どろぼう

 麦藁帽の老女。私。杖をついた老女。三名が順番に乗り込み扉が閉まろうというときに、
「ああ~ん、閉めちゃダメえ、待ってえ、乗せてえ」
 と若い女が乗り込んできた。
 妙に色っぽい発声だ。小さな駅のホームと改札階を行き来するだけのエレベータであるが、逃がしたら二度とは来ない天国行の列車が出てしまうかのように、大仰に息を切らしている。その芝居がかった一連の態度に反し、女はごく地味な風体だった。
 四名の女はエレベータの四隅にそれぞれ収まり改札階への到着を待った。四方を守る守り神のように。私は後方の一隅に、地味な女は私の前方に立った。
「ひぐっ、ううう、あはあん」
 突然地味な女が肩を大きく揺すり両手で顔面を覆った。泣き声が発されていた。
「あはあああん、✕✕だよぉ、✕✕よぉ、ああああ」
 麦藁帽の老女は何も見えぬかのように宙を睨んでいる。杖をついた老女は、女の泣き声にビクッと身体を震わせてみせたものの、無言である。何か声をかけたほうがよいのか。こうしたときは年嵩の者が何か声をかけるんじゃないのか。ほら、おばあさんってお節介だったりするし。だが老女たちは無言を貫いている。この雰囲気の中で声をかけられそうにない。それに声をかけるといって一体何と。「大丈夫ですか」?、いや大丈夫じゃないだろう。「✕✕よぉ」が「痛いよぉ」であれば「救急車呼びますか?」が使えるが、それは、「痛いよぉ」とも聞こえるし「ひどいよぉ」とも聞こえるし、「苦しいよぉ」「悔しいよぉ」と言っているようでもある。
 エレベータは改札階に着いた。ホーム階からわずか30秒もかからぬはずだが、ひどく長い時間を閉じ込められていたかに感じた。扉が開き、泣いていた女が降り、ボタン側後方に立っていた私が「開」ボタンを押して扉の開きを保持し、次いで二人の老女が軽く会釈しながら降りた。泣いていた女は何事もなかったように顔を上げ、普通の足取りでスタスタと歩いて改札の向こうへ消えた。「開」ボタンから指を離しながら最後に降りた私は、女の背中が見えなくなったのを確認し、やはり声をかけて何があったのか尋ねればよかった、と遅ればせながらに好奇心を覚えたがもう遅かった。


 改札を出、女が消えていった住宅街とは逆側へ折れる。仕事で疲れたので本来ならすぐに帰宅したいのであるが、今日は交番に寄らねばならない。盗難の被害届を出すのだ。
 先日、我が家の郵便受けに届いたはずの荷物が何者かによって盗まれた。昨今は、運送会社が投函してくれた時点で「配送が完了しました」という通知が送られてくるサービスがある。先日の昼間にその通知を受け取り、仕事から帰宅して郵便受けを覗いたが、届いたはずの荷物は無かった。運送会社に問い合わせたところ、間違いなく我が家の郵便受けに投函したという。

「ええ、確かにこのポストに投函したんスけどね、でも1ミリほどはみ出してたかもなんで、誰が引っぱり出しちゃったのかもっスね」

 わざわざマンションの集合ポストまで再度確認に来てくれた運送会社のドライバーは申し訳なさそうに言った。まだ若い金髪の青年だった。アルバイトかもしれない。
「とにかくこっちは投函はしたんで。あとは何もできないす」
 青年は簡潔に言い残して再びトラックで去った。自分宛ての荷物が自分が手にしないうちに消えてしまったというのは、なんとも頼りなく若干気味が悪い心持ちであるが、その心持ちに寄り添ってくれることを要求するのは、運送会社のサービスの範囲もアルバイトかもしれない青年の業務の範囲も超えていると思われるので、私はしばらく未練がましく集合ポストの前をウロウロしたのち部屋へ戻った。
 盗まれたと思われるものはたいしたものではなかった。通販で買った古着だ。特に高価でもない。しかし自分の郵便受けから誰かが荷物を引っぱり出したと思うと愉快でない。集合ポストのあるスペースの天井には監視カメラがついている。私はマンションの管理会社に頼み、監視カメラを確認してもらおうと思いついた。本当に盗難なのかどうかだけでも確認したい。

「えー? 監視カメラって、そちらのマンションについてましたっけ?」
 電話に出た管理会社の女性はそう言った。自分の会社の管理物件だというのにまったく自信無さげであった。
「ええ、集合ポストのスペースについています」
「そうだったかなあ、ついてなかった気がするんだけど」
 気がするも何も、カメラの存在はさっき見たのである。
「で、荷物が投函された時刻は分かりますんで、その後の様子を映像で確認していただくってできませんかね?」
「うーん、ちょっと見られるか分からないですね。もしかしたらダミーかもしれないし。前の担当者がやめちゃってそのカメラを誰がつけたのか分からないし、ダミーじゃなくても、映像の見方が分からないかもしれないです」
 女性は要領を得ないことを言った。映像の見方が分からないかもしれないなら、分かるか分からないかまず調べてくれればいいではないか。何のための監視カメラなのだ。この管理会社はいつもこうなのだ。以前、マンションの駐輪所の自転車がイタズラされたことがあった。ちょっと気味が悪いイタズラだったので、せめて注意喚起の貼り紙でもしてほしいと頼んだが、そのときも、「貼り紙ねえ、今ちょっと担当がいないんで、まあ担当に伝えるんで、様子を見て、必要があったら」と貼り紙程度のことで渋りまくり、結局うやむやになった。実際、人が次々辞めていく会社であるらしく、できるだけ人手を使いたくないのだろう。よほど労働環境が良くないのか、入居して四年で担当は五人以上交代しているし、この女性も本当に何も分からないのかもしれぬ。
「機会あれば担当に伝えておきますんで、盗難ならまずは警察に届けてくださいよ」
 まったくやる気のなさそうなことを言われ、じゃあそうします、ということにした。被害届を出すのは初めてだったので一応「盗難 被害届 出し方」で検索したところ、Q&Aサイトが見つかった。「盗難に遭って被害届を出したいんですがどうすればいいですか」という人に回答者たちが、「最寄りの交番で事情を話せば出せますよ」「印鑑を持っていきましょう」と親切に回答してやっている。しかし一名だけなぜか質問者にキレている奴がいた。
「被害届? あなたは正気ですか? やめておきなさい。そんな少額の盗難で被害届を出す人なんかいませんよ。いい笑い者になるでしょうし、市民の安全を守るため日々忙しい警察の方に迷惑です。第一、被害届を出したら出した側も無事では済みませんよ。被害者の側も指紋を取られますし私生活を根掘り葉掘り訊かれます。さらに自分の防犯意識の甘さを叱責されるでしょう。それでも被害届を出すんですか?」。
 なぜそんなに、おそらく他人と思われるこの質問者が被害届を出すのを阻止しようとするんだ、泥棒本人なのか?



「盗難の被害届を出したいんですが」
 交番に入ると、蒸し暑い駅前から一転冷房が効いていた。デスクに掛けていた若い警官が顔を上げた。
「盗難というのは、どういった?」
「自宅の郵便受けから荷物を盗まれまして」
「ほほう、どうして盗まれたということが分かりました?」
「運送会社から投函済みの通知が来たんですが、その荷物が入ってなかったんです」
「一戸建てですか、マンションですか」
「マンションです」
「マンションですと集合ポストですか」
「そうです」
「近隣に誤配されている可能性はないですかねえ?」
「運送会社のドライバーさんにも既に問い合わせたんですが、たしかにうちの郵便受けに投函したとのことでした」
「ふーむ」
「どうした?」
 上司らしきスキンヘッドの警官が奥から現れた。
「盗難だそうです。郵便受けから荷物を盗まれたとのことで」
「どうして盗まれたということが分かりました?」
 スキンヘッドの警官は若い警官と同じことを尋ねた。
「運送会社から投函済みの通知が来たんですが、その荷物が入ってなかったんです」
 私も同じ内容を繰り返した。
「一戸建てですか、マンションですか」
「マンションの集合ポストです」
「んー、近隣に誤配されている可能性はないですかね?」
「ないです。運送会社のドライバーさんにも既に問い合わせました」
 同じことを繰り返させられ、私は若干苛立った。最初にこちらの勘違いである可能性を排除しておかねばならないのは理解できるが。ひと通りの確認ののち、「では詳しく状況を聞かせてもらいます。まずはお名前、住所が分かるものを見せてください」とやっと若い警官がメモを取る姿勢に入り、私は免許証を出した。
「フモレスク荘の502号室、こちらの集合ポストで被害があったということですね。502号室ということは、お住まいは5階ですか」
「いえ、4階なんです」
「502なのに? 4階なんですか?」

 久しぶりに訊かれた。そう、私のマンションには「4階」が無いことになっていた。物理的な4階はあるのであるが、部屋番号にもエレベータの階数ボタンにも「4」は無い。4を抜かして3階の次は5階ということになっているのである。これは日本にはよくあることで、「死」に通ずる「4」、「苦」に通ずる「9」は忌み番号とされ、それを抜かしてナンバリングされることがある。子供の頃、近所の駐車場には4番が欠けており、親に「4は死に番だから避けているのよ」と教えられて以来、その駐車場の前を通ると背筋がゾワッと冷える感じがした。欠落しているということが逆に、不穏な何者かの存在を強く示しているように感じられたのだった。だがそんな習俗にもすっかり慣れて、最近は502号室が4階であることに特に何の感慨も抱かなくなっていた。

「失礼ですが、何か、思い当たるご近所トラブルは無いですか? こうした場合、単なる盗難というよりも、近所の人が怨恨で厭がらせをしているというケースもあるんです。たとえば騒音トラブルとか、マンション内の揉め事とか」

 ふと、302号室のおっさんの顔が頭をよぎった。
 302号室のおっさんは、階段やエントランスで遭うとやたらじっとりした視線でこちらを凝視してくる人物だ。302号室は3階であり、4階である我が502号室の真下である。もしかすると私の足音や声がおっさんの気に障っている可能性がある。私は一人暮らしであるからさほど喧しくすることはないはずだが、時折過去の腹立たしい記憶などを想起して、
「ああああ、ひどいよおおおおお、死にたいよおおお」
 と叫んでしまう悪癖があった。
 また、私はひそかに、以前に住民の自転車に変なイタズラをしたのもこのおっさんでないかと疑っていた。おっさんは日中にマンションのエントランスや駐輪所の付近を何をするでもなくウロウロしていることがある。痩せた背を丸めながら不審な挙動をし、目だけがいつも物言いたげだ。しかし、警察に言うほどの確証があるわけではなかった。

