アルバム『PAN』再訪(20年前について)

去年に、友人のバンドが出るというので、ブルーハーツ縛りのコピーバンド大会に行った。バンドが10組くらい出るので、コピバンばかりそんなに観てもなぁ……と思っていたのだが、演奏者たちの思い入れが伝わる良いイベントだった。フロアの客たちが

僕たちを縛り付けて一人ぼっちにさせようとした
全ての大人に感謝します
1985年 日本代表ブルーハーツ


と喉を涸らして大合唱するのを見て(というか私も合唱に加わってしまっていたのだが)、「何やってるんやろ」と思いもした。われわれはもう既に「大人」やし、今は1985年じゃないし、そもそもお前らブルーハーツやないがな! そうだ、1985年からもう30年経っていて、48億のブルースは70億に膨れあがっているわけで、でも今でもまったく「今」のものとしてその音楽を愛してる人らがこんなにいるんや、ということが、なんだかとても不思議な気がした。
そのイベントで印象的だったことがあり、ブルーハーツメンバーのコスプレで出てきたバンドがあったのだが、演奏中にベースの人が上着を脱ぐと「幸福の科学」Tシャツが……!という小ネタがあったのだった。
勿論ライブハウスは笑いに包まれたのであるが、「ああ、こうして笑いに昇華せなあかんほど、ファンの間では未だもってトラウマなのだ!」と私は思ったのだった。ファンの間で語られるブルーハーツの解散理由のひとつは、ベースの「河ちゃん」の宗教問題だとされている。

 

私は14歳の頃、ブルーハーツが好きになり、それから一年くらい彼らのCDばかり聴いていた。
それまで、「リンダリンダ」などが流行っていることは知っていたけれど、クラスのイケてる子たちが聴くような音楽なんだと思っていた。でも、ギターのマーシーのソロ『RAW LIFE』を聴いて詩情とユーモアとアイロニーに衝撃を受け、バンドのほうも聴き始めたのだった。
『STICK OUT』『DUG OUT』はぎりぎりリアルタイムで聴くことができた。テスト期間で午前中に下校できた7月10日、レコード屋に寄って買って帰った『DUG OUT』、「ヴァージニア・ウルフの瑪瑙ボタン♪」で始まるそのアルバム聴いたときの幸福感は、今でも覚えている。
でも、『DUG OUT』を聴いたとき、子供心にも「このバンドは解散するんじゃないかな」とも思ったのも覚えている。こんな傑作を作ってしまって、この次に何をするのかまったくイメージできなかったのだった。でも、彼らのことだから、また何か新しいことをするんだろう、とも思った。


それから2年のブランクを経て、解散アルバム『PAN』が出たのは1995年のことだった。
1995年の春のことはよく覚えている。地下鉄でサリンが撒布され、オウム真理教強制捜査が入った。その日からマスメディアは、オウム一色になったのであった。
ご多分に漏れずオウム情報の中毒になった私は(ちなみにこのオウム体験はのちの自分史に影響を及ぼし続けるのだがそれは今は措いておく)、日々オウム情報を求めて本屋に通っていたのだが、ちょうどその頃、ふらりと入った本屋で、ブルーハーツのインタビューが載った音楽雑誌を見つけた。その頃はもう、以前ほど、彼らの音楽ばかり聴くという状態ではなかった(し何よりもオウムのことで頭がいっぱいだったのだが)、「復活!ブルーハーツ」の文字に、あ、解散するのかと思ってたけどまた何か始めるんだー、と頁を繰った私が目にしたのは、思いもよらない発言だった。

 

「僕凄い信じてるものがあって。まあそれは大川隆法幸福の科学っていう宗教団体なんですけれども」
ロッキングオンJAPAN、1995年6月号)

 


