嫁姑続き

嫁姑がいきなり自分の中でホットなテーマになり始めたので、永六輔『嫁と姑』を読んでみた。昔のコバルト文庫のように下半分の余白が多い……論っていうより箴言集&放談って感じだが、おもろいとこもあり。

嫁と姑 (岩波新書)

嫁と姑 (岩波新書)

 

  • その自虐は何?系
 
「<いやな姑に尽くす快感>てものもあるのよ。

 それが<嫁の意地>ってものよ」(p.18)

 


いいお母さんの介護よりも、憎い姑の介護のほうが生きがいがある。
ひどい姑の介護を真剣にすることで、自分はなんていい女だろうと思えるんですね。(p.97)

 

  • 歴史は繰り返す系

 

 
「あんただけが姑にいびられている、と思うんじゃないよ。わたしだって、さんざん、いびられてきたんだからね」(p.20)

 


これやねんよなー とおもった。部活の、先輩にいびられてた下級生が上級生になって後輩をいびる現象である。上級生は、いまやいびる側なんだけれども、意識としては、被害者なんである。いま、団塊vs若者の対立みたいなんが語られるけれども、団塊vs若者の二項だけで考えてたらダメで、若者がモンスターのように感じているオヤジらというのは、本人らの意識としては、戦前生まれのオヤジのオヤジの前で依然力無い若者なのかもなとおもう。
といういみで、嫁姑問題というのは嫁姑問題の話だけでなくけっこう普遍的ななんかを持ってると思うんである。


なんか自由連想みたいな文になってきたが(いつものことだが)、
嫁姑といえば徳富蘆花の『不如帰』、昔読んだのを再読したくなった。嫁姑文学って意外にいろいろありそうだ。あと、森鷗外の「半日」、恐怖の『華岡青州の妻』など。