光の礫

シンバルを打ったような鋭い音に顔を上げると、蒼天からの陽射しをそのまま粉々にしたような光の礫がスローモーションで降り注いで、何が起こったか分からない。
隣席の人が顔を伏せたのは眩しさのせいでなく、秋空の破片かと思われたそれは砕け散ったフロントガラスだと気がつくまで、実際にはコンマ1秒ほどの間だったのだろうか。
小さく声が出て、咄嗟に自分も姿勢を低くするが、運転席との間には幸いにも透明の隔てがあり破片はこちらまでは降りかからなかった。
フロントガラスは蜘蛛の巣状にひび割れて、細かな破片が運転席の床に散乱している。運転士は大丈夫か? 飛来物か、カラスかトンビでもぶつかったのか? 沿道の子供の悪戯で石でも投げ込まれたか? それともなんかのテロなのか? 運転士さんは、破片が口内に入ってしまったか、口から異物まじりのつばを吐き出しながら、前かがみにレバーに手を伸ばしている。停車の衝撃を怖れたが、予想外にブレーキはゆるやかだった。硝子で口内が切れたのだろうか、呂律の回っていないような発声で、「じんしんです」と運転士さんが言った。

 


そういえば私は最前列が好きで、映画館でもできるだけ一番前に座るし、学生の頃はさほど成績もよくないのに一番前の席に座っていた(いつも前に座っているのに授業を理解できていないという教師が最も苛立つパターンの学生)。天気の好い日は先頭車両の一番前の席から、線路とともに拓ける景色を見るのが好きで、今日もその席が空いていたので座った。途中までスマホを眺めていたけれども、こんな秋晴れの日に景色を見ないのはもったいないな、と、フロントガラスから見える前方の空をスマホのカメラで撮ったところであった。そこから再びスマホに目を落として、その数分後か数秒後のことだった。

 


前方に座っていたのは女性ばかりだった。さっきまで無関心な(あるいは無関心を装った)他人同士だった乗客たちは、急に仲間同士のようになり、中腰に立ちあがって顔を覗き合い、大丈夫でしたか、怖かったですねえ、と声をかけ合う交流を始めた。隣席の女性は涙を拭いている。破片が目に入ったのやろかと心配したが、運転席の扉のおかげで硝子はここまでは飛んでいないはずだ。誰かが「見ましたか?」と訊き、女性が頷いた。さっき運転士さんが「じんしんです」と言ったことを思い出した。飛来物か鳥か投石の悪戯かと思ったが、人が飛び込んだのだとこのときやっと分かった。

 


「人身事故」という言葉はいつから使うようになったのだろう。さらにそれを「人身」と略すのは、一種の婉曲表現のようでもあって、変な言葉だ。まあ日本語には他にもその類の略語はある。「認知(症)」や「発達(障害)」も違和感があるし、「携帯(電話)」も何を携帯するねんってんで変やなと思っていたのに、すっかり慣れてしまった。車両は緊急停止した。運転士さんはしきりに口の中のものを吐き出しながらマイクで連絡を取っている。目や手は大丈夫なのか、救急車を呼んだほうがいいのか、後ろからは負傷の様子が分からない。
蜘蛛の巣状にひび割れてしまった、無惨なフロントガラスを見る。特殊な硝子なんだろうか、いくらか知らないが高価なのだろうか。車体(の一部)を破損させ運転士を怪我させるかもしれなくても、乗客の足を止めることになっても、命を絶たなくてはならなかった人がいた。こんな好天の日に。そして、電車も怪我も乗客の都合もお天気も、この世の事情だ。

 

 

運転士さんは前方を向いたままどこかに報告を続けている。私は無駄にあわあわと動き回っていた。「運転手さん大丈夫でしょうか、救急車とか呼んだほうがいいですかね?」「鉄道会社がやってくれると思います、任せたほうがいいんじゃないですか」。周囲の女性たちと言い合っているうちに、運転席のドアが開いた。
「皆さん、大丈夫でしたか、お怪我はないですか」
運転士さんは、重傷ではないようだがお顔があちこち切れている。まだ学生のような若い人だ。なのに自分の怪我より先に乗客を気遣ってくれている。そういえばさっきも、あんなに硝子の破片を浴びながらも、ゆるやかにブレーキをかけてくれた。
「運転士さんこそ大丈夫ですか!」
「大丈夫です。僕、血、出てます?」
私たちは半笑いで頷く。運転士さんも昂奮したような表情で、なぜか皆半笑いだ。以前、大きな事故現場の目撃者がニュースでインタビューされていたとき、目撃者の顔が笑っているといってネットで叩かれていたのを見たことがあったが、怖いと人は半笑いになるのだ。