!??
ベースの河ちゃんのインタビューであった。この発言に対してインタビュアーからの直接的なつっこみは何もなく、そのまま話が流れてインタビューは閉じられていたので、それが、冗談なのか本当なのか分からないままであった。
幸福の科学って、「科学」って言ってるけどなんか宗教団体だよねえ? あの『太陽の法』のやつだよねえ? くらいの認識はあり、またオウム報道を通じて、大川という人が麻原と前世合戦を繰り広げたとかそういうことを耳にしてはいた。まさかあのバンドのメンバーが、そんな胡散臭そうなものを信じるとは思えない。なんといっても「神様に賄賂を贈り天国へのパスポートをねだるなんて本気なのか?」と歌った人たちである。が、冗談を言っているふうでもないし、だいたいそんな冗談を言う理由もない。(後で知ったところによると、既にファンの間では彼の信仰は有名だったらしいが、私はライブにも行ったことがなかったしファンの友達も身近にいなかったので知らなかった。)


その半月ほど後だったであろうか、文通(!)をしていたファンの子から、「ブルーハーツが解散するんだって」とわざわざ電話があった。私は、どっぷり聴いていた2年前は、「このバンドが解散したら自分はどうなってしまうのであろう……」とまで思っていたのに、さほど驚かず、「そうかあ」と思った。
雑誌の翌月号は、ブルーハーツ解散号であった。巻頭インタビューで河ちゃんは、「解散にあたってメッセージ」を問われ、こう答えていた。

インタビュアー 「で、ファンの人にメッセージをくれって言ったらヒロトマーシーもドライなんだ。あったかいのをお願いします。」
河口 「……まだ先のことは全然決まっていない。でもどうするか考えないとね、無職ですから(笑)。ただ一番みんなに伝えたいことっていうのは、やっぱりいまお釈迦様がこの地上に降りられてると、仏陀が下昇(※ママ)されてってことかなぁ(笑)。それも、この日本で。だからそれが大川隆法大先生であり、ほんと先生に出逢えて……感無量です! 感謝してます、ありがとうございます、としか言えないですね(笑)」
ロッキングオンJAPAN、1995年7月号)



そこでインタビューは終わっていた。
「本気やったんや……」と私は思った。

 

新しいアルバム『PAN』をとりあえず発売日に購入はしたものの、いつもの、新しいCDを再生するときのわくわく感はまるでない、変な感じだった。
歌詞カードを開いてみると、メンバー全員で写っている写真は一枚もない。メンバーそれぞれの写真は、それまでとファッションや写り方も微妙に違うようで、なんだか知らないバンドのようだ。河ちゃんページには、おそらく宗教的な主張を表わすなんだか不気味な写真もあった(当時は分からなかったが、今見ると、マルクス主義ダーウィン主義への批判が象徴的に表現された図像である)。
それまで慣れ親しんで聴いてきたバンドが急に別ものになったようなよそよそしさを覚えた。
オウム事件の中での離人感とあいまって、あの変な感じは未だに曰く言い難い。


『PAN』は、名義は「ブルーハーツ」だけれども、四人で演奏している曲は一曲もない。
四人がそれぞれ個別に作詞作曲し、バンド外のメンバーと演奏し、それぞれがヴォーカルをとった曲を寄せ集めたアルバムである。(ジャケットはビートルズホワイトアルバムを模してある。)
インタビューによると、もう四人で演奏する気にはなれないもののレコード会社との契約が残っていたために、こういう形で作らざるをえなかったようだ。


