先日、初めて、見知らぬ若者(居酒屋の客引き)から「おかあさん」と呼びかけられてしまった。 私は年齢的にはエエ年かもしれないが、子供を産んだことがないのでお母さんという呼称で呼ばれることには馴染みがない。また、学生時代が長かったせいか、自分が…
この季節になると、京都・蹴上浄水場はつつじが満開になり、同時に一般公開が行われる。今年は、その姿は見ていないけれど、初夏の新緑の中、小高い斜面に並んだこんもりと丸い樹々に、紫、白、ピンク、赤が咲き乱れる様子は大変美しい。蹴上浄水場の近くに…
中学の頃、趣味の合う友人何人かとよくつるんでいた。同じく、趣味を通して、他校の子たちとも交流していた。といっても、雑誌の文通欄で知り合った子たちだった。この頃、まだメールやネットのない時代であり、文通という文化が健在だったのである。われわ…
それは、M-1でチュートリアルが優勝した年のクリスマスのことであった。われわれはT君を囲み、霊ケーキで降誕祭を祝った。T君当人には申し訳ないが、私にとっては、帰ってきた中学生時代のような、『太陽の塔』的世界に束の間参加したような、そんなクリスマ…
二年生になって数学の担当教師が変わったとき、皆がっかりした。新しい教師は、「いとうちゃん」という、初老の男性教師だった。いや、当時は「初老」と思ったが、今思えばいとうちゃんは意外に若かったのではないかと思われる。まだ40代だったかもしれない…
こういうのもポスト・フェストゥム人間というのか、いつの頃からだろうか、「終わったとき」の視点から考えてしまう癖がある。 ある土地にいたりある人とつきあっていたりというその最中にいるとき、その時代のことを、「思い出として眺めたい」という気持ち…
あれはツイッターを始めた頃であるのでかなり前のことだろうか。どういう文脈かは忘れたが、その頃の何らかのニュースを受けてか、TLでは夫婦別姓を認めるか認めないかというような議論が起こっていた。というか主に、強制的同姓への非難がなされており、私…
最近読んだ本でよかったのは、藤澤三佳『生きづらさの自己表現』(晃洋書房、2014)。精神病院での造形教室、今村花子の食べ物アート、雨宮処凛の人形作りや河瀨直美のセルフドキュメンタリー、などさまざまな事例を挙げながら、「芸術療法の視点とアートの…
祖父(父方)は、善人でも悪人でもなかったが、ナチュラルに嘘を言うことがあった。嘘、という言い方は適切ではないのだが、なんといってよいか分からない。微妙に話を盛るというか、いや、これも違うな。 私が大学院に通っていた頃、祖父が「この間、あんた…
被害を訴えられ、かつ、その被害の内容が事実か分からない場合の対応の仕方に、いつも失敗し続けているように思う。 まず、人から何らかの被害を訴えられたり相談されたりするとき、聞かされた人は「これはウソかもしれない」とか「大袈裟に言ってるのかもし…
モモコ、姉になるついに姉になりやがった―――。 モモコの嘘には既に馴れてしまったが、何故姉にまでなる必要がある? 母は呆れ果てながらしばらく、インターフォンの前に立ち尽くしていたという。
去年に、友人のバンドが出るというので、ブルーハーツ縛りのコピーバンド大会に行った。バンドが10組くらい出るので、コピバンばかりそんなに観てもなぁ……と思っていたのだが、演奏者たちの思い入れが伝わる良いイベントだった。フロアの客たちが 僕たちを縛…
10年前の今ごろ、私は26歳を目前にしていた。26歳は私にとって特別な鬱年であった。母が私を産んだのが26歳だったからだ。自分はとうに生殖年齢に達しているのだ、ということを嫌でも感じさせられる年であった。だが私は、産む産まないを考える前に、完全に…
「蟻たかる」の話の続きです。 この、史子に生理が訪れた(訪れてしまった?)ときの描写も、上手いなあ、わかるわかる!と思いながら読んだのでした。まず、史子は安堵します。そして、遅れていたのはそもそも自分の緊張と怖れのせいでないかと考えます。例…
つづきです。 前回は「臺に乗る」という小説を紹介しましたが、同じ時期に読んだ「蟻たかる」も同じくらい面白かったのです。こちらはちょうど一年前に、同じく『文学界』に発表されたとのことです。 こちらも、テーマは「臺に乗る」に似ていて、主人公・法…
