どろぼう

 麦藁帽の老女。私。杖をついた老女。三名が順番に乗り込み扉が閉まろうというときに、
「ああ~ん、閉めちゃダメえ、待ってえ、乗せてえ」
 と若い女が乗り込んできた。
 妙に色っぽい発声だ。小さな駅のホームと改札階を行き来するだけのエレベータであるが、逃がしたら二度とは来ない天国行の列車が出てしまうかのように、大仰に息を切らしている。その芝居がかった一連の態度に反し、女はごく地味な風体だった。
 四名の女はエレベータの四隅にそれぞれ収まり改札階への到着を待った。四方を守る守り神のように。私は後方の一隅に、地味な女は私の前方に立った。
「ひぐっ、ううう、あはあん」
 突然地味な女が肩を大きく揺すり両手で顔面を覆った。泣き声が発されていた。
「あはあああん、✕✕だよぉ、✕✕よぉ、ああああ」
 麦藁帽の老女は何も見えぬかのように宙を睨んでいる。杖をついた老女は、女の泣き声にビクッと身体を震わせてみせたものの、無言である。何か声をかけたほうがよいのか。こうしたときは年嵩の者が何か声をかけるんじゃないのか。ほら、おばあさんってお節介だったりするし。だが老女たちは無言を貫いている。この雰囲気の中で声をかけられそうにない。それに声をかけるといって一体何と。「大丈夫ですか」?、いや大丈夫じゃないだろう。「✕✕よぉ」が「痛いよぉ」であれば「救急車呼びますか?」が使えるが、それは、「痛いよぉ」とも聞こえるし「ひどいよぉ」とも聞こえるし、「苦しいよぉ」「悔しいよぉ」と言っているようでもある。
 エレベータは改札階に着いた。ホーム階からわずか30秒もかからぬはずだが、ひどく長い時間を閉じ込められていたかに感じた。扉が開き、泣いていた女が降り、ボタン側後方に立っていた私が「開」ボタンを押して扉の開きを保持し、次いで二人の老女が軽く会釈しながら降りた。泣いていた女は何事もなかったように顔を上げ、普通の足取りでスタスタと歩いて改札の向こうへ消えた。「開」ボタンから指を離しながら最後に降りた私は、女の背中が見えなくなったのを確認し、やはり声をかけて何があったのか尋ねればよかった、と遅ればせながらに好奇心を覚えたがもう遅かった。


 改札を出、女が消えていった住宅街とは逆側へ折れる。仕事で疲れたので本来ならすぐに帰宅したいのであるが、今日は交番に寄らねばならない。盗難の被害届を出すのだ。
 先日、我が家の郵便受けに届いたはずの荷物が何者かによって盗まれた。昨今は、運送会社が投函してくれた時点で「配送が完了しました」という通知が送られてくるサービスがある。先日の昼間にその通知を受け取り、仕事から帰宅して郵便受けを覗いたが、届いたはずの荷物は無かった。運送会社に問い合わせたところ、間違いなく我が家の郵便受けに投函したという。

「ええ、確かにこのポストに投函したんスけどね、でも1ミリほどはみ出してたかもなんで、誰が引っぱり出しちゃったのかもっスね」

 わざわざマンションの集合ポストまで再度確認に来てくれた運送会社のドライバーは申し訳なさそうに言った。まだ若い金髪の青年だった。アルバイトかもしれない。
「とにかくこっちは投函はしたんで。あとは何もできないす」
 青年は簡潔に言い残して再びトラックで去った。自分宛ての荷物が自分が手にしないうちに消えてしまったというのは、なんとも頼りなく若干気味が悪い心持ちであるが、その心持ちに寄り添ってくれることを要求するのは、運送会社のサービスの範囲もアルバイトかもしれない青年の業務の範囲も超えていると思われるので、私はしばらく未練がましく集合ポストの前をウロウロしたのち部屋へ戻った。
 盗まれたと思われるものはたいしたものではなかった。通販で買った古着だ。特に高価でもない。しかし自分の郵便受けから誰かが荷物を引っぱり出したと思うと愉快でない。集合ポストのあるスペースの天井には監視カメラがついている。私はマンションの管理会社に頼み、監視カメラを確認してもらおうと思いついた。本当に盗難なのかどうかだけでも確認したい。

