もう正確に名前を覚えていないのだが、仮にK君としよう。
K君は、高三の夏休みの終わり頃に予備校で出会った。
京都駅前、東本願寺横の代々木ゼミナールで模擬試験があった。
私の後ろの席には大柄な男の子が座っていた。試験中ずっと、やたらでっかい男子が後ろに座っているなあ、と威圧感を覚えていた。問題用紙を前から回すときなど、その子はムスッと不機嫌そうな顔をしており、少し怖かった。
その日のラストの科目は数学だった。志望校の入試問題を模した試験で、大問が5題出る。私は数学が苦手で一問も解けなかった。
最後の確率の問題だけ意地で書いた。「なんとかの組み合わせは何個あるか」みたいな問題で、本来は式を立てねばならないのだが、樹形図を書いてすべて数えたのだった。それしか解けなかった。
それ以上考えても解けそうにないので、さっさと答案を提出して帰ることとした。
鞄を携えて立ち上がると、後ろに座っていた男の子も同じタイミングで立ち上がった。
私は教卓に答案を提出し、彼は私に続いて答案を提出した。
廊下を出口へ向かう間、でっかい人は後ろからぴったりついて歩いてくる。私がもたもた歩いているので苛々しているのだろうか。試験中も私が用紙を回すのが遅いので怒っていたのではないか。威圧感ある図体が押し寄せるように歩いてくるので、さっさと出よう、と思ったところで、声をかけられた。
私は何か苦情を言われるのかと身構えた。だが訊かれたのは、
「試験できた?」
と普通のことであった。
あんまりできてない、と私は普通に答えた。すると彼も、
「まじで? 俺もぜんぜんあかんかった! もうダメだあ」
と叫んだ。喋るとそんなに怖い人ではないようだった。
「あたしもできてないですよ、確率の問題なんか樹形図書いて全部数えたし」
と言うと、
「でもあんた、余裕ありそうやん」
と言われた。初対面の人にそんなふうに見られる理由が分からず、私はもう一度
「確率の問題なんか全部数えたし」
と言った。
模擬試験の後、別の塾に行く予定があった。数学が苦手すぎて夏期講習を受講していたのだった。塾は、通りを隔ててすぐ近くだった。横断歩道を渡るとその男の子もなぜかついてきた。
「(いつまでついてくるんやろう)」
と私はやや不審に思った。
背が高く怖そうだと思っていたが、よく見るとあどけない顔をしていた。ちょっと意地っ張りそうな顔つきではあり、だから不機嫌そうに見えたのだろう。
烏丸のローソンの前を通ると、急に彼は、
「なんか買ってほしいもんある? あったら買ってあげるけど」
と言った。五分か十分前に会ったばかりの人になんか買ってもらうというのは意味がわからんかったし、別に何もほしいものはなかったので、「いえいえ、無いです」と断った。彼は、
「ええ? あったらなんでも言えばいいから」
と言った。意味が分からなかった。
彼は塾の前までついてきた。既に授業が始まっていた。今から入っても遅刻であるので、次のコマから出ることとして、それまで時間をつぶすこととした。一人で時間をつぶすつもりであったのに、男の子は去ろうとせず、横に立っていた。別れるタイミングを逃してしまい、困ったな、と思った。
そこでその子はK君という名を名乗り、A高校の者だと言った。A高校とは京都でよく知られた進学校であり、私でも知っていた。すごいね、と言うと、
「でも今日の試験は全然できんかった。こんなんで受かるわけない!」
と彼は言い、
