電話に関する思い出2件

 「援助交際」を介するものとしてのテレクラが話題になったのは、ちょうど私が高校生くらいの頃であったが、私も子供の頃に、テレクラに電話をかけたことがある。


当時、河原町へ行くと、あちこちでテレクラの電話番号が入った宣伝ティッシュが配られていた。テレクラというのは、若者はもう知らないかもしれない。「テレホンクラブ」の略であり、あとは私も詳しくないので適当に調べてほしい。とにかくテレクラ全盛期だったので、宣伝ティッシュのデザインもそれぞれに工夫を凝らしていた。うちは家族がことごとく慢性鼻炎なのでティッシュをこまめに貰っていた。当初はただけばけばしいデザインのものが多かったが、次第にブランドのロゴをパロるなどスタイリッシュなやつも登場し、中には一見オシャレな絵柄でエロを連想させるデザインのものもあった。今はそうしたものはもうちょっと気を遣って配布するのかもしれないが、当時12、3歳の自分にも普通に配られた。
当時の私は、ティッシュは受け取っていたものの、テレクラそのものは、自分に関係のないものだった。周囲では「なんかやらしいおっさんが使ういかがわしいもの」という語られ方であった。いかがわしいものに興味がないではなかったが、自分は知らん人と会話をするのは苦手だし、テレクラなるものを使ってどうこうというのは別の世界のことだった。が、あるとき、ティッシュを見ていて急に、「この番号に電話をしたらつながるんやなあ」と思った。

 

積極的に他人と会話がしたかったわけでもないし、男性と知り合いたかったわけでもない。好奇心ともちょっと違うし、暇つぶしというのでもなかった。つまり、なんでかよく分からないのだが、ふと「電話してみよ」という気になったのだった。いくつかあったティッシュにプリントされた番号から適当なものを選び、当時はケータイなどもなくイエ電であるので、家族が周りにいないときに電話をかけた。
「やらしいおっさん」が出るのだろうから、そうしたら、歌を歌うか般若心経を唱えるかして切ろう、と考えた(祖母の教育により私は当時般若心経を唱えることができた)。テレクラを利用するような「やらしいおっさん」は揶揄ってもかまわない、と考えていたのだろうが、まったくもって何のためだか分からない。

 

数コールののちに、男が電話に出た。
「もしもーし」
嬉しそうな男の声が言った。
歌でも歌う(か般若心経を唱える)予定であったが、相手の声を聴いた途端、喉に何か詰まったかのように声が出なくなってしまった。

 

私はそもそも発声というものが苦手でハードルが高い(これは今もだが、声が上手く使えない――女性にしては低音であることが理由のひとつか)、ということもあったが、それと、そこに、生身の男性がいることに気づいてショックを受けたのだと思う。
電話をかけるまで思い描いていたのは、戯画化された概念としての「やらしいおっさん」に過ぎなかった。しかし、電話に出たのは、欲望をもった生身の男の声であった。
それは、親戚のおじさんや学校の先生や近所の人といった、身近な男性を連想させるような、それでいてそうした身近な男性がそれぞれの立場から私に話しかける声とは全く違った声であり、それまでになかったリアリティをもった声だった。電話の向こうにそうした誰かが実在するというリアリティの前に、私は声を失ってしまった。


「もしもしー、もしもし? いるんですかあー」
と男の声が言う。私は受話器を握りしめたまま何も発せなくなっていた。
「もしもし? 恥ずかしがらずにしゃべろうよお」
恥ずかしがる? 私は恥ずかしがっているのか? イヤなんか違う。しかし、もはや今更般若心経を唱える感じではなくなっていた。
「いくつですかあ? ねえ、OLかな?」
「もしーもし、もしもしっ、もおーしもしッ」
「はずかちくないでちゅよ~ 話そうよ~」
男はなだめすかすように、高い声を出したり低い声を出したり、素っ頓狂な声を出したりした。大人の男が相手(女)に喋らせるためにこんなアホみたいなおどけ方をするのか、というのも初めて知ることだった。猫撫で声とはこういうものなのか。何か応えたいのはやまやまだったが、もう、私の持てる声の中に、これに対処できる声がなかった。物理的に発声できなかった。
黙ったまま、どうしよう、どうしよう、と思っていると、相手は思わぬことを言った。

「ははーん、分かったぞ、おまえ、男やな」

予想外の結論であった。なぜそうなるのか? 女が悪戯で揶揄っていると考えることもできるはずなのに、自分を揶揄うものは女ではありえないというその確信はどこから来るんや?  一方、また別のことでふしぎな気にもなった。当時の私は、男の子になりたいとしょっちゅう思っていた。だが周囲からは女だと思われているし、まあ実際そうだった。なのに私のことを知らない見知らぬおっさん(おそらく)から、このような疑いをかけられて、まるで何かを言い当てられたような気もしたのである。

 ともあれそんな私のふしぎな気もちは相手には関係無い。彼は、さっきまでの猫撫で声でのおどけ口調からがらりと調子を変え、
「貴様、昼間からしょーもないことしてるんとちゃうぞ、くそ、ダボ、ボケが」
と口汚く罵って電話を切った。
私は、向こうから電話を切ってくれたのでほっとした。

 