「いえ、無いと思いますね」
 と答えるしかない。若い警官は難しい顔でメモを取り、スキンヘッド警官も後ろでふむむと唸った。
「では、盗まれたものについて詳しく聞かせてください。その荷物の中身は何でしたか?」
「衣類です」
「ネット通販か何かで買われたんですかね? 新品ですか?」
「古着です」
「価格はいくらでしたか」
「古着なので安いもので……680円くらいです」
 警察二人の手を煩わせて被害を訴えるには少額であるので、私はやや恐縮した。
「680円くらい、と。ええと、どのような衣類ですか? トップスとかボトムとか、アウターとか」
 若い警官は若いだけあってオシャレな表現をした。
「シャツ……です」
「どんなシャツか詳しくお聞かせください。色は何色ですか」
「黒系、だったかな」
「何か模様は入っていますか」
「……ロゴが入っています」
「ロゴということは文字ですかね。ブランド名ですか? 英語?」
「日本語………だと思います」
「日本語のロゴね。何というロゴですか?」
「………エロ本は自分で買え」
「はい?」
「……エロ本は自分で買え、です……」


 これについては説明させてほしい。「エロ本は自分で買え」という文字がプリントされたシャツを、何も、外出着にしようと思って買ったわけではない。現に交番にいる今は特に変哲もないワンピースを着ている。この二年間、大学時代の友人らと月イチでオンライン女子会を開いている。その会のために購入したのである。
 この飲み会は、コロナ禍のあおりを喰って失職したA子を励ますという主旨で始めたのが最初であった。その際、さぞ落ち込んでいるだろうと思われたA子は、「同情するなら職をくれ!」と昔の人気ドラマのパロディの文言が墨字で大書きされたTシャツを着て画面に現れ、「そんなもんどこで見つけたんだ」「失職したのに無駄な金使うなよ」と爆笑をさらったのだった。幸いA子は無事新たな職を見つけたが、これを発端に、オンライン女子会の際は互いに面白Tシャツを見せ合うのが習いとなった。各自くだらないイラストやダジャレやネットミームが書かれたものを着て現れては、誰のものが一番笑いを誘うかを競うようになった。私も先月は、写実的なリンゴの絵の上に「バナナ」という文字がプリントされたシュールなTシャツで優勝を勝ち取った。次回も優勝を狙うべく「Tシャツ ネタ」「Tシャツ 面白」「笑いをとれるTシャツ」などの検索ワードでネットショップを徘徊する中で、「エロ本は自分で買え」Tシャツに巡り合ったのである。一時期、海外で日本語のグッズが流行り、作っている側も意味を知らない日本語を適当にプリントしたグッズが出回ったらしい。これはそうした、天然の面白Tシャツのひとつであるようだった。
 さらにその文言は、仲間うちで有名なB子の逸話と響き合っていた。惚れっぽいB子は学生時代、そこそこクズな彼氏と付き合っていた。サークルで同学年だった彼の愛嬌と優しさに惹かれて付き合い始めたのであったが、どうも彼氏が家に来た後に財布の中身が減っていることにB子は気づいた。恋人同士の気安さであろうと当初は大目に見ていたが、二度三度と続くと気になって信頼のおける先輩に相談したところ、先輩も、彼がサークル部屋の備品をいくつか失敬していることが気になっていたというのである。そこから、彼と懇意のサークルメンバーがことごとく盗難被害に遭っていることが判明した。中には、彼を家に招いた後、本棚からエッチな漫画だけが数冊なくなっていたという男子もいて、B子はそれを聞いて途端に情けなくなり別れを決めたそうだ。その後もB子はそこそこクズな男とばかり付き合っているが、そのたびに「エロ漫画泥棒よりはマシでしょ」「もしかしたらエロ漫画泥棒よりひどくね?」と彼を引き合いに出すのがわれわれのお約束であった。

 このようなコンテクストがあったうえでの「エロ本は自分で買え」であったのであるが、今はおそらく、そのコンテクストを詳細に説明することは求められていなかった。他にも通販で買ったものは多々あるのに、まさかピンポイントで「エロ本は自分で買え」シャツが盗まれるとは思っていなかった。


「すみません、ええと、確認ですが、そのシャツにはロゴが入ってるんですよね?」
「はい……エロ本は自分で買え、と……」
「エロ本は自分で買え? というロゴ? ですか……?」
「そうです」
「それがシャツに書かれてあるの?」
「そうです」
 二人の警官は、私の頭から爪先の間に素早く眼差しを往復させた。
「………」
「………」
「『エロ本』の『エロ』は片仮名、『本』は『本物』の『本』でよろしかったですかね。で、『は、自分で買え』……ですね?」
「はい……」
 若い警官とスキンヘッドの警官はいったん奥にひっこみ、何かを相談していた。私は壁に貼られている指名手配犯の特徴が書かれたポスターを見ながら待った。ポスターはずいぶん退色していた。冷房のパワーが落ちたのか、急に交番内が蒸し暑くなった。汗を拭こうとしたところで警官が奥から出てきた。

「お待たせしました。では、盗難ということだろうとは思われますが、まずは防犯カメラを調べます。防犯カメラの映像によって、たしかに盗難であることがはっきりしてから被害届を出していただくのがよいでしょう。管理会社には私どもから連絡を取ります。その後にお電話を差し上げますので数日お待ちください。どうもお疲れさまでした」

 若い警官がそう説明して目を伏せ、スキンヘッドの警官はスキンヘッドの汗を拭いた。


***


 なんとなく交番に相談した時点でひと仕事したような気になってしまっていたが、数日後の朝に電話がかかってきた。
「こちら、警察署の防犯カメラの係の者でございます」
 防犯カメラの係というのがあるのか。愛想の良さそうな、笑いを含んだ声音であった。
 防犯カメラ係の人は、先日私が交番で話した盗難発覚の経緯をもう一度改めた後、管理会社に連絡をして防犯カメラをチェックしたいので、それにあたって犯人との区別がつくように私の特徴を教えるように言った。
「髪は短くていらっしゃいますか、長くていらっしゃいますか」
「ボブカットといいますか……」
「ボブというのは長い髪型でございますかね?」
「いや、長くはないですが、ショートカットでもなくて……」
「オカッパヘアーということでよろしゅうございましょうか?」
 カリカリと音が聞こえた。「オカッパヘアー」とメモされているのだろう。声から推測するに初老の男性らしい防犯カメラ係は「ボブカット」の語彙を持たぬようであった。

 電話を切り、外出するためエントランスに降りると、ちょうど302号室のおっさんが入ってくるのとすれ違った。302号室のおっさんは、また駐輪所のあたりで何かゴソゴソしていたようだった。私は、少しワクワクするような気持ちになった。
 行きがかり上で被害届を出しはしたが、もともと届を出すほどの盗難でもないし――レアなネタTシャツが失われたのは無念であるが千円にも満たない少額であるし、管理会社の頼りなさからして防犯カメラがダミーである可能性も高いし、解決を期待してはいなかった。だが、防犯カメラ係の人から具体的に連絡があったことによって、もし犯人が写っているなら見てみたい、という気持ちが膨らみ始めた。運送会社の若いドライバーが荷物を投じてから、私が夜に郵便受けを覗くまでの間に、何者かが我が家の郵便受けの細い隙間から荷物を引っぱり出す、その瞬間の様子が写っているのだ。その映像を想像するとき、いつの間にか想像図の中の犯人は、痩せた猫背の中年男になっていた。それは302号室のおっさんの背中であった。


 数日は何事もなく過ぎた。その間に今月のオンライン女子会もあり、私は残念ながら、そこそこ面白くはあるが「エロ本は自分で買え」には及ばないTシャツで参加せざるをえなかった。このシャツについては語るほどの面白さでもないので省略する。だがいつものメンツで馬鹿話をできたことで気は晴れた。昨今は職場で気になっている悩みもいくつかあったのだった。そのひとつは後輩に関することなのだが、それについては特に、学生時代に心理学を専攻していたC子からの助言を得ることができたのが収穫であった。この問題については後で機会があれば述べる。


 数日後、警察署からの着信があった。私はすっかりワクワクしながら電話を取った。
「防犯カメラの係でございます、お疲れ様でございます。あの後ですね、無事に管理会社さんに連絡がつき、防犯カメラの映像を確認することができました」
 防犯カメラはダミーではなかったのだった。いい加減な管理会社だと思っていたがやるではないか。私が電話した際は要領を得なかったが、警察権力が働きかければ動かざるを得なかったようだ。期待が膨らんだ。
「ところがですね、何者かが郵便受けから荷物を盗む場面がですね、撮れておりませんでしたのです」
 防犯カメラ係はゆったりとしたテンポを崩さぬまま申し訳なさそうなトーンを作ってみせた。
「映像はですね、72時間で消えてしまうということでして、該当の場面はすでに残っておりませんでした」
 頭の中で膨らんでいた映像が、しゅうっと萎んでいった。

 既に、盗難があってから一週間が経っていた。だが、私が管理会社に電話をしたのは盗難の当日であり、交番に行ったのはその翌日である。電話をかけた時点で管理会社がデータを保全してくれていれば、交番に届けてすぐに警察が動いてくれていれば、映像は残っていたであろう。何のために早めに連絡したのだか分からない。しょぼい盗難事件だからよいものの、大事件であったら重大な初動の遅れじゃないか。
 失われたデータには、何者かが荷物を持ち去る瞬間がたしかに写っていたであろうに、その瞬間は、永久に失われてしまったのか。もともと期待してはいなかったはずなのに、そう考えると失われた映像がたまらなく惜しく感じられてきた。頭の中の想像の犯人像はへなへなと萎んで影になり、しかし集合ポストスペースの片隅に、灼け付くようにいっそう黒々と存在感を増した。

「そのようなわけで、犯人の姿を見るということは残念ながら相成りませんでした。しかし同じようなことがまた起こりますといけませんから、刑事課へ被害届をお出しになるのがよろしいかと存じます」
 防犯カメラ係は、慇懃ではあるがちっとも残念ではなさそうな口ぶりで言った。ならば最初に交番に行ったときに届を出させてくれればよかったのである。二度手間だ。
 慇懃に電話が切られた後、小一時間ほどして再び電話が鳴った。またも防犯カメラの係であった。何か新たな進展があったのかとかすかに期待して電話をとった。

