『生きづらさの自己表現』、病理と創造と安定と生活、私にとっての文章書きについて


最近読んだ本でよかったのは、藤澤三佳『生きづらさの自己表現』(晃洋書房、2014)。
精神病院での造形教室、今村花子の食べ物アート、雨宮処凛の人形作りや河瀨直美のセルフドキュメンタリー、などさまざまな事例を挙げながら、「芸術療法の視点とアートの視点の違い/交差」「アールブリュットとは」「表現することでの他者との相互作用」など、諸々気になっていたテーマが語られており、興味深い本だった。
何よりも、豊富な事例の中で、知らなかった作家・作品や詳しく知らないが気になっていた作家・作品について知ることができたのが良かった。

 

生きづらさの自己表現 (アートによってよみがえる「生」)

生きづらさの自己表現 (アートによってよみがえる「生」)

 

で、気になった箇所や知ったことを読書メモとして紹介しようと思ったのだが、それよりも、個人的な感慨と結びつけて思うところがあったので、それを整理しておきたい。(よって以下はこの本とはあまり関係のない私の個人的な話であって、書評的なものではない。)

 

上記に挙げたいくつかのテーマのうち、私がもっとも興味をもってきたのは「セラピーとアート」の関係である。
芸術で何かを表現することで精神的な困難が癒えていく過程がある。それはどういうプロセスなのか、ということはずっと自分のテーマであり続けているところである。一方でしかし表現には、それに留まらない何かもある。たとえば創造行為によってストレスを抱える人その中で病んでいく人、または症状と創造が一体であるような人もある。
そしてそのメカニズムへの興味は、しょぼい体験ではあるけれども自分自身の文章体験に基づいていたのだなあということを、この本を読んで思い出した。

 


私は現在べつにプロの売文家ではないし、文章が上手いわけでもないのだが、なぜか子供の頃から、いろんなことが苦手である中で、文章を書くことは比較的好きであり、ある時期からはその行為に深い思い入れをもってきた。その思い入れをもつに至った転機は二つあった。


ひとつは、小学四年生のときである。
それまでも作文を誉められたことはあったが、誉められたものを自覚的には良いと思ったことがなかった。たとえば、三年生のときに入選した作文は、「蝉をせっかく捕まえたのに死んだ」ということを書いたものだったのだが、自分では実際にあったこととそのときの気持ちをありのまま書いただけだし、つまらない作文だと思っていた。その他、授業で作文を書くと先生が気に入った箇所に赤で波線を引いてくれるのだが、なぜそこが誉められるのかいつもよく分からず「大人はこういうとこを評価するんやなあ」くらいに思っていた。自分では、作文というのは、道徳的なこととか立派なこと、きれいなことを書くものだと思っていた。
しかし或る日、「これからはちゃんと整理整頓したいと思います」みたいなことを書いた作文を母に見せると、母が「あんたの作文はきれいごとばっかりやん」と言ったのだった。(※私は整理整頓が超苦手であり、学習机の上も中もぐっちゃぐっちゃであった。この苦手は現在に至る。)
その母の言葉は私には衝撃だった。それによって、「えっ、作文ってきれいごとを書くもんとちゃうかったんや! 文章って、自分の思うことをありのままに書いてもええんや!」ということを知ったのだった。母の言いたいのはむしろ「きれいごとを書いたんならちゃんとそれを実行して整理整頓しろ」ということだったと思われるが、相変わらず整理整頓はしないまま、これを機に文章を書くという行為の意味付けが自分の中で転換されると同時に明確になったのであった。

 

