小学生時代の一番楽しかった思い出

小学生時代の一番楽しかった思い出を書きたい。


六年生の遠足の日のことだ。
われわれの学年は、奈良の飛鳥に行くことになった。季節は初秋だっただろうか。ちょうど社会で歴史を習っていた頃だったから、その勉強の意味もあったのだろう。
この遠足では、全員がレンタサイクルを借りて、班ごとに好きなスポットを周ることになっていた。飛鳥の街はたしかに徒歩では周りにくいし、もう六年生だから自立した行動をさせてみる、という試みだったのだと思う。しかし私は、当時、自転車に乗れなかった。


かつて猛特訓の結果、なんとか補助輪を外すところまでは行ったのだったが(そこへ至るまでに親との激しいバトルがあったりもしたが省略する)、その後まったく自転車に乗ることはなく、そのまま乗れなくなってしまったのだった。友達らと遠くへ遊びにいくときは、自転車に乗るみんなの後ろを、疎まれながらひとりだけ走って付いていっていた。
自転車に乗れない者は、学年で私ひとりだった。先生たちが心配してくれたらしく、或る日校庭に呼び出されて行くと、自転車が用意されていた。どこから持ってきた自転車か知らないが、私の練習用に用意されたものらしい。先生に「乗ってみて」と言われ乗ってみると、昔の感覚が一応残っていたのか、10メートルくらいは走れた。先生はそれを見て、「あら、大丈夫やん。これならみんなと一緒に遠足に行けるね」と安心してしまった。何も障害物のない校庭を一人で10メートル走るのと、知らない街の道路を皆に付いて一日走るのでは違うだろうと思われたが、私も積極的に練習したくないので、自転車のことはなんとなくそれっきりになってしまった。
遠足当日のことは不安ではあったが、まあ小さい頃は一度乗れたんだしなんとかなるだろうという気もし、一応参加する気で、飛鳥の歴史の「調べ学習」などをしていた。

 

そして遠足当日の朝、生理が始まった。
私は当時、初潮を迎えてしばらく経った頃であったが、月経が訪れるたびにそれに伴う激しい腹痛、胸痛、腰痛、脚痛、便秘および下痢その他いろいろ痛により毎回苦しんでいた。
ふつうの遠足なら多少の無理をしても参加したかもしれないし、親もそうしろと言ったかもしれないが、ただでさえ苦しい月経中に、とても、普段乗り馴れない自転車に乗れる気がしない。
遠足を休む、と言うと、親からもあっさり許可が出、朝、職員室に電話をすると、「じゃあ今日は一日学校で自習してください」ということになった。
いつもの集団登校にも参加せず、私は普段の始業の直前の時間にひとり悠々と登校した。
学校の前の通りまで来ると、道路の向こう側ではちょうど、遠足に行く一行がぞろぞろと校門から出てきたところだった。何人かが私の姿に気づき、「あれっ、なんで!?」と言った。親切だったKくんは、私が時間を間違えて遅刻してきたと思ったらしく、「遠足!今からやで!」と叫んだ。私は通りを隔てた皆に大声で事情を伝えるのは憚られたので、同級生たちにひらひらと手を振り、学校へ向かった。


学校に着くと、図書室の大きな椅子と机をあてがわれて、そこで自習をするように言われた。
図書室は、学校の中でも親しみのある場所だった。担任の先生はもちろん遠足の引率なので、保健室の先生が来てくれた。
特に何をしろという指示もなかったので、私は、遅れていた家庭科の課題にとりかかった。壁掛けのようなものに、フェルトのお花を縫い付けていくのだった。家庭科は苦手で、いつも皆から遅れをとっていたが、この日は自分でも驚くほど集中できて、早く仕上がった。
休み時間になっても、図書館には誰も来ず、保健室の先生がたまに様子を見に来るだけでずっとひとりだった。
その次は、図工の課題や溜まっていた何かのドリルをやったと思うが、誰にも邪魔されないし、最高だった。私は全ての提出物において遅れを取っていたが、自分ひとりで集中すると、こんなにはかどるのかと思った。
一応チャイム通りに休み時間をとることにした。休み時間は、学校の好きなところを自分ひとりでぶらぶらした。いつもだと、クラスの遊びに参加しないといけなかったり、どこに行くにも友達と一緒でないといけなかったりするのに、自由や!なんて素晴らしいんだ! と思った。

 

課題をやる合間に、図書室の本を読んですごした。薄暗く自分ひとりしかいない図書館は、自分の立てる物音しかせず、静かだった。普段読まないような本もめくってみた。こんなふうに自分で時間を好きに使えるなんて楽しい、自分は自由が好きなんだ……!と分かった。
しかしそのとき、ひとつだけ、後から後悔することをした。「誰もいないのだから何か秘密のことをやろう」と思いつき、図書館の、あまり誰も読まなそうな分厚い本(百科事典か何かだったかもしれない)に、匿名の手紙を挟むことにしたのだった。といっても特に残したいメッセージもないので、


「私はこの学校に片想いをしている人がいます、きっと片想いのまま卒業するでしょう。せめて、未来にこの本を開く誰かに、この切ない思いを知ってほしくて…… (イニシャル)」


というようなことを書いた。正直、クラスにちょっと好ましい子はいても、片想いというほどの片想いはしていなかったのであるが、当時中島みゆきなどを聴き始め「(片想いってかっこいいな)」と思っていたので、そうした影響下に書いたものと思われる。その後、中学生になり、『探偵ナイトスクープ』というTV番組を知ったことで、「(あの手紙が後輩に見つかって、探偵がうちに来たらどうしよう……)」という、どうでもいい後悔をすることとなる。

 

昼休みは、職員室に呼んでもらって、時々優しくしてくれる女の先生と保健室の先生の間に座って給食を食べた。別に給食もひとりでよかったのだが、嫌な先生たちではないのでよかった。
先生たちの雑談の話題は、「卒業生を送る会で在校生が歌う歌」についてで、
「あの歌、いい歌やと思うんやけど人気がないよね、『お兄さんお姉さん』っていう歌詞がみんな恥ずかしいみたい」
などと話していた。「先生たちって普段こんな話をしてるんやな」と思った。 

それにしてもいつもなら、月経一日目というのはもっと痛みで苦しんでいるはずなのに、この日はふしぎとそれほどではなかった。思うに、調子が悪いのに皆と同じペースで何かやらねばならなかったり体育やらなんやらやらされたり、という集団生活のストレスが余計生理痛を重くさせていたのではないか。

 

午後からも引き続き図書館で過ごした。午後には、5年生の女の子と4年生の男の子が遊びにきた。
「なんで遠足休んでるん?」
女の子は年下だが気の強い子で、いつも私に先輩のような口をきく子だった。
「生理になったから」
と答えると、
「へえ、私やったらそれでも絶対行くけど」
と言われたが、完成していた家庭科と図工の課題を見て、
「すごいやん」
と誉められたのは嬉しかった。


普段の5限目が終わるくらいの時間になると、保健室の先生が来て「もう帰っていいよ」と言われたので、さっさと荷物をランドセルにまとめて帰った。
一日中ひとりだとちょっとは淋しくなるかもしれないと思っていたけれど、まったく一切淋しくならなかった。勉強も休み時間も、ひとりならこんなに気楽で楽しいのか、毎日こうだったらいいのに、とさえ思った。
以上が、小学生時代の最も楽しかった一日である。