尼崎toraの年越しの思い出

何年か前に、尼崎toraで年越しをした思い出を書く。なんで今書くかといえば、特に理由はなく、単に、面白かったなアと思い出したからである。

 

尼崎toraは、尼崎にある小さなライブハウスである。ぺぐれす(仮)のご縁でときどき行くようになった。出演するわけでなく客として観に行くだけであるが、いつもいろんな人が出ていて面白い。
立地も面白い。阪神の駅から長く伸びる商店街をずっと奥へ歩いた市場の一角に、ひっそりと、煤けた扉がある。最初に行ったときは、「こんなところにライブハウスが本当にあるのか?」と疑いながら商店街を延々と歩いた。辿り着いた市場はほぼシャッター街なので、ライブの始まる時間には既に闇の中である。暗い中手探りで入口を探す。

 

私は音楽は好きだがライブハウスはちょっと苦手だ。別にライブハウスが悪いわけでなく、単に人が集うところが苦手というこちら側の事情である。だがtoraは、なぜかあまり怖くない。理由は分からないが。スタッフさんたちが気さくであるためかもしれないし、手作り感のある雰囲気のせいかもしれない。ライブハウスというより「サークルの部室」的な雰囲気がある。サークルに属したことがないので実感のない喩えだが、サークルの部室が心地よくて入り浸る人というのは、こういう雰囲気を味わってるんやろな、という感じがする。


その尼崎toraの年越しイベントは、大みそかの明るいうちから始まり、日付が変わるまで続くというものだった。

昼間に着くと、フロアには畳が敷かれその真ん中にはちゃぶ台が置かれて皆が酒を飲んでいた。ライブハウスというか、「広い友達の家」感であった。
イベントは、日頃toraによく出演している演者が少しずつ持ち時間をもらい順番に演奏するという主旨であった。演者と客への一年の感謝を込めるという意味もあったらしく、
「2000円飲み放題(店の酒がなくなるまで)」
という触れ込みであった。
ステージに上がる人は、出る人出る人「はよ歌い終わって酒飲みたいです」と言い、実際降りるなり酒を飲んでいた。ライブというより「来た人が順繰りに歌っていく飲み会」のようだった。
私は酒を飲むとすぐ眠くなるので、途中で壁にもたれてうとうとしてしまった。その間の演者には悪いが、音楽が流れるところでうとうとするのは心地よかった。ライブハウスといえばでかい音であるが、騒がしい中で居眠りしてしまうくらいリラックスできるというのはふしぎなものだ。ぺぐれす(仮)が、轟音渦巻くライブハウスと誰もいない温泉は全然違うのに似てる、ということを言っており、それは、独りにさせてくれる場所、ということなのだと思う。片や音の中で、片や湯の中でではあるけれど、どちらも、ひととき外界から離れた孤独の場所を提供してくれるということだと思う。
私のライブハウス苦手というのも、おそらくは、来た人同士の社交とか皆で一体になって盛り上がろうみたいなノリが苦手なだけであり、本来そこは、音の中で独りになれる心地良い場所なのだ。

 


ライブハウスなのにカレーが異様に美味いというのもtoraの特徴である。レトルトのカレーでなくてちゃんと美味い肉が入っている(コロナ禍で営業できないときはカレーのデリバリーが行われていた)。この日もカレーを食べたが、昼から夜までの長丁場なので、カレーだけでは足りず、いったん抜けて近くの回転寿司で小腹を満たした。戻ってくると、いなかった小一時間の間に、場は更にぐでぐでになっていた。
皆ええ按配でステージに野次を飛ばし演者がいちいちそれに応えていた。この、野次によりステージとフロアに謎の一体感が生まれている、というのも、toraでよく見る風景である(たまたま私が行く回が野蛮寄りなだけで野次が飛ばない日もあるのかもしれないが……)。
toraはいろんなジャンルのいろんな人やバンドが出演するが、この日も、超上手いアコギ弾き語りの人、ピアノでポップソングを歌う人、「今どきこんな無頼派みたいな人がいるのか!」て感じのブルースマン、などいろんな人が出ていた。
そんな中で、私が特に見たかったのは「エンゲル係数」さんだった。
持参した大フリップをめくったりスクリーンに自作PVを流したりしながらギターを弾き語るステージであり、そのPVやフリップに異様に手間がかかっている。採算度外視なのである。そして、日常の些細な疑問や知識を歌った歌、といえばありがちなあるネタだと思われるかもしれないが、独自の視点の吸引力があり、魚卵について歌う歌やヒアリについて歌う歌が始まったときにはポカンとしていた初見の客たちは、秋刀魚の一生について歌う歌が始まる頃には次第にその世界に巻き込まれ、最終的には磁石と鉄について歌う歌で、一同拳をあげながらコール&レスポンスの大合唱となっていた。ええ大人たちが大晦日に何をしているのか? また、エンゲルさんの凄いのは、ギターも歌も妙に不安定なのに、本人には謎の安定感があるところである。その音楽にはときどき、全然違うはずなんだけど、ブルーハーツ的なポップ精神とパンク精神が感じられる。自分の世界をもっていてそれを淡々と表現する人は強い、と思わされた。