「何度も重ねて失礼します。先ほどの件に関しまして、報告書を作成しなくてはなりませんので、少し詳しくお聞かせ願います。盗まれたのは衣類とのことですが、どのような衣類でしょうか?」
「シャツです」
「どのような模様のシャツでございましたか?」
「ロゴが書かれています」
「ロゴというのは文字でしょうか、何と書かれておりましたか?」
「エロ本は自分で買え、です」

 初老の防犯カメラ係に聴き取りやすいように私は、明瞭に発音した。電話を切った後、外出がてら集合ポストを覗いた。何も異変はなく当然ながら相変わらず犯人の痕跡もない。監視カメラはこちらを向いている。犯人の映像は失ったくせに撮らなくてもいい私の姿を録画している。私が降りてきた次の便のエレベータで、302号室のおっさんが降りてきたので少しドキリとした。おっさんはまたもこちらをじっとりと見やりながら外へ出て行った。ふと、部屋で警察と電話していた声は下階にも聞こえただろうか、と気になった。いつもより意味ありげな視線であった気がした。



****


 数日後、被害届を出すため警察署へ向かった。
 680円の変なTシャツにもうそこまでの執着はなかったが、防犯カメラ係の人が言ったようにまた同じことが起こらないとも限らず、そんなことが続くと気持ちが悪いし、もし同じマンション内に犯人がいるなら捕まえてほしいと考えたのだ。
 警察署内は広い。まずは総合受付のような窓口へ向かった。防犯カメラ係からは「こちらで記録は残しておりますので、あとは刑事課でそのことを仰ってください」と言われていたので、
「盗難に遭って被害届を出したいんですが、既に交番に相談し、こちらの防犯カメラ係の方ともお話させていただいております」
 とわざわざ経緯を話したのに、受付の女性は内線電話に、
「盗難に遭ったって人が来られてます」
 と、ごく簡潔に報告したのみだった。

 階段を上り刑事課のある階へ案内された。刑事課のある階では、赤ら顔の警官が待ってくれていた。室内ではなく、廊下に置かれたパイプ椅子に掛けさせられ、そこで話を聴かれるようだ。廊下には冷房が無く蒸している。
「盗難ということですが、なぜ盗難と分かったんですか?」
「郵便受けに配達完了したという連絡が運送会社からありまして」
「運送会社には問い合わせましたか? 誤配の可能性は?」
 私はまたも交番や電話でしたのと同じ説明を繰り返した。署内の記録を共有すれば話は早いだろうに。不思議なもので、同じことを何度も話しているうちに話し方が演技的になってきて、まるで自分がウソを言っているような気がしてくる。
「どうも暑い廊下ですみませんね、扇風機もなくて」
 話しながら汗が浮かんできたのを見てか、警官が謝った。警官もぎちぎちと制服を着込んで暑そうである。この赤ら顔の警官は、話の確認の際にやたらと小芝居を入れるのが特徴であった。また、こちらが語っていないディティールを勝手に付け加えてもきた。

「ほほう、では、運送会社から通知が来ておたくさんは『あら、届いたのね』と思われた、と。そして仕事から帰ってマンションの自動ドアを抜け――」
「自動じゃないです」
「自動じゃないドアを開け、ダイヤル錠を回して郵便受けを覗いたところ――あるはずの荷物が無い!となったと。そこで『おかしいわね、なぜかしら』とお思いになったけれどいったん階段で部屋に戻られて――」
「エレベータです」
「エレベータで部屋に戻られて、運送会社に電話を入れた、とこういうわけですね」
「はい」
「ところが運送会社のドライバーは『いいや、知らねえな、たしかに投函したよ』と言った、そこで『じゃあ盗まれたんだわ』とお気付きになった、と」
 運送会社のドライバーも私もそんな喋り方はしていないが、私は「はい、はい、そうです」と頷いた。赤ら顔の警官は、私の台詞を喋るときには心持ち声のトーンを上げ、女性的な抑揚とちょっとした仕草を加えてみせた。
「いや、暑い廊下ですみません」
 小芝居の際のオーバーアクションのせいで赤ら顔に汗をかいた警官はもう一度謝った。
「ちなみに、こうした場合は怨恨によるいやがらせというケースもありますが、これまでマンション内のトラブルや揉め事はありませんでしたか?」
「特にありません」
「類似の事件やイタズラは?」
「いえ、特に。強いていうならこれまで、駐輪所の自転車にイタズラ書きをされたということはありましたが、もうだいぶ前のことです」
「ほう、イタズラ書きとは?」
「私のだけでなくて、駐輪所にあった住民の自転車が全部、泥除けのところにナンバリングされていたんです」
「ナ、ナンバリング? どのようなことですか!?」
 警官は、上体を後ろに反らし両のてのひらを見せるオーバーアクションをした。地の反応も小芝居的なのであった。自転車のイタズラはもう一年ほども前のことだ。しかしその不可解さのため今でも印象的であった。
「意図は分からないんですが、一台ずつに、1、2、3……と番号が勝手に振られていまして。それだけなんですが、気味が悪かったんです」
「なんですかね、それは……!! たしかに気味が悪いですねえ!」
 警官は大袈裟に気味悪がってくれた。
「その犯人は思い当たらないですか? はっきり根拠がなくても、直観的にアイツが怪しい、とか」

 私の中では302号室の痩せた猫背の像が膨らんではいた。何かのマーキングなのか、何らかの呪術か単なるいやがらせなのか不明であるが、暗い目をした302号室が夕闇の駐輪所で1、2、3……と番号を振っていく。だがその想像は、直観というにしてもあまりに根拠が薄かった。

「いえ、ちょっと分からないです」
「そうですか。それで、今回盗まれたものですが、シャツ、ということですね。これはネット通販で買われたのでしょうか」
「そうです」
楽天か、アマゾンか、そのようなサイトを見て、『あら、かわいい服!』とお思いになってご自分で購入されたわけですね」
「そうです」
 正確には違ったが私は肯定した。
「では、被害届に詳細を記載しなければならないので、どんなシャツか教えていただけますか。まずはサイズを教えてください」
 これまでサイズの情報は訊かれなかった。地味に初出である。
「Sサイズくらいですかね」
「Sサイズね、小柄でいらっしゃいますからね。お色は?」
「黒系です」
「黒ですね。模様は入っていますか? 花柄とか、レースが縫い付けられているとか」
「ロゴが入っています」
「ほうほう、ロゴの入ったシャツですね。なんというロゴですか?」
「エロ本は自分で買え、です」
「はい?」
「エロ本は自分で買え、と書かれています」


***


 では被害届の文書を作成してきますので十五分ほどお待ちください、と警官は部屋の中へ退き、私は廊下に残された。じっとしていても汗が流れる。十五分が経ったが警官はまだ戻って来ない。部屋のドアが開いたのでやっとかと思いきや、出てきたのは別の警官たちで、そのタイミングで誰かが階段を上ってきた。年配の婦人が汗を拭きながら現れ、警官らの姿を見つけると軽く会釈をしたのち嬉しそうに訴えた。
「映ってたんです! やっと犯人が分かりました!」
 継続的に何かの被害を相談していた人のようだ。警官にUSBを渡している。自身で設置した防犯カメラのデータを持ってきたらしい。
「犯人の姿、ばっちり写ってたんです!」
「思った通りでしたか?」
「やっぱりそうでした!」
「分かりました。ではいったんデータをお預かりしてこちらでも保管させていただきます」
 詳しい事情は分からないが、嬉しそうな婦人の様子を見ていると羨ましさが湧いてきた。何の被害に遭われたのだか知らないが、その瞬間の様子を映像として得ることができるだけで靄が晴れることもあるだろう。
「でもね、悩んでるんです。やっぱり若い子なの。高校生か、もしかしたら中学生かしら。そんな自分の息子、いえ孫くらいの子でしょ。捕まえて懲らしめてやると思ってましたけれど、その子の将来のことを考えたらなんだか……」
「どうなってますんや! 植木のことは!!」
 次なる苦悩を語り始めた婦人の声は、新たにフロアに現れた男性の怒鳴り声で搔き消された。
「ほんまに! 困っとるんですわ! それを調べる調べるいうて、あんたらはちっとも! こっちは犯人ももう分かっとるんですわ!」
 また別の警官が対応に現れる。
「分かりました、分かりました、では改めてお名前、ご住所、ご年齢をお聞かせください」
「お名前、ご住所ぉ? こないだも別の奴に教えたがな!」
「改めて報告書を作成しますので」
「ご年齢は、当年とって七十八! ご住所は……」
 爺さんの個人情報が大音量で刑事課の廊下に響き渡る。その隙間から二重奏のように、婦人の哀切な声が聞こえる。婦人のUSBを預かって部屋に引っ込んだ警官が駆け出てきた。
「失礼します! 今映像をこちらでも確認しようとしたんですが……奥さん、写ってないです、肝心のところが写ってないですよ!」
「お待たせしました!」

 やっと赤ら顔の警官が書類をもって現れた。十五分ほどと言ったが三十分以上待たされた。

「少々作文に時間がかかっておりました、では一緒に被害届の文面をチェックしてください」
「そんなはずないですよ! 娘と一緒に家のパソコンで映像を観ましたから」
「その後、データをいじられませんでした?」
「ええからさっさと捕まえてくれや! これで何個目の植木やと思うねん!」
「私は、八月三日の夜、」

 婦人の戸惑いと爺さんの大声の中で、私の被害届もそこそこの音量で読み上げられることとなった。別に人に聞かれて困るような内容でもないが、個人情報保護の時代であるにもかかわらず、廊下にいる一同のプライバシーは互いに筒抜けであった。

「私は八月三日の夜、何者かに郵便受けから荷物を盗まれました――エー犯人が分かりませんのでここは『何者か』という表現にしております――。同日の昼、運送会社から『配達が完了しました』というメールが来てました。しかし私が夜に郵便受けを見ても、荷物は入ってませんでした。私は運送会社に確認の電話をかけ……」