「えー? 監視カメラって、そちらのマンションについてましたっけ?」
 電話に出た管理会社の女性はそう言った。自分の会社の管理物件だというのにまったく自信無さげであった。
「ええ、集合ポストのスペースについています」
「そうだったかなあ、ついてなかった気がするんだけど」
 気がするも何も、カメラの存在はさっき見たのである。
「で、荷物が投函された時刻は分かりますんで、その後の様子を映像で確認していただくってできませんかね?」
「うーん、ちょっと見られるか分からないですね。もしかしたらダミーかもしれないし。前の担当者がやめちゃってそのカメラを誰がつけたのか分からないし、ダミーじゃなくても、映像の見方が分からないかもしれないです」
 女性は要領を得ないことを言った。映像の見方が分からないかもしれないなら、分かるか分からないかまず調べてくれればいいではないか。何のための監視カメラなのだ。この管理会社はいつもこうなのだ。以前、マンションの駐輪所の自転車がイタズラされたことがあった。ちょっと気味が悪いイタズラだったので、せめて注意喚起の貼り紙でもしてほしいと頼んだが、そのときも、「貼り紙ねえ、今ちょっと担当がいないんで、まあ担当に伝えるんで、様子を見て、必要があったら」と貼り紙程度のことで渋りまくり、結局うやむやになった。実際、人が次々辞めていく会社であるらしく、できるだけ人手を使いたくないのだろう。よほど労働環境が良くないのか、入居して四年で担当は五人以上交代しているし、この女性も本当に何も分からないのかもしれぬ。
「機会あれば担当に伝えておきますんで、盗難ならまずは警察に届けてくださいよ」
 まったくやる気のなさそうなことを言われ、じゃあそうします、ということにした。被害届を出すのは初めてだったので一応「盗難 被害届 出し方」で検索したところ、Q&Aサイトが見つかった。「盗難に遭って被害届を出したいんですがどうすればいいですか」という人に回答者たちが、「最寄りの交番で事情を話せば出せますよ」「印鑑を持っていきましょう」と親切に回答してやっている。しかし一名だけなぜか質問者にキレている奴がいた。
「被害届? あなたは正気ですか? やめておきなさい。そんな少額の盗難で被害届を出す人なんかいませんよ。いい笑い者になるでしょうし、市民の安全を守るため日々忙しい警察の方に迷惑です。第一、被害届を出したら出した側も無事では済みませんよ。被害者の側も指紋を取られますし私生活を根掘り葉掘り訊かれます。さらに自分の防犯意識の甘さを叱責されるでしょう。それでも被害届を出すんですか?」。
 なぜそんなに、おそらく他人と思われるこの質問者が被害届を出すのを阻止しようとするんだ、泥棒本人なのか?



「盗難の被害届を出したいんですが」
 交番に入ると、蒸し暑い駅前から一転冷房が効いていた。デスクに掛けていた若い警官が顔を上げた。
「盗難というのは、どういった?」
「自宅の郵便受けから荷物を盗まれまして」
「ほほう、どうして盗まれたということが分かりました?」
「運送会社から投函済みの通知が来たんですが、その荷物が入ってなかったんです」
「一戸建てですか、マンションですか」
「マンションです」
「マンションですと集合ポストですか」
「そうです」
「近隣に誤配されている可能性はないですかねえ?」
「運送会社のドライバーさんにも既に問い合わせたんですが、たしかにうちの郵便受けに投函したとのことでした」
「ふーむ」
「どうした?」
 上司らしきスキンヘッドの警官が奥から現れた。
「盗難だそうです。郵便受けから荷物を盗まれたとのことで」
「どうして盗まれたということが分かりました?」
 スキンヘッドの警官は若い警官と同じことを尋ねた。
「運送会社から投函済みの通知が来たんですが、その荷物が入ってなかったんです」
 私も同じ内容を繰り返した。
「一戸建てですか、マンションですか」
「マンションの集合ポストです」
「んー、近隣に誤配されている可能性はないですかね?」
「ないです。運送会社のドライバーさんにも既に問い合わせました」
 同じことを繰り返させられ、私は若干苛立った。最初にこちらの勘違いである可能性を排除しておかねばならないのは理解できるが。ひと通りの確認ののち、「では詳しく状況を聞かせてもらいます。まずはお名前、住所が分かるものを見せてください」とやっと若い警官がメモを取る姿勢に入り、私は免許証を出した。
「フモレスク荘の502号室、こちらの集合ポストで被害があったということですね。502号室ということは、お住まいは5階ですか」
「いえ、4階なんです」
「502なのに? 4階なんですか?」

 久しぶりに訊かれた。そう、私のマンションには「4階」が無いことになっていた。物理的な4階はあるのであるが、部屋番号にもエレベータの階数ボタンにも「4」は無い。4を抜かして3階の次は5階ということになっているのである。これは日本にはよくあることで、「死」に通ずる「4」、「苦」に通ずる「9」は忌み番号とされ、それを抜かしてナンバリングされることがある。子供の頃、近所の駐車場には4番が欠けており、親に「4は死に番だから避けているのよ」と教えられて以来、その駐車場の前を通ると背筋がゾワッと冷える感じがした。欠落しているということが逆に、不穏な何者かの存在を強く示しているように感じられたのだった。だがそんな習俗にもすっかり慣れて、最近は502号室が4階であることに特に何の感慨も抱かなくなっていた。

「失礼ですが、何か、思い当たるご近所トラブルは無いですか? こうした場合、単なる盗難というよりも、近所の人が怨恨で厭がらせをしているというケースもあるんです。たとえば騒音トラブルとか、マンション内の揉め事とか」