「今日、試験の始まる前に、前の方の席で喋ってる奴、いたやろ。アイツもうちの高校の奴。前の模試で全国トップになって本にも載った。有名やから、うちの高校の奴はみんなアイツのこと知ってる」
云々と話し出した。私はごく普通の公立高校に通っていたため、模試でトップとかそれによって有名とかそんな漫画みたいな世界があるのか、と驚いた。私の高校では模試の順位なんて話題になることはなかった。進学校の人には違う世界があるんやな、と思った。今思えばそのときの「全国トップの人」とは大学に入ってから出会ったX君でないかと思う。X君は大学でも奇人系天才として有名人で、ホームページにアップしていたエロ小説を2ちゃんねるに晒されていた。
雨が降ってきたので、屋根のあるところに移動することとした。K君もついてきた。
ついてこられたが話題が無い。彼も自らついてきておきながら、そう多弁でもなく、基本的に無言なのだった。
「何かほしいもんあったら買うてあげるで。俺が勝手についてきたんやから、お詫びに」
私は再び「いえいえ」と断った。
またしばらく無言が続いた。
「変な奴について来られて困ったなあって思ってる?」
私は、正直困ったなあとは思っていたため多少ギクリとしたが、別に取り立てて変な奴とも思っていなかったので「いえいえ」と言った。彼は「ほんまに?」と嬉しそうに言った。
「ほんまに変な奴と思ってない?」
私の周囲には、マクドで買ったポテトを一本ずつ商店街の店に投げ込みながら歩くという奇行を働くNちゃんや、「受験生の夏を邪魔してやる」という動機から自らも受験生であるのに極小フォントで解読不能の呪文のような暑中見舞いを送り付けてきて家族に気味悪がられたSさんなど、変な奴がいっぱいいたため、とりわけK君を「変な奴」とも思わなかった。今思えば彼が「変な奴」と言ったのはそういう意味合いではなかったと思う。
しかししつこく「ほんまに?」と繰り返され、返答に困った私は、
「変な人とは思わないよ。不思議な人やなあという感じかな」
と至極適当なことを答えた。
時間が来たため私は塾に行った。
塾に行くと、浪人生の男性がやってきて「今日遅かったじゃない、どうしたの」と言った。この人は仮面浪人生であり、やたら女の子にばかり話しかけるのだった。私は模擬試験があった旨を話した。
「そっかあ。変な男に捕まってるんじゃないかって心配したよ」
私は「おっ」と思ったが、「変な男に捕まった」という状況でもなかったため黙っていた。それにこの人もそこそこ「変な男」であった。彼は「チャラいオザケン」のようなキャラであり、
「気をつけなよ、かわいいからね」
などと平気で言えるのだった。
私は先ほどの少年の不器用そうな様子を思い出し、対照的やなあと思った。
二度目にK君に会ったのは、今度は三条の河合塾での模擬試験のときだと思う。
約束をした記憶はないので、偶然に会ったのだろうか。或いは向こうが私を探していたのか。思い出せない。
また「試験できた?」「全然」というような会話が交わされた。私はまたその日も、確率の問題を全部樹形図に書いて数えていた。
私はまっすぐ家に帰ってタニシ(※当時のペット)を眺める予定であったが、K君が、
「模試も終わったし、ぱーっと遊ぼうやあ」
と言ったので、ぱーっと遊ぶこととなってしまった。
ぱーっと遊ぶというのは、カラオケに行くことであった。
私は歌うのがさほど好きではないが(自分の声が嫌いであるため)この時期のことを思い出すとやたらカラオケの思い出が多い。当時京都の青少年の娯楽はカラオケしかなかったのだろうか?