一曲目はいきなりドラムの梶くんの「ドラマーズ・セッション」で始まる。その名の通り、ドラマーたち(当時の有名ドラマーが集められている)のセッションである。これについてのおもしろ発言として、やはりブルーハーツファンであった友人は、「今やったら面白さが分かるけど、俺、当時は音楽っていうのはメロディがあって歌があるものやと思ってたから、『いつ歌が始まるんやろ?』て思いながら7分聴き続けてた」と語っていて笑った。たしかに私もそうやった! 二曲目はヒロトの曲「ヒューストン・ブルース」。これは、当時ヒロトが別バンドで演奏していた曲で、今聴くと凄くかっこいいのだが、当時、ブルーハーツヒロト曲には無かったパターンの曲であった。マイナー調でブルースぽく、やばい感じ。ハイロウズを経た後では、「ああこういうのがこの人は好きなんだな、ブルーハーツで見せてたポップ性は彼の一面に過ぎないんだな、こういうのがやりたかったんだな」と分かるのだが、それまでのブルーハーツのイメージと違い過ぎて、これもなんだか分からなかった。とにかく「なんか暗いし怒ってる!」という印象だけであった。
そして、河ちゃん以外の三人の曲が三曲ずつ織り交ぜられながらアルバムは進み、最後に河ちゃんの曲だけ四曲まとめて収録されている。当時の私はもう、それらの楽曲群に対して、脳の処理が追いつかなかった。
こんなめちゃくちゃなアルバムを、当時多くの中高生ファンたちが買って聴いたのかと、今思えばシュールすぎる。おそらく多くの人が、私や友人のように、なんかわけのわからんままそっとCDを抜き取り、しまい込み、ときどき「歩く花」(※アルバム中で唯一ブルーハーツぽい曲)だけを聴くために取り出すのみになったであろう。こうして『PAN』は、みんなのトラウマとなった。


で、今年、そのトラウマ語り会をしたことをきっかけに、『PAN』を改めて聴いてみた。
結果、当初聴いたときよりも更に、めちゃくちゃなアルバムであることが分かった。
こんなアルバムは世間にそうはあるまい!!


まず、ヒロト曲は、今聴くとめっちゃかっこいい。「ヒューストン・ブルース」は当時は分からんかったけど、アルバム中一番かっこいい。だが、何故、「ヒューストン・ブルース」(やばくてかっこいい)「ボインキラー」(やばくてかっこいいんだけどふざけてるようにしか聞こえない)「歩く花」(急にほのぼのとして往年のブルーハーツ風)の三曲をセレクトしたのか、意味が分からない。どういう方向性を目指しているのか、見えない!
梶くんの曲は、微笑ましいしドラムのアレンジなどはそれまでのブルーハーツになくて面白いと思う。でも、普通なら世に出ない習作みたいな感じだ。
マーシー曲は、この人だけがいつもの安定感であった。それまでもソロアルバムを出していたからか、切なさを湛えた独自の世界観で完結していて、ブルーハーツぽくはないけど普通にいい。今回、指摘されて初めて、「もどっておくれよ」(終わった恋への後悔の歌)→「バイバイBaby」(「思い出だけがきらめくようじゃ白けた人になりそうだ」)→「休日」(「いつの日かこの街を出ていく僕等だから」)と、解散を受け容れるような曲順に配列されていることに気づいた。別に意図してないのかもしれないけど。ストリングスのアレンジも、今聴くととてもきれいでぐっとくる。ただし、このアレンジに金をかけて赤字を出したため、低予算で仕上げた河ちゃん(※幸福の科学の人の助けを借りたから)のわがまま(自分の曲だけ最後にまとめて入れたいという希望)を受け容れる羽目になったという説があり(wikipediaによる説なので真相は不明だが)、友人曰く「『戦闘機が買えるくらいのはした金ならいらない』って歌ったバンドの最後が!金に勝てへんかったとは!」。


そして、最後にまとめられたその河ちゃん曲。
当時は脳がシャットアウトしてしまっていたのか、「そうは言ってもさすがに、ブルーハーツ名義で出す音楽にそんなこと(彼の信じる教団の教義云々)は反映させないであろう」という思いもあったのだが、今聴くと、あまりにもあんまりである!!