 ふと、302号室のおっさんの顔が頭をよぎった。
 302号室のおっさんは、階段やエントランスで遭うとやたらじっとりした視線でこちらを凝視してくる人物だ。302号室は3階であり、4階である我が502号室の真下である。もしかすると私の足音や声がおっさんの気に障っている可能性がある。私は一人暮らしであるからさほど喧しくすることはないはずだが、時折過去の腹立たしい記憶などを想起して、
「ああああ、ひどいよおおおおお、死にたいよおおお」
 と叫んでしまう悪癖があった。
 また、私はひそかに、以前に住民の自転車に変なイタズラをしたのもこのおっさんでないかと疑っていた。おっさんは日中にマンションのエントランスや駐輪所の付近を何をするでもなくウロウロしていることがある。痩せた背を丸めながら不審な挙動をし、目だけがいつも物言いたげだ。しかし、警察に言うほどの確証があるわけではなかった。

「いえ、無いと思いますね」
 と答えるしかない。若い警官は難しい顔でメモを取り、スキンヘッド警官も後ろでふむむと唸った。
「では、盗まれたものについて詳しく聞かせてください。その荷物の中身は何でしたか?」
「衣類です」
「ネット通販か何かで買われたんですかね? 新品ですか?」
「古着です」
「価格はいくらでしたか」
「古着なので安いもので……680円くらいです」
 警察二人の手を煩わせて被害を訴えるには少額であるので、私はやや恐縮した。
「680円くらい、と。ええと、どのような衣類ですか? トップスとかボトムとか、アウターとか」
 若い警官は若いだけあってオシャレな表現をした。
「シャツ……です」
「どんなシャツか詳しくお聞かせください。色は何色ですか」
「黒系、だったかな」
「何か模様は入っていますか」
「……ロゴが入っています」
「ロゴということは文字ですかね。ブランド名ですか? 英語?」
「日本語………だと思います」
「日本語のロゴね。何というロゴですか?」
「………エロ本は自分で買え」
「はい?」
「……エロ本は自分で買え、です……」


 これについては説明させてほしい。「エロ本は自分で買え」という文字がプリントされたシャツを、何も、外出着にしようと思って買ったわけではない。現に交番にいる今は特に変哲もないワンピースを着ている。この二年間、大学時代の友人らと月イチでオンライン女子会を開いている。その会のために購入したのである。
 この飲み会は、コロナ禍のあおりを喰って失職したA子を励ますという主旨で始めたのが最初であった。その際、さぞ落ち込んでいるだろうと思われたA子は、「同情するなら職をくれ!」と昔の人気ドラマのパロディの文言が墨字で大書きされたTシャツを着て画面に現れ、「そんなもんどこで見つけたんだ」「失職したのに無駄な金使うなよ」と爆笑をさらったのだった。幸いA子は無事新たな職を見つけたが、これを発端に、オンライン女子会の際は互いに面白Tシャツを見せ合うのが習いとなった。各自くだらないイラストやダジャレやネットミームが書かれたものを着て現れては、誰のものが一番笑いを誘うかを競うようになった。私も先月は、写実的なリンゴの絵の上に「バナナ」という文字がプリントされたシュールなTシャツで優勝を勝ち取った。次回も優勝を狙うべく「Tシャツ ネタ」「Tシャツ 面白」「笑いをとれるTシャツ」などの検索ワードでネットショップを徘徊する中で、「エロ本は自分で買え」Tシャツに巡り合ったのである。一時期、海外で日本語のグッズが流行り、作っている側も意味を知らない日本語を適当にプリントしたグッズが出回ったらしい。これはそうした、天然の面白Tシャツのひとつであるようだった。
 さらにその文言は、仲間うちで有名なB子の逸話と響き合っていた。惚れっぽいB子は学生時代、そこそこクズな彼氏と付き合っていた。サークルで同学年だった彼の愛嬌と優しさに惹かれて付き合い始めたのであったが、どうも彼氏が家に来た後に財布の中身が減っていることにB子は気づいた。恋人同士の気安さであろうと当初は大目に見ていたが、二度三度と続くと気になって信頼のおける先輩に相談したところ、先輩も、彼がサークル部屋の備品をいくつか失敬していることが気になっていたというのである。そこから、彼と懇意のサークルメンバーがことごとく盗難被害に遭っていることが判明した。中には、彼を家に招いた後、本棚からエッチな漫画だけが数冊なくなっていたという男子もいて、B子はそれを聞いて途端に情けなくなり別れを決めたそうだ。その後もB子はそこそこクズな男とばかり付き合っているが、そのたびに「エロ漫画泥棒よりはマシでしょ」「もしかしたらエロ漫画泥棒よりひどくね?」と彼を引き合いに出すのがわれわれのお約束であった。