おそらく河原町か三条京阪のカラオケに行ったと思われる。K君は、なんか流行っている歌を歌った。キーの高いことで有名な歌手のラブソングだったと思うが、私はあまり知らなかった。サビはあまり声が出ていなかった。
この頃は「小室サウンド」や「ビーイング系」が流行っていたように思うが、私はあまり流行の曲を知らず、「あんまり歌知らないんよね」と言うと、K君は、
「うそ、意外。けっこう遊んでると思ったのに」
と言った。「遊んでる」という意味合いがよく分からなかったが、「よくカラオケやボーリングに行っている」くらいの意味だと理解した。「遊んでる」ことと「流行の歌を知ってる」ことの相関もよく分からなかったが、私は髪も黒く当時全盛のコギャルではなかったため「遊んでる」認定を受けることは珍しいことだった。今思うに、このときピンクの服を着ていたためではないだろうか。この少年の頭の中では、ピンクの服の女=遊んでる という図式ができていたに違いない。
流行の歌をあんまり知らないため、自分の好きな歌を歌うこととして、ヤプーズの「ロリータ108号」を入れた。今でも好きな曲である。
題字が出ると、K君は、
「ロリータ? ろりーたって、男が女に言う言葉じゃねえの? あんた、ろりーたなの?」
と言った。
彼は何か勘違いをしているようであると思った。「ロリータ」というのはナボコフという作家による問題作、中年男が12歳の少女に恋焦がれるという小説のタイトルであり、それによって「ロリータ・コンプレックス」という言葉が作られ、たしかにそこから「ロリータ」の語が所謂エッチな文脈で使われている現状もあり、「男が女に言う言葉」という認識はそうした用法を漠然と指しているのだと思われるが、昨今は様々なカルチャー・サブカルチャー内で女性が自ら戦略的に「ロリータ」を名乗るという現象も発生しており、「ロリータ・ファッション」と呼ばれる服装も静かな流行を見せており、この曲を演奏しているバンドはそうした戦略的「ロリータ」の一つの祖であって……などの解説を私はしようと思ったが曲が始まったのでやめた。
私を夢中にさせたまま
それ以上近づかないで
危険が 作動するわ
内蔵された ICミサイル
自爆するシステムよ
K君は、「怖えー、怖えー」と怖がった。なんて素朴な感想なんや、と私は思った。
帰り際、K君はぽつんと、
「俺の印象、不思議な人、って言ってたよな」
と言った。前回私が至極適当に言っていたことを覚えていたのだった。適当に言っただけなので、深くつっこまれても困るのだった。K君は「不思議な人」と言われたのが嬉しいようだった。不思議と言われて嬉しくなるのは自意識過剰だ、と思い、その自意識は自分も理解できるので、何かこちらが気恥ずかしくなった。しかし通常範囲の自意識過剰だとも思った。その通常範囲の自意識過剰さも含め、私の中での彼の印象は、別に「不思議」ではなく、むしろ平凡な少年という印象だった。
その後、みたび、代々木ゼミナールで遭った。
これは何で会ったのか覚えていない。そんなにたびたび偶然に遭遇するのは変なので、約束して会ったのかもしれないが、記憶にない。
この日は、予備校を出て、なぜか東本願寺に入った。
私は東本願寺は入ったことがなかったので、本堂の中を見てみたかった。だがK君は「端っこでいい」とよく分からないことを言った。境内の端っこには木が生えていて、丸太とベンチの中間のようなものが置かれていた。二人は丸太に座ることとなった。
私は本堂の方を向いて座ったが、K君はやや距離を置き、逆を向いて座った。
つまり一本の丸太に、二人の人間が、逆の方向を向いて背中合わせのように座ったのだった。
なんか変だと思い向きを変えようとすると、K君は
「いいって、いいって、そんなの悪いから」
とよくわからない遠慮をした。
悪いも何も、この態勢は変なのでふつうの状態にしたいだけなのだが、そう言われてはしょうがない。
そして私は急に、非常に気恥ずかしくなり始めた。
こんな座り方はまるで、照れ屋さんの高校生同士の甘酸っぱいデートのようではないか? 事実、客観的に見ればそうであったかもしれない。こんなのは嫌だ! と私は思った。