ふたつめは、小学六年生のときである。
思春期真っ只中の時期で、学級が荒れていた。当時そんな言葉はまだなかったが学級崩壊の状態であった。学級の中での序列(いわゆるスクールカースト)が形成され始め、イジメのようなことも起こり始めた。私はカーストの下層に在りつつ、色々ドロドロした思いを抱えていた。
先生が見かねて授業時間を一時間潰し、全員に作文を書かせた。(このとき全員マジメに書いたわけであるから、今思えば皆溜まっているものがあったのだろう。)私は原稿用紙20枚に渡って、ドロドロした思い、クラスメイトに対する劣等感、焦燥感、云々をぶちまけた。(この頃既に「作文とはありのままを書くもの」という自然主義的(※日本的意味での)芸風が確立されており、日々先生に提出する日記には「生理で血がどろっと出る感触がイヤだ」「陰毛が生えてきた」「寝る前こんな妄想をする」などなど先生も反応に困ったであろうことまで書いていた。)
それから数日、ホームルームで先生が、「書いた本人は『皆の前で読まないでほしい』と書いているけれど、ごめんなさい、どうしても皆に紹介したいので読みます」と宣言し、私の20枚を朗読し始めたのであった。今思えばひどい話だが、これは結果的には良かった。自分の20枚が読み上げられる間は気が気ではなかった。皆に読まれるなんて思ってもいなかったから、「私は○○さんや○○くん(イジメっ子の名前)がうらやましく、いつも妬んでいます」など、個人名を挙げてあまり本人に知られたくないことも書いていたのだった。
先生が読み上げ終わった後、皆に何と言われるかとびくびくし、生きた心地ではなかった。しかし教室は無音になり、ホームルームが終わると、普段交流の無かった子やイジメっ子グループに属していた子がわらわらとやってきて、「うち、感動したわ」「あんなこと考えてたんやね、感心した」というようなことを口々に言ったのだった。
普段であれば対等に接することができない子と、文章を介してであればコミュニケイトすることができた! しかも普段接点のない子を「感動」させることもできた! ということは、中毒性ある体験だった。
先生は保護者懇談会でもその作文を読み上げたという。友達のお母さんにも「あなたの作文感動したわ」と言われ、文章だったら大人とも対等に渡り合えるんや!と驚いた。

 

この感覚が、私が文章を書くときに長らくもっていた感覚だった。
自分は口下手だし、見た目や挙動やいろいろがいろいろダメなので、子供の頃から他人に「一段低いもの」として扱われ続けてきた。自分でもそのような意識を持ってきた。
しかし文字を書くとき、自分と世界の間にある溝が、一文字ずつ埋まっていくような感覚を覚えた。

 


中高生の頃は、あれこれ雑文を書いては冊子にして人に読ませたりしていたし、インターネットに触れるようになってからは、個人サイトを作ってあれこれ書いていた。文章を読むと、それまでダメ扱いしていた人たちが、一目置いてくれたり人間扱いしてくれたりした。それは子供の頃から一貫していた。まとまった作文だけでなく、学級日誌やクラスの子への年賀状に添える文章(キモいほどハイテンションでそれらを書いていた)もそうだった。普段の「一段低いもの」としてではなく、それによって人間として皆と関われる感じがした。
だが、高校生くらいからたびたび、「こんなことをしていてはいけない、文章を書くなんてすっぱりやめなくてはならない」という危機感を感じるようになった。
その危機感が何だったのか、上手く説明することができない。ただなぜか、「こんなことをやってたらマトモな社会生活が遅れなくなる、ちゃんとした仕事とか結婚とかできない大人になる」と思っていた。
その感覚はなんだったんだろう。書くことは自分と社会の溝を埋める、人とコミュニケーションする手段だったはずだ。でもそれだけではない、自分を食い潰したりコミュニケーションや社会生活を阻害したりする要素もそこに感じていたのだろうが、その要素ってなんなんだろう。昇華したはずが、またゴミが出てくる、みたいな。

 

