ふたりの優等生の思い出

小学校に、Aちゃんという女の子が転校してきた。三年生か四年生の頃だったか。

Aちゃんは、転校してくるやすぐにクラスの中心人物になった。

彼女は快活で明るい性格だった。女子はすぐに彼女をグループに迎え入れ、男子は早速「Aちゃんが好きになった」という者が現れた。Aちゃんは成績も良くしっかりしていて、勉強だけでなく運動もできて、どうやら家も裕福そうであった。完璧だ。かといって分け隔てもせず、クラスの中の目立たない子にも優しく接する。もともと学校にいた私などよりも学校に馴染んでいた。そうした性質は転校を繰り返す中で獲得されたものなのかもしれない。Aちゃんは何度目かの転校だった。「転校ってこわくない?」と私が尋ねると、

「全然こわくない、友達つくるのが特技だから」

とAちゃんは言った。この「友達をつくるのが特技」という感覚が、あれから30年経っても私にはまったく分からない。

 

さて、Aちゃんを陽の優等生とするなら、陰の優等生とでもいうべきはB君であった。

彼は別に転校生ではなく、入学時からこの学校にいたのだが、入学時から浮いていた。

B君は学業成績は抜群によく、その点では優等生であったが、それ以外の点ではむしろ問題児であったといえる。頭は良いし口にすることも正論であるが、いちいち厭味な言い方をするので皆はそれを嫌った。文集の作文に皆が読めない難しい漢字や皆が知らない難しい格言を書く。「これどういうこと」と尋ねると、鼻で笑うように解説された。つまり変人なのだった。彼は「終わりの会」の「今日誰々にいやなことをされました/言われました」コーナーにおける被糾弾の常連であった。ちなみにAちゃんとは違い、勉強はできるが運動はできなかった(私とビリを競っていた)。

 

しかしあるとき、陽の優等生・Aちゃんが、陰の優等生・B君を褒めたことがある。

ホームルームか休憩時間か場面は忘れたが、先生も交えて、「クラスの皆は将来何になるだろう」という話をしていたときだった。誰々は走るの速いからスポーツ選手やね、誰々はおうちのお店を継ぐんやろね、と目立った特徴のある何人かの名が挙げられる中で、B君の名はなかなか挙がらなかったのであるが、ふとAちゃんが、

「B君は弁護士になったらいいと思う、だってすごく正義感が強いもん」

と言ったのだった。

「弁護士」がどういう職業か私はよく知らなかったが、ハッとした。クラスの他の子も、虚を突かれたような感じだった。というのは、それまでB君の長所に言及することがあっても、皆「いやなやつやな、勉強はできるけど」「勉強はできるけど、勉強しかできひん」などというように、勉学のことにしか触れなかったのであり、そしてそれは勉学以外の面への貶めとセットになっていたのであり、公然とB君の人格面に肯定的に言及したのはAちゃんが初めてだったからだ。B君自身も、驚いたような表情をしていた。普段あまり表情を変えないのに。そしてたしかにB君は、厭味だがいつも正論を言うし、物事の評価は公平だし、Aちゃんが「正義感が強い」と言ったのは言われてみればなるほど、と思うポイントであった。さすが自らも長所だらけの人は、他人の長所を見つけるのも上手なのであるなあ、というようなことを私は思い感心した。その話題はそのまま流れて、Aちゃん自身はそんな発言は忘れてしまったかもしれないが、なぜかこのことはその後もずっと覚えていた。

 

やがて中学生になった。Aちゃんは同じ中学だったがほとんど交流はなくなった。B君はどこか賢い学校へ行った。

以前にも書いたが、中学時代というのは私にとって嫌な時代だ。

小学校は、「きれいごと」であるような理念、たとえば「人間は自由で平等だ」とか「誰もが自分らしさを大切に」とかそうした理念が、正しいものとして信じられている世界であった。もちろん現実が理念通りであったわけではないし、そんな理念を信じていられぬ事情のあった人もいただろうが、少なくともそれらは信じるべき建前として機能しており、かつ、小学校の優等生とは、そうした理念に自らを沿わせ理念を背負える子たちのことであった。彼ら彼女らは眩しかった。それが中学に入ると、そうした理念に反する「世俗」が急に正しいものとして台頭し始めた。部活動での理不尽な上下関係を先生が黙認していることや進学とか偏差値とかいうことが大事になり始めたことは「人間は平等」という理念の否定であったし、男子はズボンで女子はスカート、男子は技術で女子は家庭科、という突然のジェンダー規範は、「自分らしさを大切に」とかいう理念の否定であった。といっても理念は理念として一応残っていて、しかし完全に空疎な形になっていて、よってそれを非現実的で「小学生気分」(という揶揄を先輩や教師はよく用いた)の残る子供じみたものとして嘲笑しつつ、「世俗」に順応してゆける者が偉いことになる。小学校時代に理念を信じていたと思われた子たちが、続々と世俗に順応してゆくことに、私は戸惑った。べつに自分だけが正しい理念に生きていた、というわけでなく、自分もそこで薄汚れていった、あるいは前から既に理念に生きられていなかった(からこそ優等生たちが眩しかった)のであるが。

 

或るとき中学の廊下ですれ違ったAちゃんは、粗暴な男子のグループと喋っていた。女とみれば性的な冗談を投げてくるそやつらは、清潔なAちゃんと合わない気がしたが、Aちゃんは楽しそうに喋っていた。会話の中で、そやつらと一緒にAちゃんは、障害のある或る生徒を性的に貶めるような蔭口を言っていた。私はややショックを受けた。小学生の頃Aちゃんは、私の障害のある妹にもいつも親切にしてくれていたのに。それで先生に褒められるほどであったのに。

 

時間が流れ、なんやかんやあり、私は大学生になった。同じ大学の法学部に、B君の姿を見つけた。小学校の頃と驚くほど見た目の変わらぬ彼は、弁護士を目指して勉強していた。彼の選択が、あの日のAちゃんの言葉を受けてのものなのか、それとは関係ないのかは、尋ねたこともないので分からない。しかし、もしそこに、意識的であれ無意識的であれAちゃんの言葉が影響していたとするなら、人の何気ない一言というのは大きいものだなあと思う。もし、B君にとって何の影響もなかったにしても、少なくとも私は、たぶん本人が忘れているであろうAちゃんの言葉をなぜか覚え続けていて、おかげでB君を「正義感の強い人」として記憶し続けている。