視界の端に、そっぽを向いている少年の、短く刈られた髪と耳と頬のあたりだけが見える。表情は見えない。K君は色が白く、いつも頬が赤く、身体は大きいのに顔は童顔で、いかにも子供と大人の間、つまり少年、という感じであった。そして私は、いかにも少年な少年が苦手であるのだった。そういう男の子を見ていると気恥ずかしくなってしまう。ただでさえ気恥ずかしくなるのに、相手が拗ねたり照れたりすると、更に、あああ、やめてくれ! と叫びたくなる。もっとどっしりしていてほしい。
今思えば、そうした未熟で不器用な少年の姿にやはり自分の中の気恥ずかしい部分を投影して見ていたのだろう。大人になった今ならむしろ可愛く感じるだろうから、自分もやはり未熟であり、心の余裕が無かったのだ。とにかく、同年代の男の子が醸す甘酸っぱさが耐え難かった。当時のマイアイドルは46歳の枯れかけの先生だった。(今思えば46歳なんて全然若いのだが当時はおじいちゃんだと思っていた。)
そこへきてK君は、
「今、付き合ってる奴とかっておる? おるんやろ?」
と、いかにも甘酸っぱい高校生的話題を提示した。あまりにも高校生だった。勘弁してくれ、と思った。
いないと答えると
「でも、今までにいたやろ」
と勝手に決め、
「俺は今も今までもいたことないからなあ。なんかこんなん、恥ずかしいわ。嫌や」
と言った。「まだまだこれからですよ」と私はまたも至極適当なことを言ったが、彼は、
「高三で誰とも付き合ったことないなんて、だせーよ」
と頑なに嫌がるのだった。「恋人がいない=だせー」という発想がなかったので、そういうものなのか、とちょっと驚いた。同時に、ますます甘酸っぱい高校生的展開に耐え難くなり、私は話題を変えた。
「そいえばこないだの模試の結果、どーやった?」
彼は「あかんかった」と言った。私も、
「あかんかった」
と言った。
「確率の問題、全部数えたし」
それから何度か会うことがあったかもしれないが覚えていない。あるとき、K君から家に電話がかかってきて、A高校の文化祭に誘われた。電話がかかってきたということは、私は電話番号を教えたのだろう。
知らん高校の文化祭は初めてだった。A高校は男子校で、遊びに来た女子高生に男子たちが群がって声をかけ、先生に小突かれる様子を見ることができた。こんな漫画みたいな場面ほんまにあるんやな、と思った。
K君は皿に絵付けをする店の店番を担当しており、「誘ったのにあんまり案内できんでごめんな」と謝られたが、私は一人で保護者に混じりバザーや展示を巡るなどして楽しかった。そもそも一人行動のほうが気楽で好きなのだった。バザーで梅原猛の本を買ったことを覚えている。K君の店で作った皿は、文化祭後にわざわざ届けにきてくれたように思う。
K君は「クラスの奴に、妹かって訊かれた」と言い、私はお兄ちゃんがほしいと思っていたためこれはやや嬉しかった。
それ以来、K君から連絡はなくなった。
とはいえ、それまでもそんなに頻繁に連絡があったわけでもないし、本格的に受験シーズンに入って忙しいのだろうとも思い、たいして気にはしなかった。
入試が終わり、私は浪人することとなった。
K君はどうだっただろうとちょっと考えたが、連絡はとらなかった。
連絡をとらなかった理由としては、こちらが不合格だったため意気揚々と報告できないということもあったかもしれないが、会うたびに彼の発する甘酸っぱさに気恥ずかしくさせられていたため、あちらから連絡がない限りわざわざこちらから電話する気にならなかったのだ。なんかよく分からない男の子から連絡が来ないというのは、それはそれで気楽なものだった。
連絡がないまま一年経ち、確率の問題も樹形図を書いて数える以外の解き方で解けるようになり、大学生になった。
入学式の日、クラスのコンパがあった。
向かいの席に座った男の子が、
「A高校のKって知ってる?」
と訊いてきた。私はK君のことを忘れかけていたため苗字を言われてもピンと来ず、知らない、と答えた。男の子は怪訝な顔をした。
