるのは悪い気がして気が退けた。私の勘違いということにしよう……と呑み込もうとしたが、連れにも飲ませてみて「うわっ、コレは薄い!!」と言われたらば、そうだよなあ、お金は払ってるんやしこんな微妙水を飲まされるいわれはないしべつに言う権利あるよなあ、なんもうちが悪いわけやないし……と思えてきて、私は店員を呼んだ。

 店員は無言で不機嫌そうにやってきた。

「りんごジュースがちょっと薄いみたいで……」

 周囲のテーブルが静まり、シーンとした店内に私の声が響き、店の客ほぼ全員がこちらを見た。違う違う! 別にクレームを言いたいとかでなくて、ちょっとりんごジュースが薄いだけ! 隣の席のいかつい男たちが口を開けて私を見上げている。口から「(うおっ、言いよったで!)」「(ついに……命知らずが現れたぜ)」みたいな台詞が出ているのが見える。こんなヤンチャそうな人たちにこんな表情で見上げられることがあるとは思わなかったな。むしろ普段は店で苦情とか言うタイプやないのに! なんでこんなに「暴政についに反旗を翻した英雄」みたいになってんの!

 これはあれやん。異世界転生的なお話で、主人公は普段通りの行為をしてんのに異世界ではそれがすごいことで注目浴びちゃって心ならずも英雄になってしまう、みたいなやつと同じ雰囲気やん。たかが薄いりんごジュースのことで……。

「は? りんごジュースですけど? 」

 店員は応戦してきた(応戦も何もこちらは戦いを挑んではいないのだが)。うんうん、りんごジュースなのは疑ってないんです、ただ異様に薄いだけで……。

「じゃあ氷抜きで作ればいいんすか?」

 いやそれは知らんけど。私はできるだけ穏当に丁寧にりんごジュースの薄さを説明した。別に怒ってるわけじゃないんですよ~~ということを伝えるため、できるだけ情けない笑顔を作った。なぜこんなに気を遣って薄いりんごジュースの説明をしているのか。店員は、「チッ」と舌打ち――はさすがにしなかったと思うが、限りなく舌打ちに近い態度で無言で背を向けた。

 

 やはり言わないほうがよかった――。私は後悔し始めた。周囲のテーブルの者たちはそれぞれの食事と会話に戻ったが、微妙にこちらに注意を払い続けているのが分かる。人々の関心が痛い。りんごジュースが薄かっただけなのに。後悔し始めて五分ほど経過しただろうか、ついに、その店員に呼ばれた上司らしき男がやってきた。わー!上の人出てきたー!大袈裟になってしもた!でもこれで話が収まる~………と思いきや、上司の男も不審そうな仏頂面で持っていた瓶をニュッと突き出しぶっきら棒に言った。

「これで作ってるんスけど」

 突き出された瓶はりんごジュースの原液らしかった。お、おう……これで作ってると言われても……。知らんし………。隣のテーブルの男達は完全に、ハラハラとした表情でこちらを見守っている。

「ええ、でもとにかく水みたいなんですよ~、ちょっと見ていただけませんか?」

 別に喧嘩がしたいわけではない、薄いりんごジュースのことなんぞで……。努めてフニャフニャと笑顔を作って説明すると、上司の男は溜息をつき、私からグラスをひったくるようにして去った。ほどなく、新たにちゃんとりんごジュースの味のりんごジュースが出てきた。その後やってきたもつ鍋の味の記憶はない。

 

 この話に特にオチはない。ただ、普通に感じの良かった店に一年の間に何があってああなってしまったのか。なぜ皆があんなにただ一人の店員に怯えていたのか。「カスタマーハラスメント」という言葉ができるほど偉そうな客もいるというのになぜ誰もあの店員には何も言えなかったのか。それほどの威圧感をどうしてただ一人の若い店員が醸し出すことが可能であったのか。なぜあんなに薄いりんごジュースが生成されてしまっていたのか。時々思い出す。