 

救援が来るまでが長かった。実際にはそれほどの時間ではなかったかもしれない。普段なら、本でも読んで待っていただろうがそんな気にはなれない。顔は半笑いだが、手は震え続けて止まらない。
車両の後ろのほうからシャッター音がした。私もあの位置にいたら写真を撮っていたかもしれない。あまり近いと写真を撮る気にもなれない。傍観者になれないのだ。
やがて、救援の鉄道員さんたちがどやどやと車両に入ってきた。「すみませんね、すみませんね」と客に声をかけながら運転席に入ってゆく。運転士さんは蹲ってしまったのか、姿が見えなくなった。鉄道員たちは床に散乱した硝子の様子を眺めている。救急車が手配されたようだった。「怪我は大丈夫か? 起きてしもたことはしゃあない、な?」。年配の鉄道員さんが運転士さんに声をかけているのが聞こえる。そうか、運転士さんだってショックなのだ。毎日巨大な機械を動かす運転士は、こんなこと日常茶飯事で何も感じないかのように思っていた。でも巨大な機械を動かすのは生身の人間で、自分の運転する車両で人をはねてしまえば、ショックでないはずがないのだ。


「この電車はここで停止します、乗客の皆様にはご迷惑をおかけします、なお運転開始の時間は不明です」
アナウンスが流れ、車内がもんやりと溜息のようなもので満ちる。私は職場に連絡の電話を入れる。こんなときに真っ先に職場に電話を入れるなんて、こういうことをすると、大人になったような気分になる(もう大人になって長いのだが、いまだに大人のすることをするたびに大人になったような気分になる)。着時間が分かり次第再び連絡します、先方にはお待たせすることになるかもしれず、すみません。自分が悪いわけではないが、すみません、と謝るのも大人のような気がする。だが、少し声が上擦って上手く喋れない。当事者でもないのに、まだ手や声が震えるなんて、と思うが、いや、人をはねた機械に乗っておいて「当事者ではない」というのも異常なことであるのか。

 


電車が停車したのは家の立て込んだ地域であるから、周囲の建物のベランダや階段の踊り場に野次馬が出てきて、こちらを見たり写真を撮ったりしている。状況を知ろうとツイッターを検索すると、近隣の人や他の駅にいる人が「踏切が開かない」「電車が来ない、予定があるのに」とツイートしている。さらには、もう当該事故のまとめページができている。こういうの、誰が作るんだろう、仕事が早すぎないか、どういう商売なんだ。開くと、割れたフロントガラスの写真が載っており、その前で無駄に立ち上がってあわあわしている私の姿が写り込んでいる。同じ車両の後方の乗客が撮ったのであろう。さっきのシャッター音のどれかだ。この角度から見るとえらい太ったな、というくだらない念が頭をかすめる。 


運転再開には短くても一時間かかるという。この車両は破損してしまっているから、乗換も必要になるだろう。車内は少し落ち着き、もう乗客同士話すこともない。事故の証人として後で警察と話してもらうかもしれない、というので、駅員さんが連絡先を尋ねに来る。すみません、本当にご迷惑おかけして、すみません、と駅員さんは何度も謝る。この人が悪いわけではないのに。そうしているところへ、不機嫌そうな婦人が後ろの車両からやってきて、駅員さんに声をかけた。
「次の駅まで遠いですか? もう、降りて歩いていきたいんだけど」
「失礼ですが、おトイレでしょうか?」
「はっ?」
「おトイレでしょうか?」
気遣いで声をひそめた駅員さんに、婦人は余計苛立ったようだった。

「急いでるから歩いていきたいだけ!」
「危険ですので、線路沿いを歩くことはできないことになっております、すみません。他の乗客の方にも一律そうした対応になっておりますので、本当にすみません、ご不便おかけします、すみません」
謝り倒す駅員に、無言で婦人は背中を翻し去っていった。

 


電車は、前面の窓が割れたまま、少し走行し、次の小さな駅で停止した。この車両はここで運転停止となる。われわれ乗客は、中央のいくつかの車両に集められ、指定された出口から降ろされた。大きな混乱はなかった。

