蝉が死んでいく作文

たいした栄光のない人生の中で数少ない栄光は、小3のとき何かの作文コンクールで入選したことである。何のコンクールだったか、たぶん実家に未だにこのときの盾があるので見れば分かると思うがまあいい。しかしこの入選は特に嬉しいものでもなかった。

 

 

夏休みが終わってしばらくした頃、先生が言った。

「あなたの〇月〇日の日記がとてもよかったの。これを作文コンクールに出してみようと思うから、原稿用紙に清書してみない?」

夏休みには宿題として日記が課されており、毎日ではないがまあまあまめに書いていた。新学期にまとめてノート一冊を先生に提出した。そのうちのある一日の日記が良いと先生は言うのだが、私にとっては旅行に行った日でもなく友達と遊んだ日でもない、特筆すべきことのない平凡な日の記録のひとつに過ぎなかった。なぜ先生がわざわざそんな日記の清書を勧めるのかよく分からない。

 

それは、蝉が死んでいくという内容の日記だった。

近所の子の間で蝉取りは夏の遊びのひとつだった。私は、一緒に虫獲り網を持って走っても、運動神経がトロいためになかなか蝉を捕らえられなかったが、ある日、神社の岩の上にいた蝉を捕らえた。蝉を捕まえるなんて初めてのことで嬉しかった。だが、せっかく捕まえた蝉はだんだん弱ってきてしまい……。というような内容だった。かなり長い日記だったので実際はその間の細かな経緯や蝉の様子の観察や蝉をめぐる親との会話などが挟まれるのであるが、おおまかな筋はそんな感じだったと思う。

「最後、蝉をもとの場所に逃がしたあと、何度も何度も蝉のほうをふり返った、というところが、あなたの気持ちがよく出ていてとてもいいと思いました」

と先生は言ったが、よく分からなかった。

 

それは私にとってはそんなに劇的な出来事でもなかった。私に捕らえられる時点で、ある程度弱っている蝉だというのは薄々分かっていたし、弱っていた蝉を捕まえたらだんだん死にそうになっていった、という当然の経緯だったのである。そしていよいよ死にそうになったので、せっかく捕まえて愛着の湧いた蝉だし惜しくはあったけれども、最後は外で死なせてやろうと思ったのだったか単に持て余したのだったか、もとの岩の上に放置して去った、というだけのことであった。そんな作文がそんなに先生の心を打つとは予想外であったが、先生にコンクールに出すからと言われれば小3の子にはそれは絶対なので、ともかく「土日のあいだに蝉の日記を原稿用紙に清書してくること」が宿題となった。

 

 

原稿用紙10枚程度の文章だったと思う。既にある文章を書き写すだけなので10枚くらいさっさと済みそうなものだが、なぜかこの作業は難航した。小3にとっては400×10字書くのはそれなりに大仕事、ということもあっただろうが、面白くない作業だったからでもあろう。文章を書くのは好きだったが字を書くのは別に好きではなかった。自分では特にどこがよいのか分からない文章をもう一度書き写すというのは、苦痛な単純作業でしかなかった。

原稿用紙にひと文字ひと文字書き写す作業をしながら、そこに書かれていた(自分が書いた)はずの蝉を捕らえたときの喜びや、手の中で弱りゆく蝉への気持ちや、蝉と別れるときの寂しさや哀惜や気がかりな思いは、もはや単に色をもたないひと文字ひと文字に解体されていき、その文字の海をまっすぐ泳ぐだけの作業は終わりが見えないかのようで、私はただただだるかった。机に向ってはすぐにだらける私を見て、親は「さっさとしてしまいよし」と怒った。「作文を先生がコンクールに出さはるんやって」と言ったときは誉めてくれたのに。

土曜の午後に始めた清書は、日曜になっても終わらず、私はひたすらだらだらしていた。日曜は、親戚のTさんのおばあさんのお見舞いに行くことになっていた。私も本当は皆と出かけたかったが、「うちは清書が終わらへんから行けへん」と拗ねた。父が「うちのおじいちゃんが具合悪いときTさんちの子らもお見舞いに来てくれたんやから、うちも行かなあかん」と言ったが、私が拗ね続けているので私を置いて行ってしまった。Tさんのおばあさんはほどなくして亡くなったので、会えないままの別れとなった。

 

清書はまる一日かかった。

帰ってきた母親にできあがった原稿を見せた。一通りチェックし終わった母が訊いた。

「何でこんなふうに直したん」

蝉を岩の上に置いていくくだりで、「鳥が来て食べられるかもしれないと思いました、今度からはもっと別の場所に逃がしてやろうと思いました」というような文があった。その二つ目の「思いました」を「心がけたいです」に直していたのだった。

「なんや『心がけたいです』ていやらしいわ」

と母が言うので、「『思いました』が2つ続くからおかしいと思った」と修正の意図を説明すると、

「べつにええやん、その方が素直な感じでずっとええわ」

と言われ、大人は子供の作文に、「素直さ」とかそういうものを求めるのだな、ということが分かった。いったん「心がけたいです」に直したのを「思いました」に戻すとマスが余ってしまう。また清書し直さなあかんのかとぞっとしたが、母は、「ええやんそれで、線を引いて消しといたら」と言うのでそのようにした。あんなに時間をかけて清書したのにそんなええ加減でいいのか、という気持ちになった。

 

 

ところで私は物持ちが良く、小学生時代の作文は入学直後に書いたものからほぼ実家に保管しているのであるが、この作文だけ見つからない。コンクールに送ってしまったからであろう。入選後、文集のようなものをもらったかもしれないが見当たらない。主催団体(まだあるのか分からないが)に問い合わせたら、保管されていたりするだろうか。30年も前のものだが。もう一度読んでみたい気はする。

翌年も、コンクールに応募するため作文を書かされた。今度は応募が前提だった。先生が転任する前の記念として、各児童の何らかの作品を何らかに応募すると言い出した。

「それぞれ得意なものを出そうと思うの、Kさんなら習字、Mさんなら絵、村田さんなら作文、というように」

と、わざわざ名指しで言われたので、二匹目の泥鰌を狙うというのか、入選を狙うつもりで書いた。しかし、書いてる途中に「これはなんか面白くないな」と悟った。「お母さんが妹ばかりひいきする」という内容で、妹に嫉妬する気持ちや淋しい気持ちを赤裸々に素直に描いたものではあったが、どうも大人ウケを狙いすぎたようでダメだった。「素直さを狙いすぎてもダメなんやな」と分かった。