 このようなコンテクストがあったうえでの「エロ本は自分で買え」であったのであるが、今はおそらく、そのコンテクストを詳細に説明することは求められていなかった。他にも通販で買ったものは多々あるのに、まさかピンポイントで「エロ本は自分で買え」シャツが盗まれるとは思っていなかった。


「すみません、ええと、確認ですが、そのシャツにはロゴが入ってるんですよね?」
「はい……エロ本は自分で買え、と……」
「エロ本は自分で買え? というロゴ? ですか……?」
「そうです」
「それがシャツに書かれてあるの?」
「そうです」
 二人の警官は、私の頭から爪先の間に素早く眼差しを往復させた。
「………」
「………」
「『エロ本』の『エロ』は片仮名、『本』は『本物』の『本』でよろしかったですかね。で、『は、自分で買え』……ですね?」
「はい……」
 若い警官とスキンヘッドの警官はいったん奥にひっこみ、何かを相談していた。私は壁に貼られている指名手配犯の特徴が書かれたポスターを見ながら待った。ポスターはずいぶん退色していた。冷房のパワーが落ちたのか、急に交番内が蒸し暑くなった。汗を拭こうとしたところで警官が奥から出てきた。

「お待たせしました。では、盗難ということだろうとは思われますが、まずは防犯カメラを調べます。防犯カメラの映像によって、たしかに盗難であることがはっきりしてから被害届を出していただくのがよいでしょう。管理会社には私どもから連絡を取ります。その後にお電話を差し上げますので数日お待ちください。どうもお疲れさまでした」

 若い警官がそう説明して目を伏せ、スキンヘッドの警官はスキンヘッドの汗を拭いた。


***


 なんとなく交番に相談した時点でひと仕事したような気になってしまっていたが、数日後の朝に電話がかかってきた。
「こちら、警察署の防犯カメラの係の者でございます」
 防犯カメラの係というのがあるのか。愛想の良さそうな、笑いを含んだ声音であった。
 防犯カメラ係の人は、先日私が交番で話した盗難発覚の経緯をもう一度改めた後、管理会社に連絡をして防犯カメラをチェックしたいので、それにあたって犯人との区別がつくように私の特徴を教えるように言った。
「髪は短くていらっしゃいますか、長くていらっしゃいますか」
「ボブカットといいますか……」
「ボブというのは長い髪型でございますかね?」
「いや、長くはないですが、ショートカットでもなくて……」
「オカッパヘアーということでよろしゅうございましょうか?」
 カリカリと音が聞こえた。「オカッパヘアー」とメモされているのだろう。声から推測するに初老の男性らしい防犯カメラ係は「ボブカット」の語彙を持たぬようであった。

 電話を切り、外出するためエントランスに降りると、ちょうど302号室のおっさんが入ってくるのとすれ違った。302号室のおっさんは、また駐輪所のあたりで何かゴソゴソしていたようだった。私は、少しワクワクするような気持ちになった。
 行きがかり上で被害届を出しはしたが、もともと届を出すほどの盗難でもないし――レアなネタTシャツが失われたのは無念であるが千円にも満たない少額であるし、管理会社の頼りなさからして防犯カメラがダミーである可能性も高いし、解決を期待してはいなかった。だが、防犯カメラ係の人から具体的に連絡があったことによって、もし犯人が写っているなら見てみたい、という気持ちが膨らみ始めた。運送会社の若いドライバーが荷物を投じてから、私が夜に郵便受けを覗くまでの間に、何者かが我が家の郵便受けの細い隙間から荷物を引っぱり出す、その瞬間の様子が写っているのだ。その映像を想像するとき、いつの間にか想像図の中の犯人は、痩せた猫背の中年男になっていた。それは302号室のおっさんの背中であった。


 数日は何事もなく過ぎた。その間に今月のオンライン女子会もあり、私は残念ながら、そこそこ面白くはあるが「エロ本は自分で買え」には及ばないTシャツで参加せざるをえなかった。このシャツについては語るほどの面白さでもないので省略する。だがいつものメンツで馬鹿話をできたことで気は晴れた。昨今は職場で気になっている悩みもいくつかあったのだった。そのひとつは後輩に関することなのだが、それについては特に、学生時代に心理学を専攻していたC子からの助言を得ることができたのが収穫であった。この問題については後で機会があれば述べる。


 数日後、警察署からの着信があった。私はすっかりワクワクしながら電話を取った。
「防犯カメラの係でございます、お疲れ様でございます。あの後ですね、無事に管理会社さんに連絡がつき、防犯カメラの映像を確認することができました」
 防犯カメラはダミーではなかったのだった。いい加減な管理会社だと思っていたがやるではないか。私が電話した際は要領を得なかったが、警察権力が働きかければ動かざるを得なかったようだ。期待が膨らんだ。
「ところがですね、何者かが郵便受けから荷物を盗む場面がですね、撮れておりませんでしたのです」
 防犯カメラ係はゆったりとしたテンポを崩さぬまま申し訳なさそうなトーンを作ってみせた。
「映像はですね、72時間で消えてしまうということでして、該当の場面はすでに残っておりませんでした」
 頭の中で膨らんでいた映像が、しゅうっと萎んでいった。

