ふたりの祖母

父方祖母と母方祖母は同い年である。ふたりとも健在である。「健在」ということばが適切なのかは分からない。
父方祖母は、認知症が本格化してきた。同時に、介護も本格化してくる。
介護の中でもっとも大変なのは排泄の世話だとよく言われるが、排泄の世話で大変なのは、排泄の世話そのものでなく、何をしていても、何を考えていても、それがすべて排泄物によって中断されるということではないかとおもう。お出かけ前におしゃれしようとしている最中でも、論文に書く小難しいことを考えている最中でも、排泄の世話に呼ばれると頭の中は目の前の排泄物のことしかなくなる、というように、なにか高尚なつもりの行動や思考が、ふだん隠蔽されているもっとも基本的で身体的な人間の条件にいちいち引き戻される。
それでも犬や猫のフンの世話なら淡々とできるのに、やはり相手も人間であるので、そこでプライドによる羞恥とか逆切れとか、或いはそれまでの家族同士の関係性とか感情的なものが絡んでくるのが、さらに疲れるのであろう。
介護をしている周囲の人はだいたいこう言う。「自分は、あんなふうに周りの世話になる前に死にたい」。たしかにそのように言う気持ちもだんだんわかってきた。だがこの切実な言葉は一面で、今現在周りの世話になって生きている人への攻撃にもなりうる。どうにか、この言葉を言わずに済むような、長生きの仕方、介護の在り方ってないものなのだろうか。人間による人間の介護ではどうしてもそうなるのだろうか。


母方祖母は、あさって、90歳の誕生日を迎える。90歳の誕生日をおそらく祖母は、病院のベッドの上で迎えるだろう。
正月に、見舞いに行った病院のベッドの上で祖母は、一度も声を発さず目を開かなかった。話しかけると、反応があるようなないような気がする。かすかに頷いてくれたような気もするが、気がするだけかもしれない。
栄養は点滴で流し込まれているので、肌つやと髪の色はきれいだ。ときどき、酸素吸入器をつけられる。
「できるだけ自然に死にたい」というのが、最初に入院した際の、本人と家族の意志であった。だけど、自然と不自然は、そんなにはっきりした境界線があるわけでなく、グラデーション状に連続している。(そもそも病院に来てる時点で不自然といえば不自然だ。) 「元気に生きている状態」から「たくさんの管と人工呼吸器につながれて生かされている状態」に分かりやすく移行するわけではない。最初から、そのどちらかを選ばされるわけではない。
管を一本挿せば助かりますがどうしますか? と問われる。一本で助かるなら、と承諾する。病状が少し悪くなる。もう一本挿しますか?と問われる。管が増えていく。時折呼吸が乱れる。ときどき酸素吸入しましょう、と提案される。ときどき呼吸器がつけられる。常時呼吸器を装着するか、それともしないか、選ばされるのはその次だ。
23年前の祖母の誕生日、いとこたちは祖母の家に集まって、ケーキを食べた。
ケーキを切りながら、おめでとう!おめでとう!とはしゃぐと、こらっ、近所に聞こえたらあかんやろ、と祖母にたしなめられた。こんな日におめでとうなんて言うてたら、あの人が死んで喜んでると思われたらどうするのん! 日本中の電飾が消えて、次の日、元号が変わった。
その日が来るずいぶん前から、日本中は、ある死にかけの老人の容態に夢中になっていた。
テレビを見ていていつものアニメ番組が終わると、画面が黒くなり、そこに白抜きで、ある老人の、脈拍・血圧・下血の回数などの数値が映し出されるのだ。それはなんだか不気味な、世界の終わりのような光景で、光化学スモッグ注意報の放送の気味悪い音声にも似ていた。数値は次第にありえない数値になっていき、ひとは「そろそろやな」「もう生かされてはるだけなんやな、かわいそうに」と言い合った。その老人が、意識のないままたくさんの管につながれて、横たわっている様子が目の前に見えるようだった。そのうえ、その身体はさらに、日本中のブラウン管につながれ、各家庭に配信されているのだった。
23年前のその老人と同じような状態に、今の祖母は置かれていた。
ただ、天皇ではないから、祖母の病状は報道はされない。