地理の縮尺の問題の思い出

中学時代の怨念シリーズである。


中学のとき、わりと皆に慕われてる社会の先生がいた。
テスト用紙に、ひとりひとりに赤ペンで長いコメントを書いて返したりなど、熱血系の先生やった。
その先生の地理の授業である日、地図の縮尺?かなんかを答えさせる問題があり、指名された。
どんな質問だったかくわしくは覚えてないが、これは何分の一の縮尺か? ということを、簡単な計算をさせて答えさせる問題だったかな。
それで「1000」とかなんか答えたのだが、先生は、「ん? 1000? 10000とちゃうか?」とかなんか、ひとつ違う桁をいうてきたのやった。


で、もう一度計算したが、明らかに自分の答えで正しかった。
ので、もう一度、「1000」と答えたのだが、先生はしつこく、「10000とちゃうか?」と問うた。
「1000」ともう一度言った。
だがさらに教師は、「1000? お前、ほんまかぁ? みんな、10000やんなぁ?」と言いながらこちらの顔を覗き込むのであった。


私は分かっていた。
正しい答えは1000である。だがこの教師は、誤答に誘導して「10000」と答えさせ、

「はい、正しい答えは1000でした。お前ぇ、人の言うことに惑わされたらあかんやんか。みんな、もっと自分の答えを信じるんやぞ!」


という流れにもっていきたいのだ、と。


「どや? お前、10000とちゃうかなぁ?」
と教師は重ねて訊いた。
ついに私は折れて、「10000」と答えたのだった。
果たして教師は、

「はい、正しい答えは1000でした。お前ぇ、人の言うことに惑わされたらあかんやんか。みんな、もっと自分の答えを信じるんやぞ!」

というようなことを言うた。

 

私は、正答が「10000」であるという他人の意見に流されたのではない。この先生の思う流れで授業を進めることに協力してあげねばならんっぽい……、という圧力に流されたのである。
だがそのこと(私が、いわば協力してあげたということ、協力してあげなあかん圧力を察知しておりそれに流されたということ)に教師は気づいていなかった(単に私が、正答が「10000」であるという他人の意見に流されたと思っていた)であろうし、そればかりかさらに、私自身でさえも、自分が、正答が「10000」であるという他人の意見に流されたかのように錯覚し、それからしばらく自分の意志の弱さを恥じていたのだった。


怒りが沸いてきたのは、ずいぶん後のことだった。
うちは、あの人の思うように授業を進めるために単に利用されたんや!ということが解ったのだった。
(これを言語化できたのは、このときからかなり経って、大学生になったくらいの頃だった。)
この教師が私を指名したのは、第一に、私を馬鹿だと思っていたからであろう。中学時代、私はあまり勉強ができなかったが、人並みに物は考えていたと思う。だが、学業成績およびその他諸々の要素(たぶん雰囲気とか外見とか)から、教師からも周囲の生徒からも、何も考えとらんぼんやりさん扱いされることが多かった。この男は、私のテストのコメントに、「お前はもっと自分の意見をもたなあかん!」ということを赤ペンで書いて返したりもしていたので、私が自分の頭で何ひとつ考えていないと思っており、それを私に分からせるためにも、私を指名したのであろう。つまり教育的指導のつもりだったのであろう。


今、私は、正規の職ではないながらひとに教える機会をいくらかもっておるが、こういう授業の進め方だけはするまい、と未だに思っている、が、ときどき、無意識的に気づかぬうちにこういう生徒の利用の仕方をしているのではないかとおもい、不安になる。