 既に、盗難があってから一週間が経っていた。だが、私が管理会社に電話をしたのは盗難の当日であり、交番に行ったのはその翌日である。電話をかけた時点で管理会社がデータを保全してくれていれば、交番に届けてすぐに警察が動いてくれていれば、映像は残っていたであろう。何のために早めに連絡したのだか分からない。しょぼい盗難事件だからよいものの、大事件であったら重大な初動の遅れじゃないか。
 失われたデータには、何者かが荷物を持ち去る瞬間がたしかに写っていたであろうに、その瞬間は、永久に失われてしまったのか。もともと期待してはいなかったはずなのに、そう考えると失われた映像がたまらなく惜しく感じられてきた。頭の中の想像の犯人像はへなへなと萎んで影になり、しかし集合ポストスペースの片隅に、灼け付くようにいっそう黒々と存在感を増した。

「そのようなわけで、犯人の姿を見るということは残念ながら相成りませんでした。しかし同じようなことがまた起こりますといけませんから、刑事課へ被害届をお出しになるのがよろしいかと存じます」
 防犯カメラ係は、慇懃ではあるがちっとも残念ではなさそうな口ぶりで言った。ならば最初に交番に行ったときに届を出させてくれればよかったのである。二度手間だ。
 慇懃に電話が切られた後、小一時間ほどして再び電話が鳴った。またも防犯カメラの係であった。何か新たな進展があったのかとかすかに期待して電話をとった。

「何度も重ねて失礼します。先ほどの件に関しまして、報告書を作成しなくてはなりませんので、少し詳しくお聞かせ願います。盗まれたのは衣類とのことですが、どのような衣類でしょうか?」
「シャツです」
「どのような模様のシャツでございましたか?」
「ロゴが書かれています」
「ロゴというのは文字でしょうか、何と書かれておりましたか?」
「エロ本は自分で買え、です」

 初老の防犯カメラ係に聴き取りやすいように私は、明瞭に発音した。電話を切った後、外出がてら集合ポストを覗いた。何も異変はなく当然ながら相変わらず犯人の痕跡もない。監視カメラはこちらを向いている。犯人の映像は失ったくせに撮らなくてもいい私の姿を録画している。私が降りてきた次の便のエレベータで、302号室のおっさんが降りてきたので少しドキリとした。おっさんはまたもこちらをじっとりと見やりながら外へ出て行った。ふと、部屋で警察と電話していた声は下階にも聞こえただろうか、と気になった。いつもより意味ありげな視線であった気がした。



****


 数日後、被害届を出すため警察署へ向かった。
 680円の変なTシャツにもうそこまでの執着はなかったが、防犯カメラ係の人が言ったようにまた同じことが起こらないとも限らず、そんなことが続くと気持ちが悪いし、もし同じマンション内に犯人がいるなら捕まえてほしいと考えたのだ。
 警察署内は広い。まずは総合受付のような窓口へ向かった。防犯カメラ係からは「こちらで記録は残しておりますので、あとは刑事課でそのことを仰ってください」と言われていたので、
「盗難に遭って被害届を出したいんですが、既に交番に相談し、こちらの防犯カメラ係の方ともお話させていただいております」
 とわざわざ経緯を話したのに、受付の女性は内線電話に、
「盗難に遭ったって人が来られてます」
 と、ごく簡潔に報告したのみだった。

 階段を上り刑事課のある階へ案内された。刑事課のある階では、赤ら顔の警官が待ってくれていた。室内ではなく、廊下に置かれたパイプ椅子に掛けさせられ、そこで話を聴かれるようだ。廊下には冷房が無く蒸している。
「盗難ということですが、なぜ盗難と分かったんですか?」
「郵便受けに配達完了したという連絡が運送会社からありまして」
「運送会社には問い合わせましたか? 誤配の可能性は?」
 私はまたも交番や電話でしたのと同じ説明を繰り返した。署内の記録を共有すれば話は早いだろうに。不思議なもので、同じことを何度も話しているうちに話し方が演技的になってきて、まるで自分がウソを言っているような気がしてくる。
「どうも暑い廊下ですみませんね、扇風機もなくて」
 話しながら汗が浮かんできたのを見てか、警官が謝った。警官もぎちぎちと制服を着込んで暑そうである。この赤ら顔の警官は、話の確認の際にやたらと小芝居を入れるのが特徴であった。また、こちらが語っていないディティールを勝手に付け加えてもきた。

