ヤフオクの思い出

もう長いことヤフオクを使っている。ヤフオクというのは、書かなくても分かると思うがヤフーオークションのことである。使い始めたのは2002年か2003年かそんな頃だったか、絶版になっていた本を入手したくて使い始めたのだったが、その後、本や服を買ったり、母と組んで家の不要なものを出品したりとダラダラ活用してきた。

 

昔のヤフオクは出品者と落札者が互いにメールでやりとりする形式だったが、その後、メールは使わずヤフオクのサイト上でやりとりする形式となり、昨今はさらにすっかり合理化されて、所定のフォームにチェックを入れたりボタンをクリックするだけになり、文章でのやりとりをする必要もほぼなくなった。日本語ができない利用者も増えたことを想えば合理的であるのかもしれない。しかし昔の煩わしいやりとりがやや懐かしいような気もしないでもない。ヤフオクには、取引が終わった後の「評価」というシステムがあって、出品者と落札者が互いにコメントをつけるようになっているのだが、これも最近はフォームにあらかじめヤフーが用意した定型文が入っている。定型文を消してオリジナルのコメントを書くことも勿論できるのだが、定型文があるとついついそれをそのまま使ってしまう。以前は「評価」の文章を考えるのは地味ながら面倒な作業だったので、便利になって有難いといえば有難いのだが、味気ないといえば味気ない。

こうも合理化されてしまうと、落札する側は出品している側をamazon楽天と同じように感じてしまうらしく、最近は、出品側の返信がちょっと(半日とか)遅れただけで「ぜんぜん返事がないですがどうなってるんですか!?」みたいな怒りの連絡が来たりする。こっちも仕事とか生活とかあるんだけど。世知辛いことであるなあと思ったりする。

 

私がヤフオクを利用し始めた頃は、取引によっては1週間ほどかかることも珍しくなかった。今の利用者には考えられないかもしれないが、1日にメール1通を送るくらいのペースでのんびりやりとりしていると、それくらいの期間になったのだ。当時は、職場や学校でしかメールを使えない、という人も多かったと思う。今はインターネット全体のスピードがえらく速くなったもんやなあと感じる。インターネットに触れた当初は、郵便での手紙と違って瞬時に相手に届くメールというもののスピードに驚嘆したものだが、LINEやら各種SNSやらが登場した今では、メールを遅く感じるようになってしまったし、のんびりテキストサイトとか作っていた頃から思えば、なんでも即座にツイッターやら動画配信サービスやらで実況できてしまう今は、速さというものが行き着くところまで行き着いてしまったようで、この先どうなっていくんだろうって感じだ。

 

そんなふうにのんびりやりとりしていると、出品者と落札者の間で単なる取引以上の交流が生まれることもよくあった。たとえば、商品を落札した際に「ずっとほしかった商品です、落札できてうれしいです」「~に使おうと思っています」みたいな商品への思い入れを語る人はよくいたし、私も自分が何か落札したときは、挨拶代わりにそんなコメントを必ず書いていた。何度か、取引が終わった後でメールが来たこともあった。ちょっとびっくりしたのは、何か(なんだったか忘れた)を売った際、取引終了から1カ月ほども経ってメールが来たことである。「(何か商品に不備があったのかな!?)」とどきりとしながらメールを開くと、こんな内容だった。

「私は教員をしており来年定年を迎えます。この機会に、大学院で学び直すことを考えています。あなたは出品物から推測するに、●●大学の関係者だとお見受けしました。●●大学の大学院を受験しようかと考えているのですが、この年齢でも受け入れてもらえるものでしょうか?」

まさかヤフオクを通じて人生相談されるとは思わなかった。私は大学関係者といっても大学院進学事情はよく知らないし、その人の志望の学部のことは分からなかったので、「詳しいことは分かりませんが、社会人経験のある院生は多いと思います、チャレンジされてみてはどうでしょうか」みたいな何の役にも立たなそうな返事を送った。しかしまあ、ヤフオクで知り合っただけのよく分からない相手にそんな相談をしてくるということは、正確な情報を求めているというよりも、誰かに決意の後押しをされたかった人かもしれないので、それでよかったのかもしれない。

 

