婚礼と選択

父方いとこたちが皆、当たり前のように就職後すぐ結婚し子を設けてゆくのにに対し、たくさんいる母方いとこのうち誰ひとり年頃になっても結婚する気配がなかったのであるが、わたしはどちらかといえばこの母方親族のコミュニティのほうに帰属意識をもっていて、その母方従弟のひとりがついに結婚することと相成り、たまたま親族が集ったところへ花嫁さんを連れてきた。
ちょっと癖もち者揃いの親族の中で、朗らかな彼女はさわやかな風のようで、何か新しいことが始まるんだなと思え、他人の結婚などまるでめでたくもないしうっとうしいだけであると常日頃思っている捻くれ者のわたしも、気分が浮き立った。花嫁さんは、やかましい叔母たち(母方は女系家族なのである)の与太話に終始笑顔で付き合ってくれた後、他の家に挨拶に行くからと従弟と連れ立って去っていった。


カップルが去った後、親族たちは会議を再開した。


そもそも今日親族たちが集まったのは、祖母の治療方針をどうするか、という会議のためであった。
連休明けに、主治医に返事をしなくてはならない。
治療方針をどうするか、とはこの場合はすなわち、どこまで・どのように延命をするのか・つまり、どこで・どのように延命をしないことにするか、ということだ。それは、かなり、大きな選択だ。
といってもわれわれ孫世代はあまり口出しすることもないので、子世代の逡巡の様子を横で眺める態勢となった。


選択肢は三つあった。
ひとつめは、強力な治療を試みるという選択。これでいくらかは寿命が延びる可能性があるという。しかし、身体が負担に耐え切れない危険性もあるし、そもそも身体が衰弱しきっているのであるから寿命が延びるといったところで一年や二年も延びるわけでもない。
ふたつめは、穏当な治療を続けるという選択。治療というよりは、ゆるやかに死に向かわせる方法である。この方法なら大きな身体的苦痛を与えずに済むが、長くもって数ヶ月であろうと医師は言った。しかし、ひとつめの方法をとったところで半年もたないであろうことを考えれば、ふたつめの、短くとも安らかな方法を採るほうがよいのかもしれない。
ここでわたしたちは、「半年」と「数ヶ月」の差について考える。もはやほとんど何も意思を表さない祖母にとって、その差には何らかの意味があるのであろうか。何かやっておきたいことがあるとでもいうのならともかく、今の祖母に、少しでも長く生き延びることに、何か意味があるのであろうか。と考えた途端、その考えは傲慢だとも思う。意思を表さないことは意思がないこととイコールではないし、生に意味があるかどうかなんて、誰がジャッジできるんだ、祖母本人にも分からないかもしれないのに。そもそも、意味がないことと死んでもいいということはべつのことのはずだ、と思いなおす。
みっつめは、何もしない、という選択。そうすると、ほんとうに、ただ、終わりを待つだけになる。入院当初は考えていた、こうした状態になったらば家に連れ帰り何もしないで見送るのが本人のために一番よい、と。おばあちゃんだってそれがいいはずだ、というのが皆の共通認識のはずであった。しかし、一度「治療」を始めてしまった今となっては、この選択肢は残酷なものに見えてしまう。この選択肢はすぐに却下され、実質上、ひとつめとふたつめの間で親族たちは選択を迫られることとなった。


親族たちがこうして大きな選択を迫られる様子は、これまで、ドラマやなんかで見たことがあった。そこではたいてい、どこか薄暗い一室に深刻な顔をした者たちが集まり、涙ながらに決断がなされる。だが、今、親族たちは、日曜のしょうもないテレビ番組が流れる部屋で、ある者はこたつにもぐり、ある者はせんべいをかじりながら、大きな問題を考えているのだった。
「……難しいな」、沈黙ののち、叔父が口を開く。長男であるということもあり、また長年ひとりで介護をしてきたということもあるので、最終的な決定は叔父にゆだねられているようだ。「どう治療してあげるかやのうて、どう見送ってあげるか、っていう問題やから、余計難しいな」。一同は沈黙に沈む。「おばあちゃんは、どう見送られたいんやろな」「それがもう今となっては分からんもんな、元気なときやったら、ああしてほしいこうしてほしいてあったかもしれんけど」「本人の口から、もう言えへんからな」。
ドラマであればこうしたとき、「家で看取ってあげたい!」とか「最後まで治療してあげて!」とか涙ながらに主張する人が現れたりする。だが、祖母の子たちは誰一人積極的な意見を出さない。皆、どうするのが正しいのか、様子を伺い合っては口ごもり合っている。つまり、皆、分からないのか。大人になるとそうしたことの決断ができるようになるのだと思ってきた、正しい答えが分かるものなのだと思ってきたが、いくつになってもそれは、分からないことだったのだなと思う。