服を裏返しに着る僕たちは……

自宅から歩いて駅まで行き混雑タイムの電車に数十分揺られて下車しそこから更に歩いて目的地についたところで、やっと気づいた。

 

「服、裏返しに着てますわ……」

 

うわああああ!! ゴムや縫い目が表に出てるし洗濯表示タグもベロンと出てるし一点の曇りもない裏返しであった。しかもワンピースだったため、上下全身裏返しである。

そういえば、電車の中で、座席に座っていた年配の女性が私のことを心配そうにチラチラ見ていた。立っているのを心配してくれているのかな?何か具合悪そうに見えるのかな? と解釈した私は、背筋を伸ばし胸を張るなどして大丈夫ですよ元気ですよアピールをしてみせたのであったが、胸張ってる場合ちゃうわ! 胸を張るな! あれはおそらく裏返しに気づいて忠告すべきかどうか迷っておられたのであろう。

 

と、ショックを受けてはみたけれど、実は服裏返しは一年半に一度くらいやるのでそんなにレアな失敗ではない。その他、後ろ前が逆・ボタン等留め忘れ・スカートの裾をパンツにしまっている などの失敗もある。かつてワンピースの背中ファスナーが全開で知らんおっちゃんが上げてくれたこともあった。最近もスカートの裾がめくれあがっているのを知らない女の人に教えてもらった。見知らぬ人々の善意で生きている。大人なので一応気を張って注意してはいるのだが、忘れた頃にやる。

 

よって、この失敗自体はもうどうでもいいのであるが(どうでもよくないが)、真にショックであったのは、「実は服が変であることにうっすら気づいていた」ということである。そう、思えば、朝にその服を着たときから、

「なんかデザインがいつもと違うな」

とぼんやり思っていたのであった。

胸元に並んでいるはずのボタンが無いし、なんとなくのっぺりしている。だが私は、「久しぶりに着るからデザインが変わったんやな」と謎の納得をしていたのだった。なんなのだ、その納得は。常識によると、いくら久しぶりに着る服であろうと、勝手に服のデザインが変化することはない。そんなことは知っているはずなのに、その常識を、なぜか謎の理屈が裏切ってしまった。

 

しかしこういうこともまたよくあることではある。昔から頻繁に「考えたら分かるでしょう」という怒り方をされる。これを言われるときはまさにそう言われてしかるべきときばかりであるのでぐうの音も出ない……ぐうって何……のですが、しかしそういうときはたいてい考えても分からなかったときである、というか、考えた結果そうなってしまったときなのである。なけなしの知性を謎のつじつま合わせにのみ使っている。

 

何年か前に、知らずに借金をしていたことがあった。

銀行の口座が知らぬ間に、数十万マイナスになっていたのだった。

しばらくその口座には入金がなく、一方で諸々の支払いの引き落としや生活費の出金に用いていたため、当然金は出ていく一方であり、いつしか残高はゼロになり借り入れ状態になっていた。私はしばしば通帳記入をしていたにも関わらず、それに気づいていなかった。自動借り入れという設定を知らなかったのだ。残高の項に記入される金額は増えていっている(つまり借り入れ額が増えていっている)のだが、その金額に「-」の符号が付いていることに気づかず、

「なんか何もしてないのにお金が増えてる~~」

と思っていたのだった。アホである。何もせずどこからも入金がなければ金は増えない。常識である。いちおう自分の弁護をすれば、自分は勤務先が複数でありまたごくまれに唐突な印税とか何かしらとかが振り込まれることもあるため、そうしたラッキーを期待しやすい状況ではあった。いやそれにしても……。私は「なぜか月々どこかからいくらかのお金が振り込まれているのだな」と判断し喜んでいた。そんな現象はあり得ない。月々振り込まれている(と誤認した)のは、クレジットカードの引き落としのたびに借り入れ額が増えていたからである。結論としては、アホである。

 

