規制となんか大きなもの

ちょっと前、ついったー周辺で「瓜田事件」というのが盛り上がってた。
検索すると出てくるので詳細は省くが、瓜田純士という人(格闘家で俳優)がブログで、同性愛者に対するヘイトスピーチをおこない、それが「炎上」を呼んだ、というのがその概要である。彼のブログを読んだ人が、吉野家に抗議のメールを送るなどしたことから、話題になったと記憶している。


なんで吉野家かというと、ヘイトスピーチの内容が(これも検索すると出てくるので簡単に要約すると)、「吉野家で飯を食ってたら向かいの席にホモのカップルがいて頭に来て牛丼投げつけて殴った、生理的に受け付けない奴が目の前にいたんだから仕方ない」というものだったからである。このブログには「さすが瓜田さん」というようなコメントも付いていた。これに対し「吉野家は、店内で差別に基づく暴力が行なわれたのだからきちんとそれは抗議すべきではないか」との質問が吉野家に送られる。吉野家の答えは、「現在調査中です」というようなものであったと思う(調査の結果どうなったかは不明)。そうしているうちに、瓜田の発言はついったーを通じて拡散され多くの人の抗議の声が上がった。
と同時に、瓜田を擁護する人も出てくる。
瓜田に乗じて露骨な同性愛者差別の発言も見られた。(忘れられないのは、差別を糾弾する人に対して「男は男らしくするのが当たり前」とかいうかみ合わないやり取り。) が、多くの擁護派の言い分は、「あのブログはネタに決まってるじゃないか、ネタにマジで抗議してんなよ」というもの。瓜田自身も「牛丼投げたゲイは俺の友達で、ふざけてただけ」とかなんとか言い出した。
これは苦しい言い訳であるし、よしんばネタであったにせよ、例の記述は明らかなヘイトクライムではないか、と抗議派も反論。
議論はいよいよ盛り上がりを見せようとした。
見せようとしたところで、瓜田ブログが急に消えたのであった。


本人が消したわけでなく、抗議を受けたブログの運営側(アメーバブログ)が強制的にアカウントを停止したのであった。
抗議派はアメブロにも抗議を送っていたが、その抗議によって彼らが望んでいたことはこうしたことではなくて、アメブロ運営側が瓜田に対し、「この場で、このようなヘイトスピーチは許されない」ということを明言することであったろう。ブログを削除するにしても、臭いものに蓋式の削除でなく、その理由を明記したうえでそうすることであったろう。
だが、ブログの跡地には、「このブログは削除されました」という定型文だけがあった。
この瞬間、瓜田も私たちも同時に、アメブロに捨てられた者同士になったのだった。


この瓜田事件でわたしは、数年前、友人の勉強会で起こったというできごとを思い出した。
ジェンダーセクシュアリティに関するその勉強会は、メンバーの意見交換用として、mixiにコミュニティを作っていた。そのコミュニティのトップ画像は、女性の裸の下半身を描いた有名な絵画であった。

この絵は、セクシュアリティに関する独特の理論を立てた思想家が所有していたことでも有名であり、そんな事情の含意を込めてこの絵がトップ画像に選ばれたのでないかと思うが、勉強会内では、そのことに対し議論が起こったらしい。わたしはその勉強会メンバーではないので伝聞でしかなく、どんな意見が出たかという詳細は知らないのだけど、勉強会の際に、これについて長時間に及ぶ討論が起きたが決着はつかなかった、と聞いた。
で、議論が続く前に、どうなったかといえば、当該画像が、mixi運営側によって削除されたのであった。コミュニティ管理人のもとには、mixiからの、

「不適切であると判断した写真を削除しました。当サイトでは、卑猥な写真の掲載は禁止しております」

というようなメールが届いたという。


この、画像の作品が示しうる含意からも、それをめぐるメンバーたちのおそらく複雑な議論からも、またそれが芸術かポルノかなどというベタな論争からも遠いところにある定形文によって、論争は物理的に打ち切られたのだった。

 

だからどうだ、という話ではないが、これらのことからわたしは、太平洋戦争のときに起こったことを連想した。
戦前にあったさまざまな社会運動や文化運動の派閥や論争などが、戦争によって、一挙になかったようなことになり、その中にあった一部の人の欲望は、戦争によって叶えられたということ(たとえば、社会運動が弾圧される一方で、女性の権利獲得を目指す婦人運動の主張が戦争協力という形で叶えられたことや、相対立していた文学の各派がいずれも規制を受ける一方で従軍記者として仕事をする文学者があらわれたこと。)
上の話とはまた違う話だけれど、しかし、ややこしい議論が、そんなもんとはぜんぜん無関係ななんかでかいものによってなし崩し的に打ち切られる、という構図は共通している。そして、なんかでかいものに対する待望はつねにある。