「ほほう、では、運送会社から通知が来ておたくさんは『あら、届いたのね』と思われた、と。そして仕事から帰ってマンションの自動ドアを抜け――」
「自動じゃないです」
「自動じゃないドアを開け、ダイヤル錠を回して郵便受けを覗いたところ――あるはずの荷物が無い!となったと。そこで『おかしいわね、なぜかしら』とお思いになったけれどいったん階段で部屋に戻られて――」
「エレベータです」
「エレベータで部屋に戻られて、運送会社に電話を入れた、とこういうわけですね」
「はい」
「ところが運送会社のドライバーは『いいや、知らねえな、たしかに投函したよ』と言った、そこで『じゃあ盗まれたんだわ』とお気付きになった、と」
 運送会社のドライバーも私もそんな喋り方はしていないが、私は「はい、はい、そうです」と頷いた。赤ら顔の警官は、私の台詞を喋るときには心持ち声のトーンを上げ、女性的な抑揚とちょっとした仕草を加えてみせた。
「いや、暑い廊下ですみません」
 小芝居の際のオーバーアクションのせいで赤ら顔に汗をかいた警官はもう一度謝った。
「ちなみに、こうした場合は怨恨によるいやがらせというケースもありますが、これまでマンション内のトラブルや揉め事はありませんでしたか?」
「特にありません」
「類似の事件やイタズラは?」
「いえ、特に。強いていうならこれまで、駐輪所の自転車にイタズラ書きをされたということはありましたが、もうだいぶ前のことです」
「ほう、イタズラ書きとは?」
「私のだけでなくて、駐輪所にあった住民の自転車が全部、泥除けのところにナンバリングされていたんです」
「ナ、ナンバリング? どのようなことですか!?」
 警官は、上体を後ろに反らし両のてのひらを見せるオーバーアクションをした。地の反応も小芝居的なのであった。自転車のイタズラはもう一年ほども前のことだ。しかしその不可解さのため今でも印象的であった。
「意図は分からないんですが、一台ずつに、1、2、3……と番号が勝手に振られていまして。それだけなんですが、気味が悪かったんです」
「なんですかね、それは……!! たしかに気味が悪いですねえ!」
 警官は大袈裟に気味悪がってくれた。
「その犯人は思い当たらないですか? はっきり根拠がなくても、直観的にアイツが怪しい、とか」

 私の中では302号室の痩せた猫背の像が膨らんではいた。何かのマーキングなのか、何らかの呪術か単なるいやがらせなのか不明であるが、暗い目をした302号室が夕闇の駐輪所で1、2、3……と番号を振っていく。だがその想像は、直観というにしてもあまりに根拠が薄かった。

「いえ、ちょっと分からないです」
「そうですか。それで、今回盗まれたものですが、シャツ、ということですね。これはネット通販で買われたのでしょうか」
「そうです」
楽天か、アマゾンか、そのようなサイトを見て、『あら、かわいい服!』とお思いになってご自分で購入されたわけですね」
「そうです」
 正確には違ったが私は肯定した。
「では、被害届に詳細を記載しなければならないので、どんなシャツか教えていただけますか。まずはサイズを教えてください」
 これまでサイズの情報は訊かれなかった。地味に初出である。
「Sサイズくらいですかね」
「Sサイズね、小柄でいらっしゃいますからね。お色は?」
「黒系です」
「黒ですね。模様は入っていますか? 花柄とか、レースが縫い付けられているとか」
「ロゴが入っています」
「ほうほう、ロゴの入ったシャツですね。なんというロゴですか?」
「エロ本は自分で買え、です」
「はい?」
「エロ本は自分で買え、と書かれています」


***


 では被害届の文書を作成してきますので十五分ほどお待ちください、と警官は部屋の中へ退き、私は廊下に残された。じっとしていても汗が流れる。十五分が経ったが警官はまだ戻って来ない。部屋のドアが開いたのでやっとかと思いきや、出てきたのは別の警官たちで、そのタイミングで誰かが階段を上ってきた。年配の婦人が汗を拭きながら現れ、警官らの姿を見つけると軽く会釈をしたのち嬉しそうに訴えた。
「映ってたんです! やっと犯人が分かりました!」
 継続的に何かの被害を相談していた人のようだ。警官にUSBを渡している。自身で設置した防犯カメラのデータを持ってきたらしい。
「犯人の姿、ばっちり写ってたんです!」
「思った通りでしたか?」
「やっぱりそうでした!」
「分かりました。ではいったんデータをお預かりしてこちらでも保管させていただきます」
 詳しい事情は分からないが、嬉しそうな婦人の様子を見ていると羨ましさが湧いてきた。何の被害に遭われたのだか知らないが、その瞬間の様子を映像として得ることができるだけで靄が晴れることもあるだろう。
「でもね、悩んでるんです。やっぱり若い子なの。高校生か、もしかしたら中学生かしら。そんな自分の息子、いえ孫くらいの子でしょ。捕まえて懲らしめてやると思ってましたけれど、その子の将来のことを考えたらなんだか……」
「どうなってますんや! 植木のことは!!」
 次なる苦悩を語り始めた婦人の声は、新たにフロアに現れた男性の怒鳴り声で搔き消された。
「ほんまに! 困っとるんですわ! それを調べる調べるいうて、あんたらはちっとも! こっちは犯人ももう分かっとるんですわ!」
 また別の警官が対応に現れる。
「分かりました、分かりました、では改めてお名前、ご住所、ご年齢をお聞かせください」
「お名前、ご住所ぉ? こないだも別の奴に教えたがな!」
「改めて報告書を作成しますので」
「ご年齢は、当年とって七十八! ご住所は……」
 爺さんの個人情報が大音量で刑事課の廊下に響き渡る。その隙間から二重奏のように、婦人の哀切な声が聞こえる。婦人のUSBを預かって部屋に引っ込んだ警官が駆け出てきた。
「失礼します! 今映像をこちらでも確認しようとしたんですが……奥さん、写ってないです、肝心のところが写ってないですよ!」
「お待たせしました!」