 被害届の文章は、被害者の話をもとに警官が作文する。その際、被害者の一人称という形がとられる。しかしそういうフォーマットとはいえ、この私を指す「私」の一人称で他人が書いた文章を読み上げられるのは、奇妙な感じがした。それに、微妙に文章が下手だ。「私は」「私が」がやたら多いし、「来てました」「入ってませんでした」などの「い」抜き表現も気になる。仮に実際にこの「私」が書くなら、もう少し整った文章を書いてみせる。文書の性質上、表現の端正さを競うものではないのでよいのだが、自分が書くより下手な文章を自分の一人称のていで書かれるのは愉快ではなかった。
 同時に、被害届という本来味気ない文書でありながら、警官が書いた文章は、どこか色付けが感じられた。被害者が男性であれば、ひょっとすると彼はもっと上手い文体で書いたのかもしれない。どことなく、書き手が稚気や女性性を演じているような文体だ。そうだ、下手な一人称小説に似ている、と私は思った。実は私も趣味で小説を書いたことがあるのだが、そのときに躓いたのが、語り手の設定だった。

 例のオンライン女子会で「5兆円ほしい」とか言い合っていたときに、皆から「あんたは文章が上手いんだから小説でも書いて一発当てれば」「あたしらをネタに使ってもいいよ、売れたらモデル料分けてね」などと言われて、その気になって書き始めたのだった。しかし書き始めていきなり挫折した。三人称の語りにするとなんだか硬くなり、一人称の語りにするとわざとらしくなってしまう。自分より賢い語り手は作れないので、自分より知的に劣っている語り手を設定してしまうのだが、そうすると、中の人がその人物を侮ったうえでバカを演じているようなわざとらしさが出てしまうのだ。といってわざとらしさをなくそうとすると、語り手と自分が完全に同化してしまい、小説というよりエッセイのようになってしまう。小説の良い語り手とはなんだろう? 理想的には、作者と別個の人格と知性を持ちながら、作者に憑依してくれて、かつ、作者も知らない真実へと連れていってくれるような語り手が良い語り手なのだろうけれど――。そんな理屈を捏ねているうちにつまらなくなって筆は進まなくなり、翌月のオンライン女子会では一応「文豪」とプリントされたシャツを着てはみたものの、小説は書きかけのまま放っておかれていた。

 しかし赤ら顔の警官の書く一人称被害届には、そのような迷いは見られない。この「私」という別人格を演じることに、語り手の中の人はどこかはしゃいでいるような印象であった。
「運送会社のドライバーによると、マンションのダイヤル式――ダイヤル式でよろしかったですね?――の集合ポストに、1ミリはみだした状態で荷物を投函したということでした。被害にあった荷物は、私がインターネットの通販サイトで気に入って購入した衣類です。Sサイズで、黒で、日本語のロゴが入ったTシャツで、価格は680円(時価)でした。」
 ロゴの文言は記載されず「日本語のロゴ」として処理されていた。全文と受理番号が読み上げられたのち、私が押印し、被害届は受理された。用は済んだが、儀礼として、警官は何か訓示的なコメントをしなくてはならないようだった。
「しかし、これですぐに犯人が見つかるということはないと思います。実際、郵便受けから配達物が抜かれるという事件はしょっちゅう起こっておりまして、この区だけでも一日に何件もあるんですよ。先ほどは、マンション内での怨恨の場合もあると申しましたけれども、ほとんどは関係のない通りすがりの人間のしわざです」
「そうなんですか」
「手癖の悪いやつが通りすがりにひょいと覗いて盗っていく、そんなケースが多いですね、そうなると防犯カメラに写っていたとしても、犯人の特定は難しいのですよ」

 頭の中で、駐輪場の薄闇や集合ポストの傍らに黒い影を落としていた猫背の男のイメージが、途端にふよふよと崩れ始めた。差し込んだ日中の光の中で、彼はふよふよと姿を変え、やさぐれた青年になり、やんちゃな女になり、どこにでもいそうな真面目そうな会社員になり、悪戯盛りの子供になった。

「そんなに盗難が多いなら、どう対策するのがいいんでしょう」
「そうですねえ、誰もが出入りできるマンションとなるとなかなか、難しいですね。一番の対策としましては、郵便物が届くときには必ず家にいて郵便受けの前で受け取っていただく、というのがよいかと思います」
 私はにっこりと笑った。
「そうですよね」

 ふよふよと形を変えた人物は、やがて形をもたない風のような姿になり、スッとマンションの扉の隙間から透明の腕を伸ばし、軽やかに配達物を奪って去った。風のようだから防犯カメラもその姿を捉えられない。私は、先日のオンライン女子会で皆に相談したことを思い出した。職場の後輩のことであった。私に懐いてくれている真面目な男の子であるのだが、最近おかしなことを言い出した。当初は、取引先からのメールの誤字や、他の社員がドアを開閉するタイミングなど、やたら細かいことについて「不思議だと思いませんか?」と問うてくるだけであったので神経質な子だなと思っていただけだったが、仕事帰りに二人で茶をしたとき声を潜めて、自分はある大きな影の組織に監視されておりメールの誤字やドアの開閉はそれに関するメッセージだ、ということを打ち明けてきたのだった。どう考えてもありえない話であったが、
「見ました? 今、僕が話を始めたタイミングで奥の客が席を立ったでしょ? あれは組織の監視員です」
 と囁く彼の目はマジだった。
「最近はその妄想が気になって仕事中も上の空っぽいし、こっちも二人になるたび変な話を聴かされてストレスになってきたわ。なんとか、そんな話ありえないって説得できないもんかね」
 と愚痴った私にC子は、
「そういう妄想はね、絶対にこっちが何を言っても修正できないんだよ」
 と言った。
「どんだけ反証を挙げても、彼の中ではすべての現象が、自分の妄想が真実だっていう一点につながっていくんだから無駄だと思うよ。周囲にできるのは適当に話を聴き流して、あとは医療につなげることだけ。相談できる上司とか産業医っていないの?」
 心理学かそこらへんの知識があるだけあって、C子は「ネコ吸い番長見参――人間はネコ様の奴隷です」と書かれたTシャツを着ているわりに、的確そうなことを言った。
 そして今のコレは、その逆回しみたいだ、と私は思った。つまり、後輩において、メールの誤字、ドアの開閉のタイミング、席を立った人、目に映るすべての現象が、影の組織の存在の確信という一点へ集約されていくことが起こっているとするなら、私の中では、諸々の謎の煮凝りであった猫背の黒い影は今や薄れ、302号室のおっさんの意味ありげな目つきは意味を失い、光の中の透明な無数の人物へとほどけて拡散していった。その代りに、なぜかこれまで余り想像に上らなかった、風のような人物が手にとった私の荷物に、イメージはフォーカスされていった。風のような人物は、夏の光の中をふわふわと駆けながら、風のように盗みとった包みを開く。包みから、「エロ本は自分で買え」と書かれた黒い布が出てくる。風の怪盗は、なんだこりゃ、と呟き、その服を路上に、あるいはどっかの建物の植え込みに、あるいはコンビニのゴミ箱に捨てる。あるいは風の怪盗は、案外気に入った「エロ本は自分で買え」シャツを、部屋着として自宅で羽織っている。寝巻きにしてくるまっている。一年前、また別の風の怪盗が、キラキラ光る油性マジックを握りながら気まぐれにマンションの駐輪所に迷い込んだ。並んだ自転車の泥除けに、ピカピカ光る油性マジックで、1、2、3、と番号を振っていく。自転車の点呼を取る自転車の神様のような気分で、白い歯を見せて笑いながら。3、まで書いたところで怪盗は、「4は縁起が悪いから飛ばそうか」とためらったか、どうか。

電話に関する思い出2件

 「援助交際」を介するものとしてのテレクラが話題になったのは、ちょうど私が高校生くらいの頃であったが、私も子供の頃に、テレクラに電話をかけたことがある。


当時、河原町へ行くと、あちこちでテレクラの電話番号が入った宣伝ティッシュが配られていた。テレクラというのは、若者はもう知らないかもしれない。「テレホンクラブ」の略であり、あとは私も詳しくないので適当に調べてほしい。とにかくテレクラ全盛期だったので、宣伝ティッシュのデザインもそれぞれに工夫を凝らしていた。うちは家族がことごとく慢性鼻炎なのでティッシュをこまめに貰っていた。当初はただけばけばしいデザインのものが多かったが、次第にブランドのロゴをパロるなどスタイリッシュなやつも登場し、中には一見オシャレな絵柄でエロを連想させるデザインのものもあった。今はそうしたものはもうちょっと気を遣って配布するのかもしれないが、当時12、3歳の自分にも普通に配られた。
当時の私は、ティッシュは受け取っていたものの、テレクラそのものは、自分に関係のないものだった。周囲では「なんかやらしいおっさんが使ういかがわしいもの」という語られ方であった。いかがわしいものに興味がないではなかったが、自分は知らん人と会話をするのは苦手だし、テレクラなるものを使ってどうこうというのは別の世界のことだった。が、あるとき、ティッシュを見ていて急に、「この番号に電話をしたらつながるんやなあ」と思った。

 

積極的に他人と会話がしたかったわけでもないし、男性と知り合いたかったわけでもない。好奇心ともちょっと違うし、暇つぶしというのでもなかった。つまり、なんでかよく分からないのだが、ふと「電話してみよ」という気になったのだった。いくつかあったティッシュにプリントされた番号から適当なものを選び、当時はケータイなどもなくイエ電であるので、家族が周りにいないときに電話をかけた。
「やらしいおっさん」が出るのだろうから、そうしたら、歌を歌うか般若心経を唱えるかして切ろう、と考えた(祖母の教育により私は当時般若心経を唱えることができた)。テレクラを利用するような「やらしいおっさん」は揶揄ってもかまわない、と考えていたのだろうが、まったくもって何のためだか分からない。

 

数コールののちに、男が電話に出た。
「もしもーし」
嬉しそうな男の声が言った。
歌でも歌う(か般若心経を唱える)予定であったが、相手の声を聴いた途端、喉に何か詰まったかのように声が出なくなってしまった。

 

私はそもそも発声というものが苦手でハードルが高い(これは今もだが、声が上手く使えない――女性にしては低音であることが理由のひとつか)、ということもあったが、それと、そこに、生身の男性がいることに気づいてショックを受けたのだと思う。
電話をかけるまで思い描いていたのは、戯画化された概念としての「やらしいおっさん」に過ぎなかった。しかし、電話に出たのは、欲望をもった生身の男の声であった。
それは、親戚のおじさんや学校の先生や近所の人といった、身近な男性を連想させるような、それでいてそうした身近な男性がそれぞれの立場から私に話しかける声とは全く違った声であり、それまでになかったリアリティをもった声だった。電話の向こうにそうした誰かが実在するというリアリティの前に、私は声を失ってしまった。


