通信添削の思い出(ガッツ石松)

ツイッターでまた、「中年になっても昔の模試の成績の話をし続ける人」がバカにされていた。この件では、それ自体がバカにされていたというよりは他に批判される文脈があった中でのことのようだが、ともあれ、いつまで模試の順位やら偏差値やらの話をしてるんや、みたいな嘲笑はしばしば目にする。

しかし、自分は過去の栄光にこだわる人を見るのは嫌いではない。もちろん直接自慢話を聞かされるのはうっとうしいけど、よそに眺めている分には、まあそれがその人の心の支えであるのだな、ならばしょうがないのでは、と思う。誰もが今を生きられるわけではない。学業成績に限らず過去の栄光にこだわる者は全般的に滑稽だが(それ以降何も成していないことを示していることになるので)、過去栄光執着者の中でも、やはり大学受験での栄光を語り続ける人はとりわけ嘲笑されがちな気がする。「大人になっても延々とセンター試験の得点の話をするやつ」はもはや愚かでウザいやつの典型像である。やや気の毒な気もする。バカにされる理由としては、大学受験というのは本来何らかの目的(大学で何々を勉強してその後何々をする、とか)のための手段であるからだろう。手段段階での栄光をそんな大事にされてもな、って感じだ。また、受験勉強というのは「本当の勉強」とみなされない傾向がある(よく「受験勉強と大学に入ってからor社会に出てからの勉強は違うんだよ」みたいなことが言われる)。これにはいろいろ思うところはあるけど、たしかに受験勉強がうまくいくとかいかないとかは、本人の努力や資質よりも環境や運の力が大きいとは思う。まあそれも受験勉強に限ったことでもないか。……となんか話が散らかってしまったけど、ともあれ、そんなこんなであっても、受験勉強時代の栄光が本人の心の拠り所であるならしょうがないし、私は彼らを笑えない、私もまた、いつまでも、Z会ネームが「牛姫様ホル子」であった過去を語り続けるものであるのだから……。

 

そんなわけでZ会の思い出について書きたい。

高校時代から浪人時代にかけて、一、二年ほどZ会の通信添削を受けていた。本当は、小学生の頃から「進研ゼミ」に憧れがあった。ご存じの通り、進研ゼミは子どもたちの心をつかむ広告をさかんに送ってくる。「進研ゼミで勉強し始めたら成績がみるみる上がったうえ気になる子とも両想いになってその他すべてがなんか知らんけどいろいろよくなってハッピー!!」みたいな広告漫画である。子どもたちは皆あの漫画を信じていたわけではなく、よく友人たちと「こんな上手くいくわけないやろ!」とつっこみを入れていたが、にもかかわらず「もしかしたら!」という思いで騙される友人は後を絶たなかった。私は、成績がみるみる上がってすべていろいろハッピーになる可能性以上に、進研ゼミに入ると送られてくるという諸々キャラクターグッズと、「赤ペン先生」とのやりとりができることに惹かれていた。私は文通好きの子どもだったので、赤ペン先生と文通がしてみたかった。赤ペン先生は可愛いイラストとかも描いてくれるという。しかし、自分は文通とグッズに惹かれているだけで勉強がしたいわけではない、という自覚があったので、親に進研ゼミをねだることはなかった。

大学受験となると、さすがにキャラグッズはどうでもいいので硬派なやつにしよう、と考え、通信添削の中では硬派であるらしいZ会にしたのだが、Z会にも添削者とコメントのやりとりをできるスペースがあったので嬉しかった。古文の答案に、なんちゃって古典的仮名遣いでコメントを書いてみたところ、添削者が正しい古典的仮名遣いに添削してきて「うわあっ」と思うなどした。

答案とともに、毎回会報のような冊子が送られてきた。これには受講者たちの投稿コーナーがあり、私はそれを教材以上に熟読していた。昔から雑誌の投稿コーナーが好きだったのだ。今ツイッターとかブログとかが好きなのもその延長だと思う。投稿コーナーではZ会用語のようなものが飛び交っていた。「今から白い悪魔をやっつけます!」「白い悪魔を退治しました」などとある。「白い悪魔」というのは届いたばかりの白紙の答案のことらしい。また「今回は日帰り答案です!」「日帰り答案は無理でした」などとあるのは、問題が届いたその日に解いて返送することを指す。私は毎回締め切りを過ぎて返送していたので、日帰り答案とか言ってる人たちはZ会ガチ勢だと思われた。「受験オタクや、やばいなあ」と思いながらガチ勢の投稿を読んでいた。Z会ではZ会ネームを設定でき、投稿が採用されたりランキングに入ったりするとZ会ネームで会報に掲載されるのだ。「牛姫様ホル子」は一度だけ何かで掲載され、他校の友人に発見されて「おまえやろ」的なことを言われた。

