数学といとうちゃんと私


二年生になって数学の担当教師が変わったとき、皆がっかりした。
新しい教師は、「いとうちゃん」という、初老の男性教師だった。
いや、当時は「初老」と思ったが、今思えばいとうちゃんは意外に若かったのではないかと思われる。まだ40代だったかもしれない。今の私とそう変わらなかったのでないか。
いとうちゃんは背が低くぽってりとした小太りの体型に、地味な色のズボンとワイシャツ、髪の毛を七三に分け、正直いわゆる「ださい」風貌だった。
最初の授業でいとうちゃんが声を発したときの衝撃は、未だに忘れられない。
いとうちゃんは、とてもベテラン男性教師のものとは思われない、少し高く、かつヒソヒソ話をするようなか細い声で、


「お分かりのとおり、私はこの学校で一番、声の小さな教師です……」


と囀った。
みんなはぽかーんとした。

 

「教室がやかましいと全然聞こえませんので、できるだけ、静かにしてください。静かにしても、前二列くらいまでしか聞こえないかもしれませんが……」

 

事実上の「私の授業は聞かなくていい」宣言であった。これを受けて、皆ここぞとばかりに私語を始めた。
以降、いとうちゃんの授業は、実質、私語と内職の時間になった。
実際いとうちゃんの声は前二列くらいまでしか聞こえず、それに耳を澄ませてまで数学を学ぼうという生徒は、わが文系クラスにはいなかった。私語のせいでさらにいとうちゃんの声はかき消され、ただでさえ聞こえないものが余計聞こえなくなり、最前列の三人くらいしか授業を聞いていないという有様になった。午後の授業では、ときには全員寝ていた。
それでもいとうちゃんは、私語を注意するでもなく、あるいは生徒の気をひくために何か気の利いた雑談をするでもなく、淡々と小声で二次関数を説明し続けた。説明が特に上手いわけでもなかった。
その様子が気の毒に思えて、自分だけでもなんとか起きていてあげようとがんばったこともあったが、これでは寝ざるをえなかった。

 

ところでこの頃、私はやっと少し数学ができるようになった。
数学ができなすぎて一年生時の数学教師に一年間存在しないことにされ続けたことは以前に書いた通りであるが、苦手な数学も自分で予習をしてみると、どこが分からないのかくらいは分かるようになり、その部分を先生に質問しに行くようになった。
われわれのクラスを担当する数学教師は、実はもう一人いたのだが、私はもっぱらいとうちゃんに質問に行った。というのは、いとうちゃんのほうが人気がないので、競争率が低く捕まえやすかったからである。


質問にいくと、普段生徒から話しかけられ馴れていないいとうちゃんは、ちょっと嬉しそうに見えた。自分が呼ばれていると分かると、軽く驚いた様子で、困ったような笑みを浮かべていそいそと駆けてくる。いとうちゃんはいつも丁寧な言葉遣いで喋る。ときどきその声が聞こえなくなるので再度聞き直すと、いとうちゃんは、まだまだ小さいがちょっとだけ大きな声で言い直す。いとうちゃんは小柄なうえ猫背なので、背の低いはずの私が腰をかがめるような格好になる。
初回の授業での、授業を聴かせる努力を端から放棄するかのような宣言のときは、「分かってるんならなんとかしろよ!」と少しくイラッとしたはずであったが、こういったやりとりをするうちに、だんだんいとうちゃんがけなげに見えてきた。

 