「もしもしー、もしもし? いるんですかあー」
と男の声が言う。私は受話器を握りしめたまま何も発せなくなっていた。
「もしもし? 恥ずかしがらずにしゃべろうよお」
恥ずかしがる? 私は恥ずかしがっているのか? イヤなんか違う。しかし、もはや今更般若心経を唱える感じではなくなっていた。
「いくつですかあ? ねえ、OLかな?」
「もしーもし、もしもしっ、もおーしもしッ」
「はずかちくないでちゅよ~ 話そうよ~」
男はなだめすかすように、高い声を出したり低い声を出したり、素っ頓狂な声を出したりした。大人の男が相手(女)に喋らせるためにこんなアホみたいなおどけ方をするのか、というのも初めて知ることだった。猫撫で声とはこういうものなのか。何か応えたいのはやまやまだったが、もう、私の持てる声の中に、これに対処できる声がなかった。物理的に発声できなかった。
黙ったまま、どうしよう、どうしよう、と思っていると、相手は思わぬことを言った。

「ははーん、分かったぞ、おまえ、男やな」

予想外の結論であった。なぜそうなるのか? 女が悪戯で揶揄っていると考えることもできるはずなのに、自分を揶揄うものは女ではありえないというその確信はどこから来るんや?  一方、また別のことでふしぎな気にもなった。当時の私は、男の子になりたいとしょっちゅう思っていた。だが周囲からは女だと思われているし、まあ実際そうだった。なのに私のことを知らない見知らぬおっさん(おそらく)から、このような疑いをかけられて、まるで何かを言い当てられたような気もしたのである。

 ともあれそんな私のふしぎな気もちは相手には関係無い。彼は、さっきまでの猫撫で声でのおどけ口調からがらりと調子を変え、
「貴様、昼間からしょーもないことしてるんとちゃうぞ、くそ、ダボ、ボケが」
と口汚く罵って電話を切った。
私は、向こうから電話を切ってくれたのでほっとした。

 


***


電話に関する変な思い出はもうひとつある。

上記の事件の背景として、この少し前に、たまに「突然知らん人に電話をする」ということをしていた。テレクラ突撃もこの延長線上にあったものと思われる。
端的にいえば悪戯電話であるのだが、私自身は、いたずらな気持ちはなかった。


それは、電話帳で女性名を探して電話をかけるというものだった。当時、電話帳を読むのが趣味だったが、電話帳の名前は世帯主の名前で登録されてあり、世帯に成人男性がいる場合はたいてい世帯主は男性名であるので、女性の名前で登録されているということはその家に成人男性はいないということだ、と考えた。この「女性名を狙っての悪戯電話」というのは、今思えば犯罪者の発想である。
電話をかけ、年配と思われる女性が出ると、
「間違えました」
といったん切り、しばらくして再び同じ番号にかけて、
「さっき間違い電話をしたものですが、優しそうな声の人だと思ったので、もっとお話ししたい」
と頼むのであった。
なんでそんなことをしようと思ったのか分からない。4、50歳くらいの中年の女性が良かった。中年の女性なら優しいはずだという思い込みがあったのだと思われる。ただ、そこに何を求めていたのか、母性を求めていたのか? といわれるとよく分からない。


あるときは、「人生相談」をするところまで辿り着いた。
電話帳から適当にピックアップした番号に電話をかけ、
「私、11歳で、〇〇××と申します。さっき間違い電話をしたときに、優しそうな声の人だと思って、この方なら相談に乗ってくれそうと思って……」
と言うと、相手は、
「えっ? なんで? 相談って何?」
と戸惑った様子だった。そりゃそうである。名乗った名前は、吉本ばなな(当時学校で流行っていた)の小説の主人公の名前を拝借したものだったと思う。
「悩んでいることがあって、誰かに聞いてもらいたいと思って」
「でも、知らない人に相談なんておかしいんじゃないの? そこに他に誰かいるんじゃないの?」
相手は、複数人による悪戯電話の可能性を疑っていた。これもそりゃそうなのであるが、ていうか実際悪戯電話なのであるが、この疑いはまったく予想外のものであり、私は傷ついたような気分になった。
「誰かと間違ってない? なんで私に?」
「ですから、さきほど間違い電話をしたときにお声を聞いて……」
そんなやりとりを繰り返しているうちに、女性が、
「まあいいわ、どんな悩み? 私でよければ」
と言ってくれた。(よく切られなかったものだ。)
しかし、私には、特に本当に相談したいことがあるわけではなかった。とりあえず、みのもんたにかかってくる電話をイメージして話した。

「家族の仲が良くなくて、特に、母と祖母の仲が悪いんですけれど、どうしたらいいでしょう」

そもそもが口下手なので、あまり面白くは話せず、そんなことをざっくり言った。たしかにこの頃、母と祖母の仲は良くなかった。同居しているにもかかわらず二人の間には会話がなかった。だが、それが他人に相談してどうにかなることとも思っていなかったし、他人に相談したいと思ったこともなかった。そもそも別に解決したいことでもなかった。なんでそんな「相談」をしたのか分からない。女性は「うん、うん」と一応相槌を打ってくれたが、また、
「後ろで声がしてない? やっぱり誰かいるんでしょう」
と言い出した。まだ悪戯電話を疑われていたのだ。まあ悪戯電話なのだが。私の予想では、「相談」をすれば相手は「まあ、大変ねえ」とかなんとか優しく相談に乗ってくれて美しく会話が進むイメージになっていたのでこの疑いはノイズだった。
「ほら、後ろで話し声がしてる」
と相手は言っている。正真正銘私一人であるのに心外だ。階下でテレビがついていたので、おそらくその音が聞こえていたのであろう。
「誰もいません、テレビの音だと思います」
「えっ、これ、家からかけてるの? テレビを見ながらかけてるの?」
「テレビは家族が見てます」
「ご家族が一緒にテレビを見てるの? じゃあそんなに仲が悪いわけでもないんじゃないの? 一緒にテレビを見れるくらいなら、何も悩むことないんじゃないの?」
「はあ」
「それでも悩みがあるっていうなら、おばさんでは分からないから、どこか別の、そういうところへ相談してみたら?」
「そーですよね、別の、そういうところがあるんですよね」
「そう、そう」
まったく妥当な回答であった。私でも、なんだかよう分からん子どもから今そんな電話がかかってきたらそう回答するだろう。「どうも聴いてくださってありがとうございました」とお礼を言い、電話は終わった。その後しばらく、「逆探知されて警察に届けられていたらどうしよう」と、ほぼありえない可能性でビクビクしていた。ビクビクするくらいならやらないほうがよいことのうちの最たるものである。しかし、今であればこういう、不特定の他者に向かうなんだかよく分からない衝動というのは、インターネットの中でごくふつうのものとして消化されているのかもしれない。


それにしても奇怪なのは、私は実は電話が苦手であったということである。今でもメールで済ませられることならメールで済ませたい派であるが、子どもの頃から電話は苦手で、友人宅に電話をするにも台本を作るほど緊張していたし、自宅にかかってくる電話を取るのも嫌いだった。それなのにどうして、そんなことをしたのか分からない。

コンタクト屋のチラシ配りの思い出

長らく派遣会社に登録して、試食販売やイベントスタッフなど日雇いのバイトをしていた。その派遣会社の主な派遣先に、コンタクト屋のチラシ配りがあった。


コンタクト屋のチラシというのは、街角で配られて嬉しくないもののひとつであろう。ティッシュならまだ使い道があるがチラシは単なる紙だし、そもそもコンタクトを使う人以外は必要ない。私自身も街角で配られて絶対に受け取らないもののひとつであったので、やってみるとむしろ、「こんなにもらってくれるんや」と意外であった。


昔のことなので今は変わっているかもしれないが、基本は4時間4000円(派遣元にはこの倍が払われているようだった)、1回の配布枚数が一定を超えれば報奨金(といっても500円ほど)が出た。一定とは500枚とか600枚とかだったが、逆にいうとそれが、超えるのが難しいラインだった。神業と呼ばれる派遣スタッフがおり、その人は繁華街でも600枚を配り切るという評判で重宝されていた。チラシ配布など誰でもできる仕事だと思われているかもしれないが、上手い下手があるのだ。繁華街でも、と書いたが、場所も重要だ。最も受け取ってもらえるのはショッピングモールの駐車場である。のんびり入ってきた家族連れにチラシを差し出すと、たいていその一家の誰かがもらってくれる。それに反して繁華街では、なかなか受け取ってもらえないばかりか暴言を吐かれることもあり、イヤなスポットであった。また、当時作成した「もらってくれる人ランキング」は、「1. おじいさん 2.男子中高生 3.おばあさん 4.おじさん」の順になっている。逆に、絶対にもらってくれないのは、オシャレな人と、手をつないでいるカップルであった。

 

大きな交差点が繁華街で配るときの定位置だった。ここはコンタクト屋以外にも、飲食店、ヘアサロン、カラオケ屋などいろんな屋が競ってビラを配っており、無言の連帯感が生まれるのは楽しいことであった。
私は基本的に、「こんにちは、○○(店名)でーす」という「こんにちは型」の口上を愛用していた(長いフレーズを喋るのが苦手であるためシンプルな口上がよかった)。すると周囲の飲食店やカラオケ屋もいつの間にか「こんにちは○○でーす」を始める。次に誰かが「どぞー、○○です」に切り替えると、ついつい「どぞー」につられてしまい、その一帯で「どぞー」が流行り出す。私が「お得になっておりまーす」を開発すると、皆次々に「お得になっておりまーす」に感染していき、「お得な○○でーす」などアレンジする者も現れ、お得はうちが始めたんやーー!!と思うなどした。

 

そのチラシ配布アルバイトを、真夏の暑い中、体調の悪い日にやる羽目になったことがあった。


私は夏風邪を引いて胃腸も壊していた。そこへきて七月下旬のその日は、その夏の最初の猛暑であった。配布場所は京都の繁華街の一角であり、屋外なので屋根も冷房もない。派遣会社は仕事をドタキャンするとペナルティが発生するので休みづらかった(これは法的に問題があるとして後から話題になった)。向こうの都合で突然仕事がなくなることはしばしばあったのに、勝手なもんである。
最初は、それでも4時間くらい乗り切れると思ったが、時間も折り返しに差し掛かった頃、気分が悪くなり目が回りだした。「これは最後までもたんかも」と思い始めたとき、小柄な老女に「お嬢ちゃん、がんばってるんだね」と声をかけられた。