ということを思い出したのは、『生きづらさの自己表現』の中で、いくつか、社会生活と創作との葛藤をめぐる語りを読んだからである。
たとえば、第二部で、木村千穂さんという画家が紹介されている。彼女は摂食障害やアルコール依存の経験を美しい絵画作品として描いた人で、テレビ番組で紹介されたこともあるという人だが、現在はもう絵を描いていないという。
これに関して、取材の中での言葉がいくつか紹介されている。彼女は自助グループの中で、それまで絵でしか表現できなかった苦しさを言葉で語れるようになったという。(著者によると、音楽やダンスで自己表現していた人にも、自助グループで苦しみを言語化できるようになると自然と「それらを取り上げられる」状態になることがあるそうだ。)また、フルタイムの仕事も見つかった今、「今でも感じる心は自分の中にありますがもう描くことは手放してしまいました」(p.135)。苦しいときは面白いほど描けたのに、今は「絵の具はただの絵の具、鉛筆はただの鉛」にしか見えないという。
社会との接点であった絵画表現は、苦しみの言語化や生活の安定とともに必要とされなくなっている。創作はそれらを得るまでの臨時の代替手段であった、と言っていいのだろうか。

 

第一部では、精神病院の造形教室(平川病院の安彦講平によるアトリエ)の作家が何人か紹介される中、「すぎもと」という女性の絵が紹介されている。虐待経験をもち社会不安やリストカットの症状から描き始めた「すぎもと」さんは、「絵に支えられている」という。絵が注目されるも、お金が絡むと「純粋に絵と向き合えなくなる」という理由から商売にはしない。
彼女は仕事をもってもいて、会社では自分の病を知らない仕事仲間の中でよいストレスを得ているという一方で「一番恐ろしいのは、このまま、まともな社会人になってしまわないかということ」(p.43)とも言う。「自立して生活安定していく事と絵に没頭することの両立はとても難しいのです」とも語っており、それは時間の余裕など物理的事情だけのことではないのだろう。
本来、絵を描くのが治癒的価値を期待して始められたことであって、それが生きる支えとなっているというのならば、描かなくとも生が安定すればそれでいいはずである。しかし「すぎもと」さんは安定した「まともな社会人」になることを「恐ろしい」ことと言い、安定の中で描いたものを「つまらない」「どん底に堕ちなきゃ何も生まれません。今は幸せで、自分らしくないです」というのである。
描くことはセラピー的でありながら、セラピー以上の意味をもっていることが解る。

 

この、「描くこと」の両義性に、私は、自分の高校生の頃の、「書くこと」をめぐる両義的な思いを思い出したのだった。
自分と社会をつなぐもの、生を支えるもの、精神を安定させるもの、というセラピー的意味をもちながら、それだけに留まらず、「自立して生活安定していく事」と両立しない・相容れないような破壊的力をもっており、だから表現や創作は単なる安定した社会生活の代替ではありえなくて、しかし「すぎもと」さんはおそらく、その破壊的力に描くことの本質のようなものを見出し、それを重視しているのだろう。

 

かつ、本書を読んで気付いたこととして、そんなふうに私たちは表現のセラピー的側面と非セラピー的側面を対立させて考えがちであり、つまりそれは、セラピー的視点とアート的視点の対立であって(「治癒的価値をとるかアート的価値をとるか」=「社会に適応できるほどほどのところでやめとくか自壊しても表現を追求するか」)、本書でもその二つの視点が対立的に書かれている面もあるのであるが、しかし実は本書の随所で示唆されている通り、「セラピーにもいろいろあるよな」ということに思い当たったのだった。画一的な社会的スキルを身につけて社会適応しおおせることだけが「治癒」であるのか?といえばそうではなく、「治癒」の考え方も本来さまざまで、もっと豊穣であるはずなのではなかったか。

 

で、自分の文章書き歴の話に戻ると、自分の場合もこの「セラピーか(=ほどほどにしとくか)アートか(=もっとやるか)」みたいな葛藤があったのかもしれないんだけど、その後大学で論文(=別に商売ではないが義務で書かねばならない文章でかつ一定のルールに則って書かねばならず自己表現的な部分もあるといえばあるんだけど自己表現であってはいけない)を書かなあかん羽目になったので、自分と文章との付き合いはちょっと違うフェイズに入ってしまったのだが、それについてはあんまり考えたことがないのでとりあえずここで終わる。