或る時、他の先生に用があって職員室に行くと、よそのクラスの男子がいとうちゃんを呼んでいた。


「おーい、いとう、おるけ!」


男子は、ポケットに手を突っ込んだまま偉そうに怒鳴った。
隣にいた女の先生が、「こら、呼び捨てにしたらあかん。いとう先生、でしょ」と窘めたが、その先生も顔は怒っていなかった。むしろ、窘めてみせた後で生徒と目を合わせ、困ったような表情を作って、くすっと苦笑してみせた。その先生と生徒の間には、共犯意識というか、「(そりゃあんな情けない奴、呼び捨てにするよなあ)」とでもいうような暗黙の合意が漂っていた。その暗黙の合意は、学校全体に漂っているものでもあった。
呼ばれたいとうちゃんは、呼び捨てにされたのにそれを怒るでもなく、いつもの困ったような気弱そうな笑顔を浮かべたまま出てきて、怒鳴るように何かを尋ねる男子に対し、いつものか細い声と丁寧な口調で何かを囁いていた。


いとうちゃんは、職員室でもダメな大人だったのだろう。
生徒にはナメられるし、先生同士の付き合いにもうまく溶け込めていないように見えた。
小学校から高校にいたるまで、生徒の中では、皆と同じようにふるまう権利を得ている者と、なんとなくそこからはみ出す者が、集団生活をするうちに自然と分かれてくる。後者は、バカにしてもいい者と見なされる。スクールカーストという語は私が生徒のときにはまだなかったが、軽く扱われやすい・いじめられやすい者とそうではない大勢との区別は厳然とあった。大人になるとそんなものはなくなり、皆、対等になって誰もが堂々とできるかのようになんとなく思っていたが、大人の世界でもそれは一緒なのだなあ、とこのとき知った。しかも、教師という、人の上に立つ職業に就いてもそうなのだ。バカにされるやつは、いつまでもバカにされるのか。
私はいとうちゃんに、同族意識を覚えた。

 


そんないとうちゃんだったが、実は剣道がものすごく強いという噂があった。
剣道部は我が校で唯一強い部活だったのだが、いとうちゃんはその剣道部の顧問であり、剣道部の生徒から「すごく強いらしい」という情報を耳にしたのである。
いとうちゃんは相手をこてんぱんにしたあとに、あの細い声で丁寧に「ありがとうございました」と囁くのだ、とわれわれは噂し合ったが、そう言い出した生徒もいとうちゃんの剣道を実際に見たわけではなかったので、噂の真偽は不明であった。

 

いとうちゃんは、自分の私生活の話などはまったくしなかった。そもそも雑談をしないので、何歳なのか、既婚なのか独身なのかすら分からなかったが、あるとき、最寄駅だけが判明した。
いとうちゃんが教室に来ると、まだ前の時間の古典の板書が残っていたことがあった。
背伸びして黒板を消そうとしたいとうちゃんは、ぴたっと動きを止めた。黒板の文字を読んでいるふうだった。
古典では、誰かが出家してどうのこうのという物語を読んでおり、墨染の衣のなんとかかんとか、という和歌が板書されていた。「墨染」は僧侶の衣の色を表す言葉である。
普段無駄な話はしないいとうちゃんだが、なぜかその和歌に興味を持ったらしく、風紀委員のSさんの席へトコトコと歩いていって囁き尋ねた。


「あそこに書いてある墨染って何でしょうか」


わざわざSさんの席まで出向いたのは、クラスでいとうちゃんの授業をまともに聞いているのが、真面目なSさんくらいだったからであろう。
Sさんは、
「墨染の衣というのは僧侶の服を指していて、あれは出家のことを歌った和歌です」
というようなことを答えた。
するといとうちゃんは、「そうなんですか」と感心し、


「私は〇〇なんです。〇〇の和歌はないんでしょうか……」


と呟いて何事もなかったかのように教壇に上がっていった。
〇〇は京阪電鉄の駅名である。京阪には「墨染」という駅があるので、自分の最寄駅も和歌に出てこないのか、といとうちゃんは言ったのだった。それで、いとうちゃんは〇〇に住んでいることが判明したのだった。
Sさんは、真面目だが少し萌えツボが独特な人だったので、「そのとき、いとう先生のことすっごく可愛いって思ってん!」と授業後に熱く語った。

 