だが、現実問題として、あさってまでに期限を切られ、われわれはあさってまでに祖母の命を左右する決断をしなくてはならない。


叔母はせんべいの袋を開ける。「あんた、何枚目やな」「二枚目」「あんた、ここ来てから食べてばっかりやがな、せんべいの前はみかさ食べてたし」「せやけど、ひと月に一日だけ800kcalに抑える日を作るだけで、痩せるらしいで」。「皮下点滴やったら、栄養は摂れへんのか」。別の叔母が訊く。「皮下やから、栄養分は入れられへん。水分を補給するだけ」「ほな結局、徐々に衰えていくていうことになるんか」「そういうことやな」「発明家のお宅拝見やて。誰やろ。ドクター中松ちゃうか、30億の豪邸やて」。テレビに「発明家、30億の豪邸」というテロップが出ていた。「30億の豪邸なんか、そんな贅沢、要らんわ、私、私やったら3億あったらそれでええわ」「私なんか1億でええわ」。テレビに豪邸の持ち主が登場する。「中松やて。やっぱりドクター中松やん」「中松の息子ちゃうん、若いやん、どう見てもドクター中松本人とちゃうやん」「ドクター中松って息子いたん?」「知らん」「最近ドクター中松って見いひんけど、どうしたはるんやろ、一時期はジャンピングシューズいうたかな、あれでようテレビ出てたけど」。「そんで、おばあちゃんのこと、どうするんやな」。
一同、話題を戻す。
「家で看取るんは、やっぱり無理やろか。訪問のお医者さんに来てもろて」「難しいやろ。入院してたら24時間看てもらえるけど、訪問ではそうも行かんし」「せやけど、もし危なくなったら、個室に移らせてもらえるんやろか。今の部屋は他の患者さんもやはるさかい……」
叔母たちは、祖母の同室の患者の噂話でひとしきり盛り上がり、爆笑する。「そんで、おばあちゃんのこと、どうするんやな」。


わたしは、いつか自分も自分の親についてこのような選択をするときが来るのであろうか、と思いながら祖母の子たちの様子を見ていた。他の孫も、同じ気持ちで見ていたに違いない。


「やっぱり、皮下点滴で、穏当に続けてもらうのがええんやないやろか、無理な治療で体に負担をかけるよりも、という気がしますけど」「あんたは?」「私もそのほうがええかなという気はするけど。最終的な判断は兄さんに任すけど」「あんたは?」。普段喧しい叔母たちは、これまでにない、歯切れの悪い話法で話した。皆、どうするのが正しいのか、そもそも分からないことなのだ。「皮下やったら、どれくらい、桜の咲くまではもつかなあ」「桜の咲くまでか。それまでもってくれたらええけどな」「桜がはよはよ咲いたらええんやわ」。一同は笑った。「まあ、どうなるか、なってみんと分からんちうことやな」


「しかしそれやと、重なるかもしれん。そうなったらどうする?」
叔父が言った。


「重なる」とは、「従弟の婚礼の日に重なる」ということである。祖母を近く看取る選択をするのであれば、その日が、間近に迫った従弟の結婚式と重なる可能性があるが、その場合はどうするのか、ということである。かつてあったであろう(今もあるかもしれない)祖母の意思を汲み推し量って方針を決定することばかり考えていたが、そうか、子以下の世代の都合に合わせて治療方針を ――つまり、祖母をいつまで・どのように生かすかを―― 決定する、ということができてしまいうるのだ、ということに、今更ながら思い至り、わたしたちは。