森茉莉の文体の自由さに驚嘆

私はまだ、インスタント・ラアメンというものをたべたことがない。何うやって造えたものだか判らないし、又判ろうとも思わないが、あの透徹った袋の中に、生湿りの針金状になってとぐろを巻いている支那ソバの化けもの、
――私は支那中華民国とは絶対言わないし(尊敬からである)、従って支那ソバを中華ソバとは言わないのである。私を何者だろうという顔で視ることによって恨み骨髄に達している、カアチャン、ネエチャン族が、(何者だろう? と思って視られることを嘆くのを止めよう。わが崇敬する役者のピイタア・オトゥールを見るがいい。王様の洋服を着ようが、ナポレオン時代の軍服を着けようが、彼はなんとなく変であって、むろん欧羅巴の映画監督はえらいから、彼にはなんとなく変な王様や軍人をさせるのではあるが、ちゃんとした王様や軍人をやらせたって、彼はなんとなく変にみえるだろう。彼がちゃんとした人物に見えたとすれば、それは彼の天才的な演技力のためである。ピイタア・オトゥールがなんとなく顔も胴も長い格好で、だらしのない感じにスウェタアを着、だらりと飛行機の段々を下りてくるところのスナップを見ると、超特級の「へんな外人」である。ロレンスや、ヘンリ二世等々によって世界中の人が顔を知っているからいいようなものの、あの格好でフラフラ、日本人スパイ問題があったために私がその存在を知ったなんとか事務局の辺りでもうろつこうものなら、忽ち疑惑の眼に捕えられるだろう。ピイタア・オトゥールなら発狂したギ・ドゥ・モオパッサンに扮して、ベッドの傍において寝た苺と、洋杯(コップ)の水とを、今に人類に替って世界を制覇することになっている生物が[モオパッサンはその生物を、《オルラ》と呼んで恐れている]半分たべたり、飲んだりしてしまった、と思いこんで恐怖し「オルラだ!!! オルラだ!!!」と唇をわななかせて、観る人を脳性梅毒の男を見る恐怖の中に包みこむことも、お茶のこだろう。その、名優であって、又同時にソドミアンであり、世界中のどんな女よりも無心の魅力を持ち、仔豹のように甘える、わがモイラのモデルであるところのピイタアに、微かにでも似ているからこそ、へんなやつだと、見られるのだ、と無理にも信じこむことにしよう)ソバ屋へ入ってくるや、「中華っ」と呼ばわるのをきくのが、私の最もきらいな、嘔吐を催すべき瞬間である。その「中華っ」と呼ばわる口は、私の貴むべき部屋の外で「雨だよっ」と叫び、四月になれば「もうおはながさくわねえ」と言い、くたばりやがれと思っている迷い猫に「可哀そうだねえ」とか言うのと同じ口である――
を見ると私は、(ああ、この薄黄色は卵黄の黄色ではない。梔かなんかの花から精製した、きみしぐれの黄色でもない。これは正しくオーラミンである)と思うのだ。


森茉莉『私の美の世界』(新潮文庫)より。

「インスタントラーメンはイヤだ」と書くのに文庫本30行消費!!