はいありがとうございます、と答えつつも、別にコンタクトに興味があるふうではなかったので放っておいたが、おばあさんは何か言いたげに横に立ち続けている。しばらくして再度こちらへ寄ってきたおばあさんはおもむろに話し始めた。

 

お嬢ちゃんよ、あんたがそうしてがんばっているのを見ているとね、あたしは或る男の子のことを思い出したんだ。あれは三年前、大丸の前だったか、朝早くに三時間、夜遅くに三時間、時給850円って言ってたね、やっぱりそうやってチラシを配ってる男の子がいたんだ。冬の寒い日も、雨の降る日もさ。あたしはね、九州から出てきたんだが、九州で子供を五人も産んだんだよ。でも、五人とも娘でね。一人でも男の子が欲しかった。娘ばかり五人産んだんだがね、やっぱり息子が欲しかった。だから、あの男の子――自分で稼ぎながら勉強してるって言ってた、あんな立派な男の子を持った母親って、一体どおんな幸福な気持ちだろうってね。

 

配る手を止めるのは嫌だったが(ノルマはないが配布枚数が多い方が喜ばれるので)、しばし動きを止めおばあさんの話に耳を傾けることを余儀なくされた。おばあさんは私が仕事中であることを一向に気にする様子もなく語り続けた。おばあさんは名乗った。
「あたしの名は、スナフキン・エミ。売れない画家、放浪の画家さ」
たしかにおばあさんが引いていた重そうなカートには、画材でも入っていそうであった。

 

あの男の子はもうとんと見なくなったから、今頃は夢を叶えて、立派な弁護士になってるんだろうさ。名前のひとつも聞いておけば、この売れない画家、スナフキン・エミの絵葉書でも送ってやれたものを。あんたも覚えておいておくれよ、このスナフキン・エミは、いつでもそこの、なか卯にいるからさ。

 

そう言っておばあさんは交差点の向かい側のなか卯を指した。「(いつでもなか卯にいるんかい!)」と心の中でつっこみつつ、私もなぜか、
「わたしは、村田と申します」
と名乗った。スナフキン・エミは、そこだけ濃い水色のアイシャドウを載せた目を細め、
「ムラタさんかい、覚えておくさ、あんたも夢に向かってがんばるんだよ」
と言い去っていった。
「花の命は短くて、苦しいことのみ多かりき、――これは『放浪記』の林芙美子の言葉。おフミさんは、そういったんだ。それに対して、おエミさんはね―― タンポポの 花も咲かなきゃ ただの種――これが、この、スナフキン・エミの言葉だよ。覚えておいておくれよ――」
よく考えれば何がどう「それに対して」なのか分からなかったが、その日はなんとなくスナフキン・エミのおかげで元気が出たような気がし、最後まで倒れることなく業務を終えた。スナフキン・エミは、チラシはもらってくれなかった。

嘘の思い出

初めて嘘をついたのはいつのことか覚えていないが、初めて「なんぼでも嘘がつける!」と悟ったときのことをよく覚えている。


幼稚園の送迎バスから、祖母に連れられて家に帰る道である。
幼稚園でこんなことがあってん、と報告する中でカズミちゃんの話をした。カズミちゃんとは同じ園に通う近所の子であった。今日カズミちゃんがこんなことしはってん、と私は話し、へえそんなことしはったんか、と祖母は相槌を打ったのであるが、カズミちゃんはそんなことはしていない。要はウソの話をしたのだった。
特に自分の得になるようなウソでもなく、何か面白いウソでもなかったと思う。なんの理由でそんなウソを言ったかは分からないが、言ってしまって、「ああ、ウソを言うてしまった!」と怖くなった。ウソをつくのは悪いことだと日頃習っていたからだ。(その可能性は低かったが)祖母がカズミちゃんに「こんなことがあったんやて?」などと話してカズミちゃんが「そんなことあらへんかったで」と言えば、私の話がウソだと知れてしまう、と不安になった。そうなったらどうしよう、と考えてその瞬間、悟ったのだった。

もし祖母がカズミちゃんに確認しカズミちゃんが「そんなことあらへんかったで」と言ったとしても、もう、過去に遡ってどちらが真実か確認するということは絶対にできない。だから「カズミちゃんはたしかにそうした、私は見た」と言い張れば、それが本当かもしれないことになるのだ。
あるいは、嘘をついたやろと責められたとしても「私はそんなことは言っていない」と言い張ればいい。そのとき――私が嘘を言った瞬間――は既に過ぎ去って失われたのであり、そこに戻って確かめることはできないのだから、私が「言っていない」と言えば言ってないことになるのだ。
――と、4歳か5歳なのでこんなに筋道立った言葉で考えたわけではないが、だいたいこの通りのことを思った。
これは、大変な発見だった。過去は、過ぎてしまえばそのものとしてはもうなくなってしまう。だから誰もそこに戻って真実を確かめることはできない。だからなんぼ嘘をついてもそれが嘘でない可能性が残るのであって、じゃあ私はなんぼでも嘘をつくことができるのだ。それを考えるとクラクラッと気が軽くなった。


とはいえ、現実にはやっぱり、嘘は嘘とバレてそれで諸々の不都合が起きたり嘘をついたやつが信用を失ったりする。というのは世界には記録や証拠や私の言葉と相反する真実を知る信憑性ある他者の証言というものがあるからであって、嘘はなかなか万能を保ってはくれない。が、時折、偉い大人の人や地位ある人が、あたかもなんぼ嘘をついてもバレないと思い込んでいるかのような嘘のつき方をしたり、そんでもってすぐバレる嘘をついたりする場面に行き遭うことがある。そのたび、あ、この人の感覚、私が4歳のときに悟ったやつと同じなのでは? 分かるぜ! と思うのである。

 

ところでそれはそれとして、上述の「別に何の得にもならないウソをついてしまう」という現象はなんだったのか。実はこの癖はその後も続いて私を悩ませた。意図せずしてどうでもいいウソが口から出てしまい、どうでもいいことで、「ウソを言ってしまった」という罪悪感に苦しむことになる。
どのくらいどうでもいいかといえば、たとえば、小学生のときのどうでもいいウソ2選は以下のようなものである。(本当にどうでもいいので読んでも面白くないと思う。)

(1) 小学校の廊下の床には拭き掃除でも取れない細かなシミが浮いていた。それについてクラスの友人に、「いとこの学校でも同じ現象があるらしく、いとこが調べたところ他の学校でも有名らしい。そしてそれは霊のしわざという噂らしい」という話をした。そもそも床のシミ自体がどうでもいいことであり(誰も気にしない程度のシミだった)、作り話としても別に面白くない全くどうでもいいウソだった。「霊」という概念は当時クラスで流行っていたので、友人は「そうなん」と納得したようだったが、このウソはそれ以上展開することもなかった。だが「万が一いとこと友人が会ってしまってこの話になったらどうしよ」「友人が親に相談して霊現象でないと分かったらどうしよ」としばらく心配していた。

(2)「同級生Nちゃんの家はおせちにパンの耳を揚げたやつを入れる」というウソ。子供の頃しばしば、祖母がパンの耳を細かく切って揚げて砂糖をまぶしたものをおやつに出してくれることがあり、まあまあ気に入っていた。あるときそれを食べながら、「Nちゃんちはこれを正月のおせちに入れはるんやって」という話をした。別にその話をしたからといって、祖母がそのおやつを作ってくれる頻度が上がるわけでもないし、何か笑いがとれたり自慢になったりする類の作り話でもない。祖母は「へえ、家によっておせちもいろいろやな」とコメントしたものの薄い反応だった。例によってその後しばらく、「Nちゃんが遊びに来たときに祖母がこの話をしたらどうしよ」と不安を抱え続けていた。

 

以上、本当にどうでもいい嘘の話であり、本当にどうでもいいのだが、こうした嘘がバレるんじゃないかと不安になったときはいつも、「もし嘘だとバレたとしても、最後にはみんな死ぬんや」と考えて心をなだめていた。みんな死んでしまえば、何が嘘かどうかなんてどうでもよくなるし、嘘がバレて恥ずかしいとか後ろめたいとかもなくなってしまう、と、皆の死に期待をかけていた。どうでもよすぎるほどにどうでもいい嘘には不釣り合いに重い期待であった。

 

満月

月と同じに満ち欠けする俺たちの黒目は、廻る黒い円盤に合わせて広がったり縮んだり、同じ刺激-反応を何度も何度も阿呆みたいに、パブロフの犬は尾も振っていたの?


日曜の朝起きて頭の中で流れていた歌をふと口ずさんだら、ぺぐれす(仮)がTechnicsのプレイヤーに載せて回し始めたのは98年の音源だ。わたしたちは好きな音楽が似て同じ巣に棲むに至ったが、日頃はそんな話もあんまりしない、だけどこうして年に何度か突然に祭が始まってしまう。
そうなると、20年も前に初めて聴いて以来さんざん聴いた盤であるのに、何度も馬鹿みたいに踊ったり唸ったり語彙を失ったりし、しまいには自律神経もみょんみょんしてしまう。
そんでその日もすっかりおかしなテンションで休日を過ごす羽目になり、ターンテーブルマットの上で次に廻るはバームクーヘン、99年製の、年輪を追ってレコードの溝をくるくる廻っては左右にふれる猫の尾がふるふる。またこの感じかあ、わたしたちは失笑。この感じは14歳のときにあった。なんだろね、強度になった音が流れ込んだ内側から、つやつやの黒い銃を360°ぶっ放したい、だけど銃など持たないのではけ口を失った体液が体内でちまちまと煮え続けるだけ。


そのやり場の無さをわたしたちは何度も何度も。
休日の一日を、みょんみょんする交感神経を持て余したわれわれは無駄に自転車で走り始め、春の空気はぬるくて全然ピリッとしないが、昂奮したままお喋りを続ける。その盤にまつわる四方山を提供し合うのも何度も目かな。初めて聴いた頃のこと、その数年後のことやその数年後のこと、あのとき聴いたレコード、あのとき観たライブでどうこう、バームクーヘンの年輪に刻まれたそれらは廻り廻って新しく精製されるバターであって、思い出話のようだがぜんぜん思い出話にならない。過去の話のはずであるのにどこまでも現在のことで、充分眩しい初春の午後であるはずが光を取り込みすぎる開いた瞳孔のせいで痛い。そうする間も高速回転する盤上で、右へ左へ翻弄されつつ溝を追うのもまだまだ元気な老猫である。