つづき 「臺に乗る」の話のつづきです。産める-産めないという一見明らかであるように思われる問題のあいまいさ、そして、この物語においては、産みたいのか-産みたくないのか問題のあいまいさ、がそれに先立ってある、という話でありました。以後、そもそも…
最近、河野多惠子をずっと読んでおりまして、いくつか既読の作品もあったのだが初めて読む作品もあり、その中でも、「蟻たかる」「臺に乗る」という二作がとりわけ「面白いーー!!」と感じたのですが、何が面白いか説明しようとするとなかなか難しいので、…
ちょっと早いが生理かね、と思って処置をしておいたのであったがそれきり出血は止まってしまい、とはいえちょっと出血して止まってしばらくして本格的に出血する、というのもままあるパターンであったので、別にさほど気にしてはいなかったのだが、ふと着床…
中学時代の怨念シリーズである。 中学のとき、わりと皆に慕われてる社会の先生がいた。テスト用紙に、ひとりひとりに赤ペンで長いコメントを書いて返したりなど、熱血系の先生やった。その先生の地理の授業である日、地図の縮尺?かなんかを答えさせる問題が…
体罰が話題になっているので、わたしも体罰の思い出について書こうとおもう。(他のところでもちょっと書いたけど)いちばん覚えているのは、中学に入ったばかりの頃のこと。嫌味で理不尽な物言いをする社会科の教師がいた(男・30代)。神経質そうであると…
私は浪人したのでセンター試験を2回受けている。いずれも、京大のD、E号館で受けた。センター試験には色々な思い出がある(同室の人が窓の開閉をめぐって試験中に喧嘩を繰り広げるなど)が、とりわけ覚えているのは、二年目の数学IIの思い出である。 私は、…
以前についったでも書いたんですが、ロック・コンサートにおける(観客の)身体技法ておもろいなあということをよくおもう。 それは、熱狂と昂奮に突き動かされての自然なうごきであるかのように見えて、だが、ヨコに揺れるとかタテに揺れるとか或るタイミン…
もう七年前の話なのだが、母方祖父が死んだ。母方祖父は病院で死んだので、病院から家まで、葬儀屋が遺体を運んでくれた。葬儀屋は、きれいに布団を敷いて、遺体を寝かせてくれた。その手際に感心し、おぢいのために何から何までありがたや……とわれわれは感…
以前に石川達三『結婚の生態』の感想を書いたですけれども、その後、たつぞうが気になってしまいたつぞうをいろいろ読んでいるです。 『結婚の生態』で気になってしもたんはなんといっても、「この主人公の男って現代のわたしの目で読めばまるで "フェミニズ…
私はまだ、インスタント・ラアメンというものをたべたことがない。何うやって造えたものだか判らないし、又判ろうとも思わないが、あの透徹った袋の中に、生湿りの針金状になってとぐろを巻いている支那ソバの化けもの、――私は支那を中華民国とは絶対言わな…
神聖かまってちゃんは、当初聴いたときはあんまよくわからず、ニートとかひきこもりとかネット世代とかいうあまりにもあんまりに現代的なキーワードで語られてたのも、なんかあざとい印象を受けてたのだが、「夕方のピアノ」を聴いた途端、ぐわっ!これはも…
こないだ石川達三の『結婚の生態』について書いたけど、同時期に、佐多稲子の『くれなゐ』を読んだので、そちらについても記。 べつに両作品はなんも関係ないのだが、だいたい同年齢の作家の、同時代に書かれた、どちらも結婚生活に関する話ということで、へ…
石川達三の『結婚の生態』を読んだ。母の本棚にあったのでなんとなく。 『結婚の生態』は、1938年の作品とのこと(文庫化されたのは戦後)なのだが、これは面白い! 或る意味で。奇妙な読後感を得た。 amazonを見ると、レビューが一件だけあって、星ひとつ。…
「犬は家族です」という言い方をよく耳にする。最近なされるようになった表現なのだろうか。ためしにgoogleで「犬は家族」と検索してみると、「犬は家族」と主張してる人がたくさん見つかる。mixiにも、「犬は家族です」というコミュニティがある。 「犬は家…
嫁姑がいきなり自分の中でホットなテーマになり始めたので、永六輔『嫁と姑』を読んでみた。昔のコバルト文庫のように下半分の余白が多い……論っていうより箴言集&放談って感じだが、おもろいとこもあり。嫁と姑 (岩波新書)作者: 永六輔出版社/メーカー: 岩…