二学期になると、私は、従姉に時々勉強を教えてもらうようになった。
従姉はこのとき大学生で、哲学を専攻していた。
問題の解き方だけでなく、「ギリシャの哲学者が無限についてこう言った」とか「1と2という有限の間に√2という無限があるのはどういうことだ」とかそんな話をしてくれたので、私もおぼろげながら、数学って単なる数の操作でなくて、もとは哲学なんやなあ、ということが分かってきて面白く思えるようになった。「文系だから数学が苦手」と思い込んでいる人は、意外にこういう話を聴くと数学を好きになる可能性があるのでないかと思う。


従姉のすすめで、Z会の通信添削を始めた。Z会の数学の問題にはしばしば、入試本番にも出ないような難しい問題が出た。
あるとき、従姉も解けない問題があった。
順列組合せの問題で、何色かに色分けされたタイルの並べ方が何通りあるか、というような問題だったと思う。並べ方をいちいち数えていると大変な数になりそうだし、試験でそんなことはしてられない。よって何らかの式を立てて解を導くべきだ、ということは分かるが、その式の立て方がどうしても分からない。
従姉が考えてもついに答えが出なかったので、学校でいとうちゃんに訊いてみることにした。


わたしは翌日、その問題を、いとうちゃんに見せにいった。
今思えば、解けなくてもひと月後に解答が送られてくるのでそれを待てばよさそうなものだが、一刻も早く解き方が知りたかったのだろう。見上げた勉学意欲だが、学校の先生にとっては迷惑な話だ。


「これ、通信添削の問題なんですけど、どうしても解けなくて」
「これはむずかしいですね」


いとうちゃんはしばらくその場で考えてくれたがやはり解けず、「ちょっと持って帰って考えさせてください……」とその問題をコピーした。私は恐縮すると同時に、数学の先生なのに解けないのか……恥ずかしい思いをさせたかもしれない、といとうちゃんの心中を思いやった。

 

その日、また従姉の家に行くと、従姉は例の問題の答えが分かったとはしゃいでいた。
「理学部の友達に訊いたら一瞬で解けた! 簡単なことやったんや!」
それは一見複雑な問題だが、ある考え方を思いつけばごく簡潔な式を立てることができ、その式に数字を当てはめると一発で答えが求まる。
答えは、「300通り」とかそれくらいであったと思う。なので、いちいち数えていると膨大な時間がかかるが、或る発想が得られれば、途中式が三行ほどというごく簡単な操作で答えの出る問題なのだった。

問題が解けたことをいとうちゃんに言わねばと思ったが、いとうちゃんは、翌日の授業のときもその問題について何も言わなかったので、あのまま忘れているのかも、とも思った。
しかし、土日休みが明けた日、いとうちゃんが私を職員室に呼んだ。


「このあいだの問題、遅くなってすみません……」


いとうちゃんは覚えてくれていたのであった。
そして、得意気に、コピーした答案を持ってきた。


「やっと答えが出ましたよ」


いとうちゃんの、その声と同じく薄い弱々しい文字で、小さく回答が書き込まれていた。
その答えは、従姉が教えてくれたものと同じだった。
私は思わず、「あ、私もあの後、他の人に聞いて分かったんです。同じ答えでした」と言ってしまった。
するといとうちゃんは寂しそうに、「そうですか……」とうつむいてしまった。
しまった、言わなきゃよかった、いとうちゃんに訊いたのに他の人にも教えてもらったなんて失礼だったかな、「解けたんですか!先生すごい!」と驚けばよかった……、私は変な気を遣った。

 

とにかく、お礼を言って職員室を出、「答えの求め方は裏に書いておきました」とのことだったので、教室に帰って、裏を見てみた。
いとうちゃんもあの式を思いついたんだなー、さすが数学の先生だー、と思いながら裏を返すとそこには!
タイルの並べ方のパタン、300数通りのパタンが、几帳面にこまごまと、鉛筆によってびっしり図示されていたのであった!
いとうちゃんは結局、式を思いつくことができず、全ての並べ方を図に描いて数えるという極めて原始的かつ受験では絶対に採ってはならない方法を採ったのである。
しかも、そのやり方で答えが合っているというのもすごい。
いとうちゃん………土日を使って私のために、(あるいは数学教師としての意地のために、)タイルを数えてくれていたんだ………。
この紙は今でも、我が家のどこかに残っていると思う。