だが、普段利用客の少ない小さな駅は、途中で降ろされてしまった人々で大混乱である。我慢していた人も多かったのだろう、トイレにも列ができている。
振替輸送はあるようだが、皆、ここで待つ方が早いのか振替輸送を利用する方が早いのか分からない。尋ねようにも駅員の数も足りていない。ひとつしかない改札横の窓口に長蛇の列ができており、私もとりあえず列に並ぶ。「どこまで行かはるんですか?」「それなら待たれたほうが早いんじゃないですか?」、並ぶ乗客同士の間で自主的に情報交換が始まった。おしゃれした大学生らしき女性に、勤め人と思われるお姉さんが、「その大学なら運転再開を待つほうがいいと思うよ、私は遅延証明をもらいたいから並んでる」と教えている。「ここでもらえるんですか?」「分からないけど」。こういうとき、女性同士は交流が早いのかもしれない。あるいは、関西的な風景なのかもしれない。戸惑っている外国人観光客には、英語のできる人が状況を説明していた。
閉鎖されている改札の向こうにも人が溢れている、スタートダッシュを待つマラソン選手の一団のように皆改札内を見ている。こちらをスマホで撮っている人もいる。意味なくカメラ目線を向けてみる。

ただでさえ人が足りないのであろうに、現場へ行かねばならないらしく、何かの道具を抱えた駅員さんが慌ただしくホームへと出動してゆく。走る駅員さんを捕まえた老人の集団が、彼を囲み、
プレミアムカーに乗ってきたんやけど、500円返してもらえるん?」
と尋ねる。
「はあそれは。ちょっとあの。今から私は現場行かなあかんので!」
駅員さんもパニック状態なのか、質問に答えられていないし、呂律も回っていないし、もはや敬語も忘れている。だが老人たちはなおも食い下がる。

「●時に着く予定やってんやけど、止まってしもたから、500円返してもらえるんやね?」
「そんなんは後にして!」と思わず割って入りそうになった。私は祖父が死んだときのことを思い出す。自宅で人が亡くなった場合は必ず警察が来るということを知らなかった私は、まだ救命措置の途中であるというのに、状況をしつこく家族に聞いて回る警察に反感を抱き、「そんなんは後やったらあかんのですか!」と絡んでしまい、家族に苦笑されたのだった。
「それはお返しします、はい、改札で言ってもらえれば」
「どこの改札で言うたらええ?」
「あの、どこの改札でもいいので」
「なんて言うたらええ?」

みんな自分のことばっかりや。
だがそれは私もだ、生きてる者は皆自分のことばっかりだ。
裕福そうな身なりで、たかが500円のことじゃねえかと思うけれども、彼らにとっては大切な旅の大切な特急料金だったのかもしれない。大事な予定のあった人もいるだろう、ずっと楽しみにしてきたイベントや大事な待ち合わせに遅れてしまう人もいるだろう、一生を左右するようなことや、駆けつけねばならない一大事があった人もいるかもしれない。だが、それも生きてる者だけの都合だ。われわれは一瞬で、生と死の世界に分断される。


結局、私の場合は振替輸送を使うよりもここで運転再開を待つ方が早いだろうということで、再びホームに降りた。予定運転再開時間まではまだ20分ほどある。滅多に降りないホームの端から端まで歩くと、ホームの南端では、鉄道好きの人なのだろうか、停止している車両の様子を詳細に観察したり写真を撮ったりしている人がいる。ホームの端は屋根で覆われていないので高くなった陽が差し込み、初秋とはいえまだ暑いくらいだ。全線停止中の線路は静かで、のどかな空が広がっている。でもそれも、生きてる者だけの世界だ。どんな方だったのか、どんな事情があったのか分からない、その人には見ることができない。
電車が動けば、私は仕事へ行く。おそらく夕には何事もなかったかのように動いているであろう電車で帰り、夜になれば美味いものを食べたり音楽を聴きに行ったりして「いろいろあったけど幸せなこともあった一日でよかった」とかいう感想を抱くだろう。だが、それは生きてる者の感動や感傷だ。その人にはもう関係がないことだ。逆にあのとき、私の時間が止まったようだったあのときも、それぞれの人の感動や感傷は生き生きと酷薄に続いていた。


思ったより復旧は早かった。復旧した電車も、予想外に混雑しなかった。これが「日本スゴイ」というやつなのか。運転士さんは大丈夫だろうか、後で鉄道会社にお見舞いのメールを送ろう、などと思う。目的の駅に着く頃には既に何もなかったかのようだった。駅から職場に電話をする。「今駅に着きました、すみませんでした、1時間以上遅れましたが、先方はまだ待ってくれていますか?」と尋ねると、せっかく私が駅まで辿り着いたのに、先方は約束を忘れているらしくまだ着いてもいないとのことだった。