他、「酒屋グッズ」の出品も思い出深いことが多い。

酒屋を廃業した後、我が家の倉庫にはノベルティという名のガラクタがあふれており、母が商品管理と梱包を担当し、私が説明文執筆・出品・落札者とのやりとりを担当する、という分担で、親子でヤフオク業に勤しんだ(なお私は管理とか梱包とかきっちりしたことが一切できないタイプの人間である)。何かがそこそこの値段で売れた際、発送しようとしたところで、商品チェックをした母が、あまりにも長年倉庫に放置されていたため故障があったことに気がついた。もう代金は入金されてしまっている。私は慌てて落札者に事情をメールし、不具合に気づかぬまま出品したことを謝り、よかったら類似の商品を送る、しかし落札されたものとは違うので代金はお返しする、という旨を伝えた。すると相手は、「では類似のものをお願いします、代金は受け取っておいてください」と言ってくれたうえ、「誠実な対応に感謝感激!」みたいな「評価」を入れてくれたのだった。こちらとしては、希望の商品を送れなかったというのに、なんだか誉められてしまい感激までされてしまって申し訳ないやら有難いやらであった。この方はそれまでに何か不誠実な対応に遭遇してきたのかもしれない。

酒屋グッズの中での主力商品は、酒造会社の前掛けだった。酒屋の店主や居酒屋の店員がよく腰に巻いているアレである。我が家にとっては見慣れたなんともないものだが、愛好者がいるらしく、出品してみるとよい値段で売れるので驚いた。その中でとりわけ値段がつり上がったのは、某造酢会社の前掛けである。レアだったのか愛好者が多かったのか、他の前掛けはつり上がってもせいぜい千円か数千円だったのが、ぐんぐん値段が上がっていき、1万円を超えたところで私と母は「なんぼなんでも申し訳ない、ここらへんで止まってくれ」と念じ始めた。所詮小心者である。

結果、前掛けは1万数千円で落札された。オークションとはそういうものなので何も申し訳なく思うことなどないはずなのだが、なんとなく申し訳ない気持ちで落札者の方にメールをすると、返信には、落札できた喜びと、商品への思い入れが書き連ねられており、更には「1万円を超えたときは少し痛いなと思いましたが、しかしここで落札しなければもう二度と手に入らないと思い、落札させていただきました」と書かれていたことで、われわれはますます申し訳なくなった。というのは、われわれの手元には同じ前掛けがあと数枚あり、これが落札されたらすぐに次のものを出品するつもりでいたからだ。「なんか、悪いわあ……」。何も気を遣う義理はないのであるが、われわれは「しばらく待ってほとぼりの冷めたころに出品しよう」ということにし、さっさと家の不用品を処理してしまいたい気持ちを抑え、半年ほど経ってから次のものを出品した。ところが、入札したIDはまたも同じ人であった。「うわあ、またあの人が入札してしまった~!!」。結局前掛けはまたもその人によって落札された。だが今回は前回ほど値段は高騰せず、千円ちょっとほどだったと思う。同じ商品でもその時々で落札金額が違うのは面白いものだ。

その方は、「またこの前掛けを落札できてうれしいです」と喜びのメールを送ってきた。そして驚くべきことに、「このような商品をこの金額で購入するのはあまりに忍びないので、●●円払わせていただきます」と、頼んでもないのに勝手に数千円上乗せした金額を振り込んできたのだった。いろんな人がいるものだ。こうしたことは、今のヤフオクのシステムでは起こりにくいことだろう。

 

と、すっかり老人の昔語りのようになってしまった。最近、インターネットの使い手の間でも世代間断絶が起こっているようで、「インターネット老人会」なる言葉ができて「あの頃の2ちゃんねるでは」とか「若い子は知らない昔のネット流行語」とか、そんな話題がさかんであるようである。現在のSNSやらまとめサイトやらも、あと10年も経つと昔語りの対象となるのだろうか。それにしても、インターネットなんてちょっと前に出てきたものだと思っていたし、ゼロ年代前半頃は便利かつ危険な最新のツールであったはずなのに、その世代が既に「老人会」を名乗っているなんて、人間界のサイクルはなんて早いんだと驚いてしまう。そういえば、20歳頃、周囲の同級生たちがぼちぼち子供を産み始めた頃も、「えっ、人間の再生産サイクルってこんなに早いの!?」と驚いたものだ。一生そうして人間界のサイクルの早さに驚きながら死んでいくのであろう。