 やっと赤ら顔の警官が書類をもって現れた。十五分ほどと言ったが三十分以上待たされた。

「少々作文に時間がかかっておりました、では一緒に被害届の文面をチェックしてください」
「そんなはずないですよ! 娘と一緒に家のパソコンで映像を観ましたから」
「その後、データをいじられませんでした?」
「ええからさっさと捕まえてくれや! これで何個目の植木やと思うねん!」
「私は、八月三日の夜、」

 婦人の戸惑いと爺さんの大声の中で、私の被害届もそこそこの音量で読み上げられることとなった。別に人に聞かれて困るような内容でもないが、個人情報保護の時代であるにもかかわらず、廊下にいる一同のプライバシーは互いに筒抜けであった。

「私は八月三日の夜、何者かに郵便受けから荷物を盗まれました――エー犯人が分かりませんのでここは『何者か』という表現にしております――。同日の昼、運送会社から『配達が完了しました』というメールが来てました。しかし私が夜に郵便受けを見ても、荷物は入ってませんでした。私は運送会社に確認の電話をかけ……」

 被害届の文章は、被害者の話をもとに警官が作文する。その際、被害者の一人称という形がとられる。しかしそういうフォーマットとはいえ、この私を指す「私」の一人称で他人が書いた文章を読み上げられるのは、奇妙な感じがした。それに、微妙に文章が下手だ。「私は」「私が」がやたら多いし、「来てました」「入ってませんでした」などの「い」抜き表現も気になる。仮に実際にこの「私」が書くなら、もう少し整った文章を書いてみせる。文書の性質上、表現の端正さを競うものではないのでよいのだが、自分が書くより下手な文章を自分の一人称のていで書かれるのは愉快ではなかった。
 同時に、被害届という本来味気ない文書でありながら、警官が書いた文章は、どこか色付けが感じられた。被害者が男性であれば、ひょっとすると彼はもっと上手い文体で書いたのかもしれない。どことなく、書き手が稚気や女性性を演じているような文体だ。そうだ、下手な一人称小説に似ている、と私は思った。実は私も趣味で小説を書いたことがあるのだが、そのときに躓いたのが、語り手の設定だった。

 例のオンライン女子会で「5兆円ほしい」とか言い合っていたときに、皆から「あんたは文章が上手いんだから小説でも書いて一発当てれば」「あたしらをネタに使ってもいいよ、売れたらモデル料分けてね」などと言われて、その気になって書き始めたのだった。しかし書き始めていきなり挫折した。三人称の語りにするとなんだか硬くなり、一人称の語りにするとわざとらしくなってしまう。自分より賢い語り手は作れないので、自分より知的に劣っている語り手を設定してしまうのだが、そうすると、中の人がその人物を侮ったうえでバカを演じているようなわざとらしさが出てしまうのだ。といってわざとらしさをなくそうとすると、語り手と自分が完全に同化してしまい、小説というよりエッセイのようになってしまう。小説の良い語り手とはなんだろう? 理想的には、作者と別個の人格と知性を持ちながら、作者に憑依してくれて、かつ、作者も知らない真実へと連れていってくれるような語り手が良い語り手なのだろうけれど――。そんな理屈を捏ねているうちにつまらなくなって筆は進まなくなり、翌月のオンライン女子会では一応「文豪」とプリントされたシャツを着てはみたものの、小説は書きかけのまま放っておかれていた。

