体罰の思い出

体罰が話題になっているので、わたしも体罰の思い出について書こうとおもう。
(他のところでもちょっと書いたけど)いちばん覚えているのは、中学に入ったばかりの頃のこと。
嫌味で理不尽な物言いをする社会科の教師がいた(男・30代)。神経質そうであると同時に常ににやにやしており、なんとなしに厭らしいところもあり(そこはかとなくセクシャル・ハラスメント的な言動をするのだ)、彼はすぐに不人気教師になった。


ある日の掃除時間、もう詳しいことは忘れてしまったが、掃除について、彼がまたもなにか理不尽なことを言い、友人がそれに口答えしたところ、彼は手に持っていた硬いもの(出席簿か何か)で、友人の頭を殴った。
わたしはショックを受け、泣きながら校門から脱走。
そのまま家に帰ったので、驚いた親が学校に電話をかけて事情を質した(その後どうなったかは覚えていない)。
さらに夏には、同じ教師が卓球部の女子の頭を卓球のラケット(の側面)で殴るという事件もあった。その後、卓球部全員会議室に集められ、学年主任から「○○先生も反省しているので、この件はこれ以上口外しないように」というお達しがあったりもした。


私もこの教師に意味なく校庭で追いかけられたり(これは未だに謎)、身体的特徴をからかわれたりしたので、他の生徒と同様そいつのことは嫌いだったが、同時に、同じ嫌われ者として、なんとなくシンパシーではないけれど、何か仲間意識のようなもののようなものをだいてもいた。「あの先生は、私に対して、『この生徒はわかってくれている』と思っているのではないか」というようなことをおもっていた。


夏休み明けには「自由研究事件」があった。
社会科では、夏休みの宿題として自由研究が課されていたのだが、宿題をやってきた生徒をひとりずつ教卓の前に立たせてその宿題を罵倒、場合によっては宿題を破り裂く、ということに45分の授業時間が費やされた。(注:今思えば、大学ではよくある光景。)
普段いじめっこであるクラスメイトが罵倒されるのを見て、気の毒なようないい気味なような気がしたのを覚えている。でも自分も罵倒された。というか褒められた者はひとりもいなかった。
これには保護者からの苦情が相次いだと、母から後で聞いた。


そして秋の暮れ、この先生は自殺した。忘れられない思い出である。