「え? 一緒に文化祭に来てたよな」
彼もA高校の出身で、文化祭で私を見かけ、なぜか私の顔を覚えていたのであった(すごい)。
「ああ、K君。知ってる知ってる」
「Kの彼女ちゃうかってみんなで噂してたんや」
「違う違う。今、K君ってどうしてんの? この大学受かったの?」
彼は、
「ああ。Kな、ムニャムニャムニャ」
と答えた。ムニャムニャムニャの部分はよく聞こえなかったが、たぶんなんか面白いことを言ったのだろうと思い、とりあえず、
「あははは」
と笑った。私は今でもそうだが人の多いところで人の話を聴きとるのが異様に苦手であり、このような適当なリアクションをすることがしばしばあるのだった。急に男の子の目が真剣になった。
「いや、冗談とちゃうねんで。笑いごとやなくて、ほんまやねん」
彼の険しい表情に、私はやっと「えっ?」と訊き返した。最初から訊き返すべきであろう。
「Kな、大学受験前に、癌になって入院したんや」
その人の話によると、K君は突然に癌で入院し、志望校の試験には間に合わず、退院後に第二志望校の入試を受けることができ、そこに入学したのだという。私はそれを聞いて、退院できたんならよかった、第一志望でなくても大学も入れたんだし、と思った。若年者の癌ほど大変だということも、まだ知らなかったのだった。
この話を聞いたときにK君に連絡を取ればよかったかもしれないが、志望校に入学したばかりで浮かれている人がその学校を受験できなかった人に何か言うのは、厭味になってしまう可能性があったし、また、連絡を取って何を話すのか、という思いもあった。話せばきっとK君はまた、「だせーよ」みたいなことを言いそうな気がする。正直、面倒である。
K君の病気のことを聞かせてくれたその人も、クラスは同じだったが、私が変な履修の仕方をしていたためその後会うことはなくなった。K君がその後どうしたか・どうなったか、まったく知らない。ずっと忘れていたが、さっき主人公が癌だという映画の話題を見て急に思い出したのだった。
―――とここまで、二十年前に、別ブログに書いた文章である。(一部加筆修正している)
以上の文章は約十年前を思い返して書いたものであり、それから更に年を経た私は今、当時の自分たち(高校生)くらいの娘や息子がいても全く不思議はない年齢になっている。
今日、A高校の生徒に会うことがあった。そういえばA高校の文化祭に行ったな、と思い出した。そしてK君のことを思い出した。急に、彼の恐怖や憤りや悲しみが自分のもののように立ち現れた。
大病を宣告されたとき、どう思ったろうか。それまで普通に生活をして、勉強したりスポーツしたり友人とダベったり、彼女がいなくてだせーよと思ったり将来のことを計画したりしていただろう。急に、それらが断ち切られる。「なんで自分なんだ」と思っただろう、「なんで自分だけ」とも思ったんじゃないかな、悔しかったし怖かっただろうな。だってまだほんの少年ではないか。
入学式の日にそのことを聞かされたときは、そんなふうにK君の気持ちを想像することはなかったと思う。若さゆえに大病というものがまだ身近でなかった、ということとともに、彼が「甘酸っぱさを醸すでっかい少年」であり私が少女であったという属性に隔てられ、共感の対象として感じられていなかったのかもしれない。そのように、若さゆえに、性差の隔てゆえに、閉ざされてきた言葉や関係性がいくらあったことか。それでも、その後に人生が続くなら隔てのなくなる日も来ようけれど。
友達に告げるのもつらかったやろな。そりゃあ女の子(私)に連絡するなんてできんかったよな。そして、私もまた、知っても上手く受け止められず、的外れな励ましとかしてしまったかもしれんよな。今なら連絡をするだろう。何もできなくても、見舞いに行くだろう。かけられる言葉も、無いなりに、何か、何かあるだろう、今なら。今なら、あえて形式的な見舞いの言葉をかけることで相手と自分の心を慰める、というメタ的コミュニケーション技術も使える。しかし当時私(たち)は、拙い片言のような言葉しか発せなかった。