このときはその後電撃的に「そんなことはありえない!」という啓示を受け、数字列の先頭に君臨するマイナスの符号の存在に気づいたことにより事なきを得た。借り入れ分は別の口座から補填することができ大事には至らなかった。しかしあのまま、「誰かがお金をどんどん増やしてくれているよ~~」と幸福な夢を見ながら借金と利息を増やし続けていた未来もあり得た。

 

いや、もしかすると私は今、既に、そうした未来を生きているのかもしれない。己が気づいていないだけで、今まだ大丈夫であるとかぎりぎり大丈夫であるとかハッピーであるとか感じている状況はすべて、なけなしの知性を歪んだつじつま合わせに用いた結果そう見えているに過ぎない虚妄の大丈夫であり幻のハッピーであるのかもしれない。なんぼ考えても考えた結果そうなっているのであるなら、虚妄に気づくには来るかどうかも分からぬ電撃的啓示を待つしかなく、それまでとにかく服を裏返しに着用したまま歩くしかないのか、人類は。人類は!?

 

 

 

 

開かないドア

 ずいぶん前のしょうもない思い出話だがなんか思い出したので書く。


 もう10年以上前、或る職場に通っていた頃のことである。
 その日は残業で遅くなった。誰もいなくなり、私は一人で事務所を出た。エレベータで1階に降りると、いつも使用している正面出入口が閉ざされていた。
 この職場にはたまに来るだけの立場だったので知らなかったが、遅くなると正面出入口は閉まってしまうらしい。が、正面出入口の反対側に倉庫があり、いったん倉庫を経由して外に出られるらしい。私はドアを開けて倉庫に入った。

 

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 倉庫のドアAから、諸々の備品等が置かれている中を抜けて、道路につながる小さなドアBへ。それを開ければ外に出られる、はずだった。
 しかし、なぜだ、取っ手を回しても開かない。引くタイプじゃないのかな? 押すのかな? 取っ手を回し足りない? いや、ダメだな、何かコツがあるのだろうか? 
 しばらく押したり引いたりガチャガチャガチャガチャしてみたが開かない。困った。それとも出口を間違った? ああんもう、もう夜遅いのにぃ……と、再びドアAを開けてビル内に戻ろうとすると、なんと、ドアAも開かないではないか!! 自動的に施錠され、倉庫内部からは開けられない構造になっているのか! こちらもまた、押しても引いても開かない。

 つまり、ドアが二つとも開かない。倉庫に閉じ込められたことになる。


 あわわわー! 困った。しかし何か方法があるはず。
 非常ベルか非常電話のようなものを探すが見当たらない。事務所に誰か残っていないだろうか。助けを求めようと一縷の望みで事務所に電話してみたが、つながった! と思いきや、「お電話ありがとうございます、本日の営業は終了しました」と機械の声が喋るのみ。
 どーすんやこれ!! 本気で倉庫閉じ込められ案件か!?
 時刻は23時前、終電も近い。やばい。どーしよう、どーしよう、と思いながらドアAをゴンゴン叩いて「すみませーんすみませーん」「誰か~~ 誰かいませんか~~~!!」と叫んでみるが、ドアの向こうに人の気配はない。ドアBも同じようにガンガン叩いてみるも、外を走る車たちの音が聞こえるのみ。

 

 突然倉庫内が真っ暗になった。照明が落ちたのだ。
「うわああああ!!」
 夜の倉庫でドアは開かず真っ暗でひとりきり! 私はパニックを起こし、

「うわあああ~~うわあああ~~~」

 とうわうわしながら何も見えない倉庫内を無駄にグルグル走り回った。暗闇の中手探りでドアAとドアBを行ったり来たりあちこちガチャガチャガチャガチャガチャガチャ揺さぶり続けるが、てんでだめ。ふと違う取っ手を握ってみたら感触があった。アッ……!開いた!? やったあ!! と思いきや、それは倉庫内に設置されたゴミ捨てスペースの扉であった。要らぬ!