***


電話に関する変な思い出はもうひとつある。

上記の事件の背景として、この少し前に、たまに「突然知らん人に電話をする」ということをしていた。テレクラ突撃もこの延長線上にあったものと思われる。
端的にいえば悪戯電話であるのだが、私自身は、いたずらな気持ちはなかった。


それは、電話帳で女性名を探して電話をかけるというものだった。当時、電話帳を読むのが趣味だったが、電話帳の名前は世帯主の名前で登録されてあり、世帯に成人男性がいる場合はたいてい世帯主は男性名であるので、女性の名前で登録されているということはその家に成人男性はいないということだ、と考えた。この「女性名を狙っての悪戯電話」というのは、今思えば犯罪者の発想である。
電話をかけ、年配と思われる女性が出ると、
「間違えました」
といったん切り、しばらくして再び同じ番号にかけて、
「さっき間違い電話をしたものですが、優しそうな声の人だと思ったので、もっとお話ししたい」
と頼むのであった。
なんでそんなことをしようと思ったのか分からない。4、50歳くらいの中年の女性が良かった。中年の女性なら優しいはずだという思い込みがあったのだと思われる。ただ、そこに何を求めていたのか、母性を求めていたのか? といわれるとよく分からない。


あるときは、「人生相談」をするところまで辿り着いた。
電話帳から適当にピックアップした番号に電話をかけ、
「私、11歳で、〇〇××と申します。さっき間違い電話をしたときに、優しそうな声の人だと思って、この方なら相談に乗ってくれそうと思って……」
と言うと、相手は、
「えっ? なんで? 相談って何?」
と戸惑った様子だった。そりゃそうである。名乗った名前は、吉本ばなな(当時学校で流行っていた)の小説の主人公の名前を拝借したものだったと思う。
「悩んでいることがあって、誰かに聞いてもらいたいと思って」
「でも、知らない人に相談なんておかしいんじゃないの? そこに他に誰かいるんじゃないの?」
相手は、複数人による悪戯電話の可能性を疑っていた。これもそりゃそうなのであるが、ていうか実際悪戯電話なのであるが、この疑いはまったく予想外のものであり、私は傷ついたような気分になった。
「誰かと間違ってない? なんで私に?」
「ですから、さきほど間違い電話をしたときにお声を聞いて……」
そんなやりとりを繰り返しているうちに、女性が、
「まあいいわ、どんな悩み? 私でよければ」
と言ってくれた。(よく切られなかったものだ。)
しかし、私には、特に本当に相談したいことがあるわけではなかった。とりあえず、みのもんたにかかってくる電話をイメージして話した。

「家族の仲が良くなくて、特に、母と祖母の仲が悪いんですけれど、どうしたらいいでしょう」

そもそもが口下手なので、あまり面白くは話せず、そんなことをざっくり言った。たしかにこの頃、母と祖母の仲は良くなかった。同居しているにもかかわらず二人の間には会話がなかった。だが、それが他人に相談してどうにかなることとも思っていなかったし、他人に相談したいと思ったこともなかった。そもそも別に解決したいことでもなかった。なんでそんな「相談」をしたのか分からない。女性は「うん、うん」と一応相槌を打ってくれたが、また、
「後ろで声がしてない? やっぱり誰かいるんでしょう」
と言い出した。まだ悪戯電話を疑われていたのだ。まあ悪戯電話なのだが。私の予想では、「相談」をすれば相手は「まあ、大変ねえ」とかなんとか優しく相談に乗ってくれて美しく会話が進むイメージになっていたのでこの疑いはノイズだった。
「ほら、後ろで話し声がしてる」
と相手は言っている。正真正銘私一人であるのに心外だ。階下でテレビがついていたので、おそらくその音が聞こえていたのであろう。
「誰もいません、テレビの音だと思います」
「えっ、これ、家からかけてるの? テレビを見ながらかけてるの?」
「テレビは家族が見てます」
「ご家族が一緒にテレビを見てるの? じゃあそんなに仲が悪いわけでもないんじゃないの? 一緒にテレビを見れるくらいなら、何も悩むことないんじゃないの?」
「はあ」
「それでも悩みがあるっていうなら、おばさんでは分からないから、どこか別の、そういうところへ相談してみたら?」
「そーですよね、別の、そういうところがあるんですよね」
「そう、そう」
まったく妥当な回答であった。私でも、なんだかよう分からん子どもから今そんな電話がかかってきたらそう回答するだろう。「どうも聴いてくださってありがとうございました」とお礼を言い、電話は終わった。その後しばらく、「逆探知されて警察に届けられていたらどうしよう」と、ほぼありえない可能性でビクビクしていた。ビクビクするくらいならやらないほうがよいことのうちの最たるものである。しかし、今であればこういう、不特定の他者に向かうなんだかよく分からない衝動というのは、インターネットの中でごくふつうのものとして消化されているのかもしれない。


それにしても奇怪なのは、私は実は電話が苦手であったということである。今でもメールで済ませられることならメールで済ませたい派であるが、子どもの頃から電話は苦手で、友人宅に電話をするにも台本を作るほど緊張していたし、自宅にかかってくる電話を取るのも嫌いだった。それなのにどうして、そんなことをしたのか分からない。