わたしたちは、98年に聴いたレコードの話をする。同じ部分を何度も聴いては「かっこええ! かっこええ!」と言い合う。なんでギターがこの音からこの音へ移動するだけで「うおおお」となるのかとか、なんでここで打楽器がドドドドパパンととなるだけで「わあああ」となるのかとか、なんでかっこええと笑ってしまうのかなど、音楽のメカニズムはまことよう分からん。と言い合う。感動とか衝撃とか陳腐な表現だが適切な語彙がなくて困るね、音楽の感動は感動というよりも時に心的外傷に似ていて、「十四才」の比喩はまさに秀逸であるな、一発目の弾丸は眼球に命中、で、抜かれた眼窩は穴が開いたままや。ぺぐれす(仮)はその外傷に忠実であった。次は自分が撃つ側に、穴を穿つ側になってみたかったんだろう、少年は傷の蠢きを再現・再建しようとして楽器をもったんだと思う。ロックンロールに囚われちゃったら死ぬまで自由になれないんだって、と溜め息つきつつも、たまにかっこええやつをやる。いいね、会心の射出やん。
一方ですぐ文章で処理しようとしてしまうわたしはしかし語彙が圧倒的に不足。身体反応の記述以外にどう表せばええんか、比喩的表現以外でどう写せばええんか、困るなあ。ペンを武器に喩えて粋がってもペンはペンやし。赤い楽器をゴトリと置いたぺぐれす(仮)が寝静まってのち赤いノートをくぱっと開いちゃみたものの、しょぼいペン先からしょぼい分泌液をぽとぽと落とししょぼい白紙をしょぼく湿らすのみ。


もよんもよんした未分化の情動を散文に置き換えるはわたしにとって嗜癖的作業であったはずなのに一方でなんか味気なく。下手なせいかな。散文によって音楽製外傷に言及するんはちょっと足りない。下手やからかな。昔ロック雑誌で、音楽をセックスに喩えてる人がいて、よう分からんかったんですけど、それが性愛に似てるところがあるとするなら書かれることとの相性悪さかもしれませんねえ。かつて、まったき一体感の幻想を歩いたのち小指を解き八条口で見送る、電車が発車して残される際の、非言語の世界から言語に戻り、ペンを杖のように帰るときの、馴れた道具取り戻してどこかほっとすると同時に未分化の全能を去勢されたみたいな味気なさや。硝子張りの西口エスカレータ上より覗く、うっすら姿を見せた月はどうやら丸く、埋まったかと思うた眼窩がまだ空洞やった。

 

引き続き休日のわたしとぺぐれす(仮)は無駄に自転車で走り回りながら話した後、意味なく回転寿司屋に入り回転する寿司を捕まえる。120円の皿を獲っては広げて水玉状。皿を並べつつもまだ延々と、あれのイントロのここがかっこええよな、みたいな話をしており、四十も過ぎてまだこんなに浮かされたような気分になることがあるんですなとしみじみする。本当に本当に、十四歳時の外傷がまだフレッシュなのだね。くるくる廻るターンテーブル、くるくる廻る寿司のレーンで目も回りそうで、普段より一度ほど高い感じがするけど検温は平常やった。寿司を食べてまた無駄に走ってはお喋りして帰ってきたらば夜になっていたけれど、身体が妙に元気だから夜道を歩いて春の花を見にいこうということになる。わたしたちはフワフワ歩く。
郊外の夜道には誰もいない。時々遠くでバイクの声がしてまばらな街灯が路面に反射している。十四歳時に落としてきた、夜道に転がったわたしたちの眼球が、上転して月を見ている。暗いガード下を通り光る水路沿いを歩く。〇枚目のアルバムじゃどの曲が好き? 2曲目、おれもおれも、あれはハープとギターの掛け合いが好き、一緒一緒、だの、20年前から似たような話をしてるのにおしゃべりは止まらず、思わぬことで意見の一致を見て盛り上がっては、そんな話は20年前にしておけよ、とかセルフツッコミを入れ。口実の春の花を見上げると一緒に空が見え、いつしか雲が出て満月はおぼろ。どこまでも歩けそうではあるけれどそこで引き返し、引き返しつつもまだ浮足立っている深夜の路肩で、自動車が一台横転していた。警察が数名と、野次馬らしき人がいくらか集まっている。目撃者の一人が、中には二人乗っていたみたいです、と言っている。一人は既に助け出されました、もう一人の人はどこへ行ったのか分かりません、と言う。

 

 

 

 

引用:「十四才」(THE HIGH-LOWS)、「終身刑」(フラカン

尼崎toraの年越しの思い出

何年か前に、尼崎toraで年越しをした思い出を書く。なんで今書くかといえば、特に理由はなく、単に、面白かったなアと思い出したからである。

 

尼崎toraは、尼崎にある小さなライブハウスである。ぺぐれす(仮)のご縁でときどき行くようになった。出演するわけでなく客として観に行くだけであるが、いつもいろんな人が出ていて面白い。
立地も面白い。阪神の駅から長く伸びる商店街をずっと奥へ歩いた市場の一角に、ひっそりと、煤けた扉がある。最初に行ったときは、「こんなところにライブハウスが本当にあるのか?」と疑いながら商店街を延々と歩いた。辿り着いた市場はほぼシャッター街なので、ライブの始まる時間には既に闇の中である。暗い中手探りで入口を探す。

 

私は音楽は好きだがライブハウスはちょっと苦手だ。別にライブハウスが悪いわけでなく、単に人が集うところが苦手というこちら側の事情である。だがtoraは、なぜかあまり怖くない。理由は分からないが。スタッフさんたちが気さくであるためかもしれないし、手作り感のある雰囲気のせいかもしれない。ライブハウスというより「サークルの部室」的な雰囲気がある。サークルに属したことがないので実感のない喩えだが、サークルの部室が心地よくて入り浸る人というのは、こういう雰囲気を味わってるんやろな、という感じがする。


その尼崎toraの年越しイベントは、大みそかの明るいうちから始まり、日付が変わるまで続くというものだった。

昼間に着くと、フロアには畳が敷かれその真ん中にはちゃぶ台が置かれて皆が酒を飲んでいた。ライブハウスというか、「広い友達の家」感であった。
イベントは、日頃toraによく出演している演者が少しずつ持ち時間をもらい順番に演奏するという主旨であった。演者と客への一年の感謝を込めるという意味もあったらしく、
「2000円飲み放題(店の酒がなくなるまで)」
という触れ込みであった。
ステージに上がる人は、出る人出る人「はよ歌い終わって酒飲みたいです」と言い、実際降りるなり酒を飲んでいた。ライブというより「来た人が順繰りに歌っていく飲み会」のようだった。
私は酒を飲むとすぐ眠くなるので、途中で壁にもたれてうとうとしてしまった。その間の演者には悪いが、音楽が流れるところでうとうとするのは心地よかった。ライブハウスといえばでかい音であるが、騒がしい中で居眠りしてしまうくらいリラックスできるというのはふしぎなものだ。ぺぐれす(仮)が、轟音渦巻くライブハウスと誰もいない温泉は全然違うのに似てる、ということを言っており、それは、独りにさせてくれる場所、ということなのだと思う。片や音の中で、片や湯の中でではあるけれど、どちらも、ひととき外界から離れた孤独の場所を提供してくれるということだと思う。
私のライブハウス苦手というのも、おそらくは、来た人同士の社交とか皆で一体になって盛り上がろうみたいなノリが苦手なだけであり、本来そこは、音の中で独りになれる心地良い場所なのだ。

 


ライブハウスなのにカレーが異様に美味いというのもtoraの特徴である。レトルトのカレーでなくてちゃんと美味い肉が入っている(コロナ禍で営業できないときはカレーのデリバリーが行われていた)。この日もカレーを食べたが、昼から夜までの長丁場なので、カレーだけでは足りず、いったん抜けて近くの回転寿司で小腹を満たした。戻ってくると、いなかった小一時間の間に、場は更にぐでぐでになっていた。
皆ええ按配でステージに野次を飛ばし演者がいちいちそれに応えていた。この、野次によりステージとフロアに謎の一体感が生まれている、というのも、toraでよく見る風景である(たまたま私が行く回が野蛮寄りなだけで野次が飛ばない日もあるのかもしれないが……)。
toraはいろんなジャンルのいろんな人やバンドが出演するが、この日も、超上手いアコギ弾き語りの人、ピアノでポップソングを歌う人、「今どきこんな無頼派みたいな人がいるのか!」て感じのブルースマン、などいろんな人が出ていた。
そんな中で、私が特に見たかったのは「エンゲル係数」さんだった。
持参した大フリップをめくったりスクリーンに自作PVを流したりしながらギターを弾き語るステージであり、そのPVやフリップに異様に手間がかかっている。採算度外視なのである。そして、日常の些細な疑問や知識を歌った歌、といえばありがちなあるネタだと思われるかもしれないが、独自の視点の吸引力があり、魚卵について歌う歌やヒアリについて歌う歌が始まったときにはポカンとしていた初見の客たちは、秋刀魚の一生について歌う歌が始まる頃には次第にその世界に巻き込まれ、最終的には磁石と鉄について歌う歌で、一同拳をあげながらコール&レスポンスの大合唱となっていた。ええ大人たちが大晦日に何をしているのか? また、エンゲルさんの凄いのは、ギターも歌も妙に不安定なのに、本人には謎の安定感があるところである。その音楽にはときどき、全然違うはずなんだけど、ブルーハーツ的なポップ精神とパンク精神が感じられる。自分の世界をもっていてそれを淡々と表現する人は強い、と思わされた。


終盤には「スーパーギタリスト」が登場するとプログラムにあったので、「あー最後になんか上手い人が出るんやな」と思っていた。だが、クイーンの曲に合わせて登場したのは、紙袋で作ったへなへなの仮面をかぶったエアギターの人であった。いや、プログラムには「ギタリスト」とあるが、持っているのはベースであった。さらに、ストラップがないのでずっと左手で支えていなくてはならず、右手しか動かせないエアベースである。「誰やねん!」と野次が飛ぶ。

しかし、一曲弾き終えた(※弾いてない)スーパーギタリストが紙袋を脱ぎ「なんかすみません……」とステージを降りようとすると、まさかのアンコールが発生。 We are the champions が流され(※その前に別の曲が流れたが「それはできません」とスーパーギタリストが拒否したのだった……エアなのに)、再びエアギター(※エアベース・右手のみ)が始まると、場は異常な盛り上がりを見せた。「みんな立てや!」という声に煽られ、一斉に客たちが立ち上がり、何人かがステージに押し寄せた。ちなみに煽ったのは、別にスタッフでも演者でもなく一人の客であった。誰なんだ。ステージに乱入した人々は肩を組み満面の笑みで合唱を始めたが、一同サビしか歌えていない。