 

二年生の三学期には修学旅行があった。修学旅行はそれほど楽しくなかったが、途中立ち寄ったわさび農園は良いところだった。いとうちゃんは、他の先生からも生徒たちからも離れてひとりでわさびソフトクリームを食べていた。私とSさんが「あっ、いとう先生」と言うと、ソフトクリームをなめながら小さく手を振ってくれた。農園の隅っこでソフトクリームを手にする小柄ないとうちゃんは、おじさんだが妖精のようだった。私はその様子を写真に撮った。

 

三学期の期末テストで、初めて数学で99点をとった。しょうもない計算を間違えて1点ロスしたが、前年、クラス最低点をとって教師に無視され続けたことを思えば快挙である。テストでよい点をとって喜ぶなんてダサいことのような気もしたが、いとうちゃんにがんばったと思われたかったので、ふつうにうれしかった。
テストを返すとき、いとうちゃんが、やはり細い声で「がんばりましたね」と言ってくれた。

 

クラスの生徒たちは、受験が近づくほど、ますますいとうちゃんの授業を聞かなくなった。ほとんどの生徒は受験に数学が必要なかったからである。いとうちゃんの授業は、以前からもそうであったが、完全に内職と私語と睡眠の時間となった。必要ない授業となると、その教師までウザくなってくるものなのか、いとうちゃんは今まで以上に蔑ろにされるようになった。
イキがった男子たちは始業ベルが鳴っても廊下でたむろするのをやめず、授業にやってきたいとうちゃんが廊下を通ろうとすると、「なんやねん、いとうかよ、邪魔やねん」と邪険にした。いとうちゃんは、礼儀正しく、「あっ、すみませんね」と謝りながら、でっかい男子たちの間をちょこちょこ潜り抜けて教室に入ってきた。 

私は、噂の真偽も分からないのに、「おまえらそんな態度取ってるけど、いとうちゃんはほんまは剣道がめっちゃ強いんやで」と思い、いとうちゃんが剣を振るってそやつらをこてんぱんにした後で、累々と折り重なった男子たちの背に片足をかけ、「あっ、すみませんね」と礼儀正しく謝っている姿を勝手に思い浮かべ、勝手にすかっとしていた。
実際にいとうちゃんが剣道が強かったのかどうかは分からないままだった。
自分もバカにされる側の道を歩んできて、今後も冴えない大人になる確率の高い私は、自分の幻想を、勝手にいとうちゃんに投影していたのかもしれない。

 


その後、私は浪人し、大学に受かった際に高校に挨拶に行ったのだが、このとき、いとうちゃんに会ったかどうか覚えていない。お礼を言った記憶がないので、このときはいとうちゃんは不在で会えなかったのではないかと思う。 

それから何年かして、四月の教職員異動情報を新聞で見、いとうちゃんが退職したことを知った。
転任でなく、退職欄にいとうちゃんの名前があった。まだ定年退職の年ではなかったから、自主的に退職したようであった。
やはりあの小さな声と小さなハートでは、人前に立つ教師など向いていないと思ったのだろうか(今更?)、あんなふうに生徒や同僚にバカにされ続けるのに疲れたのだろうか、と私は想像した。
でも、単に、もうお金があって働かなくてよい、とかかもしれない。何か事情があって他の仕事をすることになったのかもしれない。それとも、健康上の理由だろうか。年齢的にもありえないことではない。


などなど、考えながらもわたしの中には、教師をやめて一人の剣士となったいとうちゃんが、刀を一本携えて流離の旅に出るようなイメージが、勝手に沸いてきたのであった。