 しかし赤ら顔の警官の書く一人称被害届には、そのような迷いは見られない。この「私」という別人格を演じることに、語り手の中の人はどこかはしゃいでいるような印象であった。
「運送会社のドライバーによると、マンションのダイヤル式――ダイヤル式でよろしかったですね?――の集合ポストに、1ミリはみだした状態で荷物を投函したということでした。被害にあった荷物は、私がインターネットの通販サイトで気に入って購入した衣類です。Sサイズで、黒で、日本語のロゴが入ったTシャツで、価格は680円(時価)でした。」
 ロゴの文言は記載されず「日本語のロゴ」として処理されていた。全文と受理番号が読み上げられたのち、私が押印し、被害届は受理された。用は済んだが、儀礼として、警官は何か訓示的なコメントをしなくてはならないようだった。
「しかし、これですぐに犯人が見つかるということはないと思います。実際、郵便受けから配達物が抜かれるという事件はしょっちゅう起こっておりまして、この区だけでも一日に何件もあるんですよ。先ほどは、マンション内での怨恨の場合もあると申しましたけれども、ほとんどは関係のない通りすがりの人間のしわざです」
「そうなんですか」
「手癖の悪いやつが通りすがりにひょいと覗いて盗っていく、そんなケースが多いですね、そうなると防犯カメラに写っていたとしても、犯人の特定は難しいのですよ」

 頭の中で、駐輪場の薄闇や集合ポストの傍らに黒い影を落としていた猫背の男のイメージが、途端にふよふよと崩れ始めた。差し込んだ日中の光の中で、彼はふよふよと姿を変え、やさぐれた青年になり、やんちゃな女になり、どこにでもいそうな真面目そうな会社員になり、悪戯盛りの子供になった。

「そんなに盗難が多いなら、どう対策するのがいいんでしょう」
「そうですねえ、誰もが出入りできるマンションとなるとなかなか、難しいですね。一番の対策としましては、郵便物が届くときには必ず家にいて郵便受けの前で受け取っていただく、というのがよいかと思います」
 私はにっこりと笑った。
「そうですよね」

 ふよふよと形を変えた人物は、やがて形をもたない風のような姿になり、スッとマンションの扉の隙間から透明の腕を伸ばし、軽やかに配達物を奪って去った。風のようだから防犯カメラもその姿を捉えられない。私は、先日のオンライン女子会で皆に相談したことを思い出した。職場の後輩のことであった。私に懐いてくれている真面目な男の子であるのだが、最近おかしなことを言い出した。当初は、取引先からのメールの誤字や、他の社員がドアを開閉するタイミングなど、やたら細かいことについて「不思議だと思いませんか?」と問うてくるだけであったので神経質な子だなと思っていただけだったが、仕事帰りに二人で茶をしたとき声を潜めて、自分はある大きな影の組織に監視されておりメールの誤字やドアの開閉はそれに関するメッセージだ、ということを打ち明けてきたのだった。どう考えてもありえない話であったが、
「見ました? 今、僕が話を始めたタイミングで奥の客が席を立ったでしょ? あれは組織の監視員です」
 と囁く彼の目はマジだった。
「最近はその妄想が気になって仕事中も上の空っぽいし、こっちも二人になるたび変な話を聴かされてストレスになってきたわ。なんとか、そんな話ありえないって説得できないもんかね」
 と愚痴った私にC子は、
「そういう妄想はね、絶対にこっちが何を言っても修正できないんだよ」
 と言った。
「どんだけ反証を挙げても、彼の中ではすべての現象が、自分の妄想が真実だっていう一点につながっていくんだから無駄だと思うよ。周囲にできるのは適当に話を聴き流して、あとは医療につなげることだけ。相談できる上司とか産業医っていないの?」
 心理学かそこらへんの知識があるだけあって、C子は「ネコ吸い番長見参――人間はネコ様の奴隷です」と書かれたTシャツを着ているわりに、的確そうなことを言った。
 そして今のコレは、その逆回しみたいだ、と私は思った。つまり、後輩において、メールの誤字、ドアの開閉のタイミング、席を立った人、目に映るすべての現象が、影の組織の存在の確信という一点へ集約されていくことが起こっているとするなら、私の中では、諸々の謎の煮凝りであった猫背の黒い影は今や薄れ、302号室のおっさんの意味ありげな目つきは意味を失い、光の中の透明な無数の人物へとほどけて拡散していった。その代りに、なぜかこれまで余り想像に上らなかった、風のような人物が手にとった私の荷物に、イメージはフォーカスされていった。風のような人物は、夏の光の中をふわふわと駆けながら、風のように盗みとった包みを開く。包みから、「エロ本は自分で買え」と書かれた黒い布が出てくる。風の怪盗は、なんだこりゃ、と呟き、その服を路上に、あるいはどっかの建物の植え込みに、あるいはコンビニのゴミ箱に捨てる。あるいは風の怪盗は、案外気に入った「エロ本は自分で買え」シャツを、部屋着として自宅で羽織っている。寝巻きにしてくるまっている。一年前、また別の風の怪盗が、キラキラ光る油性マジックを握りながら気まぐれにマンションの駐輪所に迷い込んだ。並んだ自転車の泥除けに、ピカピカ光る油性マジックで、1、2、3、と番号を振っていく。自転車の点呼を取る自転車の神様のような気分で、白い歯を見せて笑いながら。3、まで書いたところで怪盗は、「4は縁起が悪いから飛ばそうか」とためらったか、どうか。