宗教音楽風のイントロ(なんでこう荘厳な感じになるのであろう)で始まる「幸福の生産者」では、

Right Right Right
Right Mind


世界中の心に 今も輝いてる
誰もが皆憧れてる 幸福の生産者


奪い合うものには後に 悲しみが待ち受けている
取り戻そう叡智を この世に神の夢
遥か彼方に超える夢 (念いに)涙は溢れてきた

 

とか歌っている。
まず「叡智」という言葉がブルーハーツの歌詞に出てきたことに驚きを覚えつつ、当時は「いや、音楽を創り出してファンを幸せにしてきた自分たちのことを歌っているのかも!」と解釈しようとがんばっていたものだが、いやいや、「幸福の生産者」って明らかに隆法やん。「誰もが皆憧れて」ねえよ!!
「Good Friend(愛の味方)」はなんかねばねばしたヴォーカルがちょっとむかつくものの、ギターソロはかっこいいし、アップテンポでいわゆるブルーハーツのパブリックイメージっぽい曲。だが、

最悪の事態にならなけりゃ 君は目もくれない
死んだらそれで 何も無いさと わかったふりをする
わかったふりして 暮らしても ふりに振り回わされ
廻るはずの大切なことを 止めてしまうよね


(おそらく他のメンバーに対する)説教!!
(ちなみにずっと、「廻るはずの大切なこと」て何だろうと思っていたが、今回「輪廻」のことか!とやっと気づいた。)


で、これに対して「ヒューストン・ブルース」は、

天国なんかに行きたかねえ
神様なんかに会いたかねえ


である。ロック的常套フレーズとはいえ、当時の別バンドでのライブverを聴いているとこの部分は本当に怒った声で叫ぶように歌われており、ぞわぞわする。
さらに、「Good Friend」が、

信じてゆく心 この世 あの世 つらぬいて


と歌えば(これも今回知ったが「この世とあの世を貫く幸福」は幸福の科学のキャッチフレーズである。ロックにハマりたての少年が覚えたばかりのかっこいいフレーズを自作の曲に引用するように、彼はハマった宗教の言葉を散りばめずにいられなかったのだろう)、「ヒューストン・ブルース」は、

生れ変わったら ノミがいい
生れ変われるなら ノミにしてくれ


である。
一枚のアルバムの中でメンバー同士で大喧嘩!! ラモーンズKKK超えや。こんなアルバムは滅多にないのでないだろうか。


勿論両者とも「これは○○のことを歌った」などとは明言していないし、たとえばインタビューしてみたならきっと、「音楽と実際の私生活は関係ない」と言うだろう。当人たちのキャラも、思想の是非をめぐって喧嘩しそうなキャラではない(知らんけど)。解散も、当人たちによって「宗教が原因」と語られているわけではなく、単に「このバンドでこれ以上のことができるとは思えないから」というように語られており、それは別に綺麗事でなく、本当に当人たちの感覚としてはそういうことなのだろうと思う。
よってつまらん勘繰りではあるのだが、人情としては勘繰らずにはいられないし、今聴くといっそう、もう殴り合いにしか聞こえない。こんなものが、「リンダリンダ」や「トレイントレイン」といった、ポップなヒット・ナンバーを産んだ「ブルーハーツ」の名義で出されていたのだと思うと、今となってはシュール過ぎて、面白くてならない! 前衛的すぎるよ……


さらに喧嘩は場外乱闘に至り、音楽雑誌に寄せた新アルバムについてのコメントの中で河ちゃんが

「ヒューストン・ブルース」は、神や輪廻を信じないというヒロトの無知な部分によって作られた曲であり、ファンの皆さんに申し訳ない。


といったようなコメントを寄せているのを本屋で立ち読んだ私は、いったい何が起こっているのか理解できず、事態についていけないまま、雑誌を棚に戻しふわふわと本屋を去ったのであった。


「さよならする、ダサい奴らと」と歌ってザ・ハイロウズがデビューするのは、麻原も逮捕されてずいぶん経った、その年の秋のことであった。