 めちゃくちゃやりにくい雰囲気の中、トリの演者が登場すると同時に、ライブハウス内には蕎麦の出汁の香りが充満し始めた。年越し蕎麦をふるまってくれるというのである。ますますライブハウスなのかなんなのか分からない。演奏途中で蕎麦が出来上がってしまい、トリの演者はギターを抱いたままステージで蕎麦を食べた。蕎麦に気を取られる客たちの前での熱唱、アウェイなはずなのに見事だった。

 

その後、年越しまで微妙に手持無沙汰な時間が余ってしまい、ギターを持つ人々がセッションを始めるものの、これもまた間がもたず、それぞれが「年越しまでまだ〇分もあるよ~」「それまで歌うことがない~」などと歌っていく形になる。それにしても音楽をやる人は皆即興でなんやかんやできるのがすごいなと思う。自分はこうした芸がないので、感心するばかりである。一方では、アーティストでもあるスタッフさんによるライブ・ペインティングが始まった。「俺の背中をキャンバスにしてほしい」と名乗りを上げた客がステージに上がり、「毛が絡んで描きづらい!」と言われながらも、背中に絵筆で絵を描かれてゆく。混沌のうちに年越しの瞬間となったが、スマホを見ながらそれぞれが「年越しまであと30秒!」「いや、あと1分!」「あと20秒」と違う時間を言い始める。時報を聴いてなんとか正確な時間にカウントダウン、その瞬間、背中をキャンバスにされていた彼がステージからフロアにダイブし、なんとそのまま突っ伏して爆睡し始めてしまった。半裸の背中にはこの年の干支であるイノシシが見事な筆で描かれていた。皆、足もとで赤子のように眠る彼の背中を見守った。エンゲルさんが、PVを投射していた白いスクリーンを、毛布代わりに着せ掛けた。

 

年が明け、皆で近くの神社に初詣することになり、演者も客もおかしなテンションのままゾロゾロと歩いた。こんな大勢での初詣は初めてだった。そのほとんどが誰だか知らない人であるが、記憶に残る年越しである。去年はコロナ禍の中、ライブハウスがなんだかウイルスと悪の巣窟である怖い場所のように言われたりもしたが、このように、音と孤と一時の愉快な縁の巣窟でもあるのだよ、と一応結び的なことを書いておきたい。

靴下を切り刻む

「考えたら分かるやん!」というのを昔からよく言われる。言われて痛いフレーズのひとつであるが、たしかに他人からすればそうも言いたくなるであろう失敗をしょっちゅうするのは事実なのでしょうがない。そこまで極端に論理的思考ができないわけではない(と自分では思っている)のだが、この年齢になってもまだ言われる。

 


4歳くらいの頃、靴下を切り刻んでしまったのも、「考えたら分かるやん」案件であった。
母に与えられた靴下で気に入っていたものだったが、自分で切り刻んだ。


最初は爪先の一部にハサミを入れて、さらにその横にハサミを入れて、とハサミを入れ続けていたらばいつのまにか靴下はズタズタになっていた。なっていた、というか自分がしたわけであり、そうなるのはまさに「考えたら分かる」ことであったのだが、惨状に気づいて泣き出した私は、それを母のもとへ持っていき、「靴下を切った」と訴えた。
自分でやったことを自分で号泣しながら訴える娘に母は、
「自分で切ったん? なんでそんなことしたん?」
と困惑&溜め息混じりに問うた。尤もな問いである。
「足がチクチクしたから」
とりあえず娘はそう説明したが、母は「はあ?」という反応であった。またも尤もな反応である。自分でも説明しながら「はあ?」と思っていたのだから。だが、じゃあどうして、といわれれば説明ができない。たしかに最初に「足がチクチクする」と感じたのは本当だったかもしれない。縫い目か何かが皮膚に障ったのだろう。しかし、だからといって生地を切る必要がないことは、自分でも薄々分かっていた。切ってしまっては履けなくなる。ましてや、一箇所だけならまだしも全体をズタズタにする必要はない。
「こんなんもう履けへんわ」
変わり果てた靴下を手に母は絶望的な宣告をし、娘は更に号泣した。自業自得である。
「おじいちゃんやったら直せる?」
と私は訊いた。母方祖父は器用な人で、何かが壊れるたび母は祖父に修理していってもらっていたので、そこに一縷の望みをかけたのであったが、
「こんなんはおじいちゃんにも直せへんわ」
と言われ、不可逆のことがこの世にあることを娘は知った。


「切ってしもたんはしゃあないし、また新しいの買うわ」とかなんとか母が慰めてくれてこの件は終わった。しかしこの記憶はその後も、ことあるごとに苦い気持ちで思い出されることになった。それは、そんな「考えたら分かる」ようなことを自分がなぜしてしまったのか、ずっと説明がつかず、その説明のつかなさがずっと引っかかっていたからだと思う。その説明のつかなさは、自分にとって大事なものである気がした。
「チクチクするからその原因を排除するため」という、一応子供なりの理屈は立っていたはずだが、それだけではない。切り刻みながら自分でも、「これは違うな」と思っていたはずなのだ。何なら最初のハサミを入れた時点で既に、それが解決法として不適であるという自覚はあったはずなのに、その過ちを糊塗しようとしてなぜか同じことを重ねてしまった。そして何がそんなふうに自分を動かしたのか分からない。

 

類似の思い出は他にも数多ある。たとえば砂山蹴り崩し事件。幼稚園の砂場で皆で砂山を作っており完成間近となったとき、立ち上がって足で蹴り崩し(当然ながら)皆に糾弾された。
これには、「手で固めるより足で固めるほうが早いと考えた」という理屈が一応あった。手より足のほうが力が強いので合理的に思えたのだ。それを主張すると幼稚園の先生は「わざとやったんとちゃうんやね、みんなのためと思ったんやね」とかばってくれた。
しかしこれも、一応はその理屈を主張しつつ、またかばってくれた先生を有難く思いつつ、何かその理屈では動機の半分しか説明できていない感じもしていた。立ち上がって足を出した時点で既に、「これは違うな」とどこかで感じてもいて、だがそれにも関わらず蹴り崩してしまった、ような気がする。しかしその、もう半分の動機の正体が何なのか、自分でも分からない。

 


子供の頃は誰でもこういったことがあるのでないかと思う(知らんけど)。だが大人になってもちょくちょく類似の過ちをする。「考えたら分かる」ようなことを、うすうす「これは違うな」と思いながらやってしまう、という過ちである。
とりわけ長じてからは、人間関係に関してこの類の過ちをすることが増えた。人間関係全般に失敗するわけではない。ただ、ここぞというとき、重要なときに限ってそうしたタイプの失敗をする。


たとえば(あくまで一例であるが)、この関係を大事にしよう、とか、この人は傷つけないようにしよう、とか思って慎重に慎重に相手の気持ちを慮って行動……したときに限ってろくでもない結果になる。こうすれば相手はこう思うだろうからこう対応しよう、ああ言えばこの人はこう感じるだろう、と、慎重な推論に基づいて行動したはずだったのに、その結果関係が破綻する。またはその逆の場合もある。強い意志で関係を終了させようとしたのに失敗するような場合である。そしてそれらは後で考えれば、「なんであのときああした/言ったのか、あかんやろ、普通に考えたら分かるやん」と思うタイプの失敗なのである。

 

推論に基づいた行動が誤っているということは、一体何が誤っているのだろうか。
単に推論のどこかに理論的な誤りがあったということなのか。それとも、そもそも対人関係というものにおいて「推論」という手段を用いることが誤っているのか。
そうであるとすれば、それは、対人関係において重要であろう情を置き去りにして理だけを暴走させたことの誤りであるのか。あるいは、情を伴っていなかったのでなく、伏在したはずの自分の情を自分で認識できぬまま、何かを抑圧して捏ね上げた理であったからということか。
そうすると結局、なんであのとき靴下を切り刻んだのか、なんで砂山を蹴り崩したのか、というところへ戻ってくる。

 

私はサリーとアン課題について、求められる答えを出すことができる。
サリーとアンが玩具で遊んでいる。玩具を棚にしまってサリーは部屋を出ていった。サリーが不在の間にアンは玩具を籠の中に移す。戻ってきたサリーはどこを探すでしょうか。
棚の中です、と答えることができる。実際の玩具は籠の中だけれどもサリーはそれを知らないから、と、サリーの視点に立って答えることができる。ここまではできる。なんなら、棚に玩具が見当たらず困惑するサリーの気持ちも想像できる。だけどそのとき、アンは何を思っているんだろう。アンに何て声をかければいい?
精神科医内海健さんが、『自閉症スペクトラムの精神病理――星をつぐ人たちのために』(医学書院、2015)という本の中で、サリーとアン課題において、自閉症者にとって困難であるのは実はサリーの心の推論でなくてアンの方である、ということを書いておられ、なるほど、と思った。自閉症スペクトラム論であるから、自閉症の「心の理論仮説」への異議としての文脈で書いておられたことであるので、ここで引き合いに出してよいか分からないが、しかし自分のこれまでの躓きを思うとたしかにそれらは、対サリーではなく対アンの躓きである気がする。
サリーの心は「推論」という方略で理解できる。だが、玩具を隠したアンの心はブラックボックスだ。それは、その場面固有の文脈や雰囲気をふまえつつ直観でもって自然に「共感」することでしか理解できない何かなんだろう。対人関係でやらかしてしまう「考えたら(自然な共感ができたら)分かる」ような失敗は、もしかすると、「考えても(推論しても)分からない」あるいは「考えたら(推論したら)分からない」類の失敗なのかもしれない。


アンの心、他人の心はブラックボックスである。ただし自然な直観的共感があれば、スッと容易くアクセスできるブラックボックスである。でも、何かがその自然な共感を妨害する。よって間違えてしまう。妨害している何かはたぶん自分の中にある何かだが、そのとき自分もまたブラックボックスである。私はこの関係を本当に大事にしたい(したくない)のでしょうか、私はこの人を本当に傷つけたくない(傷つけたい)のでしょうか、もしや本当は✕✕✕✕なのでしょうか、私は本当に砂山を破壊したくないのでしょうか、本当に母が買ってくれた靴下を切り刻みたくなかったのでしょうか、とかなんとか言いながら、玩具を転々と隠し続けることになる。