会報には、ライトな投稿を載せるコーナーとシリアスな投稿を載せるコーナーがあった(ように記憶しているが、同時期にロキノンを読んでいたためそれと混同しているかもしれない、ロキノンには普通の投稿コーナーと「リーダーズレビュー」コーナーがあったので)。シリアスな投稿コーナーに掲載された、医学部を目指す女の子の投稿を今でも覚えている。「みんな日々受験で大変な思いをしていると思います。しかし、私の友人は、医師になりたいのに、家庭の事情で大学を受験することができません。どうすればいいというわけではないけれど、こういう人がいるということも覚えておいてください」というような内容だった。

 

 

実は、Z会以前にも、短期間受けていた通信添削があった。しかし、そちらにはいい思い出が無い。

中学生の頃、あまりに勉強しない娘を心配した母が勝手に申し込んだのだったが、母は娘のレベルも知らずやたら難しいやつを申し込んだため、まったく手がつけられないまま放置された答案が雪だるま式に溜まっていった。母には「提出した」と申告していたが、白紙の答案を学習デスクの中に溜め込んでいたためバレた。ある日、友達と遊びにいこうとすると母に「今日は溜めてる答案を出してしまいよし」と申し渡され、友達との遊びを断ってしぶしぶ部屋にこもり机に向かったものの、基礎もできていないのにハイレベルな応用ばかりの問題が解けるわけがない。何も分からない。教科書でカンニングしようにも何をどう調べていいかも分からない。せめて比較的得意な国語だけでも手をつけようとしたが、それすら半分も分からない。私は親の前に行き、

「うわああああ」

と言いながらゴロンゴロン転がってみせた。雪だるま式に膨らんだ答案のプレッシャーによる心の叫びであると同時に、「こんなんムリ!なんでこんなんせなあかんねん!」のデモンストレーションでもあった。親がどう反応したか覚えていないが、その後の人生もずっとこのゴロンゴロンが続いているような気がする。

 

しかし、この通信添削の会報にも投稿コーナーがあり、それにはせっせと短文やらイラストやらを投稿して景品のナップサックをもらうなどしていた。これは、「仕事の〆切を破りながらSNSの投稿をする」パターンに似ている。

会報ではときどき、作文コンテストが開かれた。図書券かなんかがもらえるので私も投稿したが、入選しなかった。入選者の学校名を見ると、自分でも知っているような進学校だった。進学校の子なんて出木杉君みたいな優等生ばかりだろうと勝手にイメージしていたので、出木杉の作文なんて絶対面白くないやろ、うちの方がマシなはずや、と思って読み始めたその作文が、面白くてびっくりした。今でも覚えているのは、京都の某中学の男の子による「ガッツ石松」の作文である。

 

彼は、いつも、自分はちょっと人と違うんじゃないか、と悩んでいた。友人と喋っていても自分だけおかしなことを言ってしまっているような気がする。しかし、あるときテレビを観ていたら、

「トラックの『バックします』という声が『ガッツ石松』に聞こえてしまってしょうがない」

という人が出ていた。何度聞いても「ガッツ石松」に聞こえるのだという。彼はこのテレビ番組にとても励まされた。世の中にはいろんな人がいる。「バックします」が「ガッツ石松」に聞こえたっていいんだ。自分も、「ガッツ石松」に聞こえるんだ、と思いながら生きていこう。

 

と、記憶による要約ではあるがそのような内容だった。

私は、進学校の子なんて面白味のないマシーンのような秀才だとばかり思っていたので、こんなふうに悩んでる人もいるんや、みんなそれぞれ悩んでるんやな、とハッとした。かつ、その悩みを軽妙な文章で表現している点に感心した。そして、そのテレビ番組が見てみたいな、と思った。

数年後、私は、『探偵!ナイトスクープ』がその番組であったことを知る。「ガッツ石松」の回は、1992年に桂小枝探偵が担当した「爆笑小ネタ集」の中のひとつであったようだ(要確認)。私も総集編でその回を観ることができた。名作とされる「日本一周中の息子」回を母が泣き笑いしながら観ており、私も一緒に観るようになった。西田局長に代わってからのことはあまり知らず、最近は全然観なくなってしまったが、この頃(90年代後半頃)は、ほんとうに毎週この番組が楽しみだった。病弱キャラで薬に詳しい立原さん、渋いネタが多くどこか知的な越前屋俵太、「パラダイス」といえば桂小枝、など好きな探偵もこの頃が最も多かった。すなわち上岡龍太郎時代でもある。先日、上岡龍太郎の訃報を聞いた。ご冥福を、などという言葉はこの人には似合わない気がするので言わないが、私の中でナイトスクープといえば今でも上岡龍太郎局長である。「いつまでも受験時代の栄光にこだわるやつの話」だったはずがナイトスクープの話になってしまった。