 もしや、私は朝までここで過ごすのか……。冷たいコンクリートの床で夜を過ごすのか……。しかししばらくすると、暗闇に目も馴れ、倉庫馴れして気持ちも落ち着いてきた。
 ええやんええやん、倉庫泊まりだってええやん、長い人生倉庫泊まりの夜がひと夜くらいあってもええやん。屋根もあるし壁もあるし野宿より危険じゃないし。
 とりあえず、後々のネタのため、ケータイで倉庫内の写真を撮った(当時はまだスマホがなかった)。明日の朝帰れたらちょっと仮眠とった後ブログにでも書こう……。そや、後でツイッタに「倉庫なう」って書こう……。でも、朝やってきた人に発見されるの恥ずかしいな………。


 倉庫泊まりの覚悟を決め、ダンボールが積み上げられている傍らに三角座りになったところで、不意に、入ってきたほうのドアAが開いた。
「あれっ、何してはるんですか?! 帰らはったんと違うんですか?」
 スルッと姿を現したのは同僚たちであった。彼女らこそもう帰ってしまったと思っていたが、まだいたのか、有難い!
「そ、それが、ここに閉じ込められてしまって……」
「ああ? そこから出れるでしょ?」
「それが、開かないんですっ、外に出るドアがどうしても開かなくて……」
 見ると同僚たちはもうドアAを閉めてしまっている。ああ~~!! これでは彼女らまで一緒に閉じ込められてしまうっ!!!ああ~~。
 同僚は怪訝な顔でドアBの取っ手をつかんだ。ドアBは……普通に開いた。なんで?


 なんで!?
 私は外界に出ることができた。夜の街の光が往来を照らしていた。
「お家遠いでしょ、終電間に合います?」
「ぎりぎり大丈夫です!」
 どうやらちょっとコツの要るドアだったらしいが、それにしても、あんなに何度もガチャガチャしてそれでも開かなかったのに……? つまり今までのは全部、自分の勘違いに基づくセルフ閉じ込められであったということ? あんなに(一人で)大騒ぎしたのに?

 

いのちの火が消えかけていた。うすれていく意識を呼びもどすかのように門番がどなった。
「ほかの誰ひとり、ここには入れない。この門は、おまえひとりのためのものだった。さあ、もうおれは行く。ここを閉めるぞ」

カフカ「掟の門」池内紀訳、『カフカ短篇集』岩波文庫

 

 

 職場の開かないドア、といえば、それから5年ほど後のこんなエピソードもある。

 このときは、また別の職場で働いていた。
 小さな学習塾であり、普段は塾長が鍵を開けるのであるが、事情によりその日だけ私が鍵を開けることになっていた。
 事前に塾長から合鍵を渡されていたのだが、使えるかどうかは試していなかったので、
「私に渡したな、これはおそらく開かないぞ」
 という気がしていた。

 当日、塾へ到着し、鍵穴に鍵を挿すと、挿すところまではいけたのだが、果たして、回すことができなかった。
 さすが俺!! 私は内心感動した。長年の経験による勘であった。勘が的中したことに、感心するような情けないような嬉しいような。だが開かないと決めるにはまだ早い。倉庫セルフ監禁事件のときのように、「落ち着けば開くのにひとりで焦って開かない」パターンもままあるからである。私は慎重を期して、早く着いてその場にいた何人かの生徒にも試してもらった。結果、誰にも開けられなかった。
「開けられないね? 回せないよね?」
 一人一人に確認し、生徒たちは頷き、私は「よし」と思った。

 

 鍵が開かないことを見越してかなり早めに出社していたため、ビルの管理会社を呼ぶなどバタバタしつつも、所定の時間に授業を開始することができた。何事も無かったように、平和に仕事を始めることができ、私は満足だった。これまでのダメ経験によるダメ予感を適切に生かせた一件であった。これが成長か。違う気がする。

 鍵は、塾長が間違ったものを渡してしまったらしく、後で「開かなくてびっくりしたでしょう、すみません」と謝られたが、私は内心「(いえいえ、よくあることですので)」と微笑んでいた。ドアが開かないのは、わたくしめのデフォルトですので。