終盤には「スーパーギタリスト」が登場するとプログラムにあったので、「あー最後になんか上手い人が出るんやな」と思っていた。だが、クイーンの曲に合わせて登場したのは、紙袋で作ったへなへなの仮面をかぶったエアギターの人であった。いや、プログラムには「ギタリスト」とあるが、持っているのはベースであった。さらに、ストラップがないのでずっと左手で支えていなくてはならず、右手しか動かせないエアベースである。「誰やねん!」と野次が飛ぶ。

しかし、一曲弾き終えた(※弾いてない)スーパーギタリストが紙袋を脱ぎ「なんかすみません……」とステージを降りようとすると、まさかのアンコールが発生。 We are the champions が流され(※その前に別の曲が流れたが「それはできません」とスーパーギタリストが拒否したのだった……エアなのに)、再びエアギター(※エアベース・右手のみ)が始まると、場は異常な盛り上がりを見せた。「みんな立てや!」という声に煽られ、一斉に客たちが立ち上がり、何人かがステージに押し寄せた。ちなみに煽ったのは、別にスタッフでも演者でもなく一人の客であった。誰なんだ。ステージに乱入した人々は肩を組み満面の笑みで合唱を始めたが、一同サビしか歌えていない。

 めちゃくちゃやりにくい雰囲気の中、トリの演者が登場すると同時に、ライブハウス内には蕎麦の出汁の香りが充満し始めた。年越し蕎麦をふるまってくれるというのである。ますますライブハウスなのかなんなのか分からない。演奏途中で蕎麦が出来上がってしまい、トリの演者はギターを抱いたままステージで蕎麦を食べた。蕎麦に気を取られる客たちの前での熱唱、アウェイなはずなのに見事だった。

 

その後、年越しまで微妙に手持無沙汰な時間が余ってしまい、ギターを持つ人々がセッションを始めるものの、これもまた間がもたず、それぞれが「年越しまでまだ〇分もあるよ~」「それまで歌うことがない~」などと歌っていく形になる。それにしても音楽をやる人は皆即興でなんやかんやできるのがすごいなと思う。自分はこうした芸がないので、感心するばかりである。一方では、アーティストでもあるスタッフさんによるライブ・ペインティングが始まった。「俺の背中をキャンバスにしてほしい」と名乗りを上げた客がステージに上がり、「毛が絡んで描きづらい!」と言われながらも、背中に絵筆で絵を描かれてゆく。混沌のうちに年越しの瞬間となったが、スマホを見ながらそれぞれが「年越しまであと30秒!」「いや、あと1分!」「あと20秒」と違う時間を言い始める。時報を聴いてなんとか正確な時間にカウントダウン、その瞬間、背中をキャンバスにされていた彼がステージからフロアにダイブし、なんとそのまま突っ伏して爆睡し始めてしまった。半裸の背中にはこの年の干支であるイノシシが見事な筆で描かれていた。皆、足もとで赤子のように眠る彼の背中を見守った。エンゲルさんが、PVを投射していた白いスクリーンを、毛布代わりに着せ掛けた。

 

年が明け、皆で近くの神社に初詣することになり、演者も客もおかしなテンションのままゾロゾロと歩いた。こんな大勢での初詣は初めてだった。そのほとんどが誰だか知らない人であるが、記憶に残る年越しである。去年はコロナ禍の中、ライブハウスがなんだかウイルスと悪の巣窟である怖い場所のように言われたりもしたが、このように、音と孤と一時の愉快な縁の巣窟でもあるのだよ、と一応結び的なことを書いておきたい。